質問はいくらでもしてもよいけれど

2020/01/20 21:25:01 | 読者の方向け注意事項 | コメント:1件

ネットやブログでの質問は医師法第20条の無診察治療に該当する恐れがあるので、

ネットでの個人的な病気の話や健康に関する相談は法律違反になるために応じられない
」というスタンスのお医者さんがおられると思います。

しかし私はそれは考えすぎだと思います。医師がネット上で個人的な病気の相談に乗ったからと言って、それが自動的に「診療」ということにはならないでしょう。この段階ではあくまでも「相談」だと思います。

何をもって「診察」と呼ぶのかという定義の問題もありますが、少なくとも「これは『診察』ですよ」という明確なセッティングで行う状況でない限り、ネット上の個人的な健康相談を「診察」と呼ぶ明確な根拠はないだろうと思います。

仮に「私の病気が何病であるかを診断してほしい」というリクエストがあったとして、

医者がそのリクエストに応えられるかと言われればそれは原理的に無理だと思います。せいぜい「〇〇病の可能性が高い」とまで言うのが関の山だと思います。 そう言ったとしても、「本当にそうであるかどうかは病院を受診して確認してもらうことをおすすめします」という流れになると思うので、このやりとりの中では診断を下すわけではありません。あくまでも医師としての見解を述べるだけの「相談」という枠組みを逸脱してはいないと思います。

「医師法違反になるから相談には乗らない」というスタンスの先生がそのように言う背景には、

何でもかんでも細かい所まで聞いてきて、ネットの情報交換だけで全てを済ませてしまおうという依存心の強い質問者が多くて嫌気が指している所もあるのではないかと想像します。

少なくとも私は医師法を理由に読者の方々からの質問を断ることは致しません。私のわかる範囲でどんな質問にもお答えするスタンスです。

私が質問に答えることによってその人の役に立てるのなら、これは立派な社会貢献であり、無料であっても私には答える価値があります。

同様に「質問をする前に自分のブログを全部読め」とか「この本を全部読んでから質問しろ」というのも私は違うと考えています。

まず何を持って全部読むと言えるのかということがありますし、暗記レベルのことを指すのであればそんなことができる人はごく一握りしかいないでしょうし、

それでないと質問してはいけないのであれば、もはやそれは「絶対に質問をしてはいけない」と言っているのとほぼ同義です。

そもそも量が膨大だと全部読むこと自体が現実的ではないですし、何とか全部読んだとして内容を忘れてしまっていたりすると「全部読んでいないではないか」と糾弾されるようでは怖くて質問もできませんし、

これまた質問者のハードルを極めて上げている条件だと思います。

そもそもそこまできちんと読み込める人であれば質問する必要性もあまり出てこないようにも思えます。


「質問する前に調べなさい」というのは情報提供者側の都合だと私は思っています。

ある程度まとまった情報を発信する人ともなれば、同じことをたくさんの人に聞かれる状況も出てくることでしょう。

そうすると情報発信者は思うのです。「あそこに書いてあるのに、なんで読んでから聞きに来ないのか」と。

「読んでから聞きに来い」がもうおかしいのです。読んでないからこそ聞きに来るわけですから。

初学者がすべてを読み込めていないのは当たり前のことです。

主体的に自分で調べられるようになるためにも、最初は誰でも先人のまねを繰り返すことから始まっているわけです。

まさか小学校1年生のこども達に、「ネットに書いてあるのだから、自分で調べてから質問しろ」とは言わないでしょう。

情報発信者が質問者に対して「自分で調べてから聞きに来い」というのはそれと同じ構造の話だと私は思います。

「こどもと大人は違うのだから、それと同じだというのは言い過ぎだろう」というのも違います。あくまでも私は構造が同じだと言っているのであって、こどもであろうと大人であろうと自分にとって詳しくない領域の話は本質的には同じ初学者です。

例えば私は医学のことについては詳しいですが、家の建築についての事は詳しくありません。

もし私が家を建てようとなった場合には、勿論自分で家のことについて調べようとは思いますが、

それでも全てをわかるとは限らず、わかりにくい所については詳しい人に意見を求めたいと思う場面があるかもしれません。

そんな時に「ブログや本に全部書いてある。せめてそれを読んでから質問しろ。」と言われたらどんな気分になるでしょうか。想像するだけで嫌気がさします。

私は、私を信頼して質問をしてきてくれる方にそのような思いになってほしくありません。


主体性は「なぜ?」から始まります。初学者はわからなくて当たり前、上級者は質問されるのが当たり前です。

だから医療に詳しい私が、医療の質問に何でも答えるのは当たり前のことだと思っています。あわよくば質問に答えるだけではなく、さらにそこから自分で考えることができるようになっていくように導ければよいと思っています。これがいわゆる「守破離」の考えです。

ですから、私はどの段階であろうと、ブログの記事を読んでいようといまいと、個人的な内容であろうとそうでなかろうと、

どんな質問に対しても私が私のわかる範囲でお答えします。


ただし、質問される側の方にわかっておいてもらいたいのは、質問される私も一人の人間だということです。

理不尽な質問や非礼な質問をされたら頭にもきますし、何度質問に答えても自分で考えようという努力の見えない、いわゆる守破離の「守」でずっと留まっているような人に対しては答える気力を失うこともあります。

私が質問に答えないとしたら、それは私が質問者の方に愛想を尽かした時だとご理解頂ければと思います。


ちなみに私はオンライン診療を扱うクリニックを運営しておりますが、その中でビデオ通話を用いて行う相談は法律上「診療」に相当します。

オンライン診療のような「ビデオ通話でのやりとり」が「診療」に相当するかどうかはごく最近まで議論があったのですが、最終的には初診対面診療を行った患者に対してであれば「ビデオ通話でのやりとり」も法律的に「診療」と認めるという結論に落ちついたという背景があります。

そのオンライン診療を何度も経験した私が言えることなのですが、

ビデオ通話で得られる情報と、ブログやメールなど文字だけの情報で得られる情報は、情報量が圧倒的に違います。文字情報で得られる情報は圧倒的に少なくて不正確です。

重要な違いは、リアルタイムに知りたい情報を引き出せるかどうかと、微妙なニュアンスの違いをその場で確認できるかどうか、という所です。

文字情報だけの相談はそれだけでは相談される側にとって、相談者が求める何かしらの判断をするための情報が不足している場合が多々あります。

つまり文字情報だけだと限られた情報の中だけで判断せざるを得ないですし、文字情報の解釈が質問者の真意と食い違っている場合も多々ありますので、

文字情報だけで質問されたり、相談されたりする方は、あまり精度の高い答えを期待しない方がよいと思います。

それらの弱点をわかった上で、それでも私に何かを尋ねてみたいという方は、

いつでもお気兼ねなく御質問頂ければと思います。


たがしゅう
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2020/01/28(火) 07:31:28 | | #
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