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プラスによる改善は一時的にとどめるべし

category - ふと思った事
2019/ 11/ 14
                 
認知症の患者さんを診ていると、認知症の薬を止めると症状が改善するということを稀でなく経験します。

2018年8月、フランスにおいて抗認知症薬は有用性より有害性が上回るとして保険薬から外れることになったというニュースが話題になりました。

このように最近でこそ認知症の薬の危険性が注目される流れが出てきたように思いますが、

そもそもそんな危なっかしい薬がどうして医療現場に出回るようになったのでしょうか。

それは薬が承認されるに当たって大きな根拠となる臨床試験の結果が影響しています。
            

ある抗認知症薬の臨床試験では、薬を投与した群と薬に見せかけた偽薬を投与した群とで比較した所、

偽薬を投与した群に比べて、半年後の認知機能が改善するというデータが示されています。

しかもその半年が経った後でその薬を止めて、さらに6週間経過した時点で認知機能をチェックしてみると、

偽薬を投与した群と同じくらいまで認知機能が急降下するというデータが示されています。

だから抗認知症薬は途中で止めずに一生継続して飲み続けることで認知症の進行を遅らせることができる、というのが販売元の製薬会社の主張です。

おそらくその主張をそのまま受け入れて、現在でも抗認知症薬を気軽に処方し続けている医者は全国に多いであろうと思われます。

ところがその半年後に認知機能が改善するというグラフの改善幅は、よくみると非常に微小な変化です。

グラフをどアップで表示することによって、小さな変化が大きな変化に見えるので、視覚的にこの薬はよい薬だという印象を医師に与えることができるのです。

ただそれにしても、この臨床試験にデータの改ざんがない限りは、それでも偽薬に比べてよい効果をもたらすのであるから、

冒頭のように薬を止めたら症状が改善するという現象が観察されるのは矛盾するのではないかと思われるかもしれません。

この矛盾を解消するのに注目すべきポイントはこの臨床試験の実施期間である「半年」という部分です。

認知症の薬の多くは、アセチルコリンという記憶に関わる神経伝達物質を分解する酵素を阻害することによって、

記憶に関わる神経の働きを賦活しようとするメカニズムに基づいて設計されています。

しかしこの戦略は体内におけるアセチルコリンの量が増えているわけではありませんから、

今ある少ない材料で無理矢理、市場で求められるアセチルコリンという商品を増産しろとムチを打って現場をしごいているブラック企業のようなもので、

確かにその瞬間、現場は頑張って無理にでもアセチルコリンを作り出して現場は回るかもしれませんが、

そうした無理を続ければやがて現場が疲弊するのは目に見えています。

するともはやムチを打とうが打つまいが現場が働かない、すなわち薬を使ってもアセチルコリンが増えない状況に陥ることが想定されます。

しかしそこでムチを打つ行為を止めれば、現場の残った気力次第では再び立ち上がってくる可能性はあるでしょう。

抗認知症薬を止めて、症状が改善するというのはまさに疲弊した神経細胞を休ませることに伴う自己治癒力の復活に由来するのだろうと思われます。

そしてムチを打ってとりあえず現場の問題をやり過ごす作戦は、少なくとも半年の間はごまかすことができるけれど、

その後は理屈で考えれば余計に悪化していく可能性の方が高いであろうと推測されますが、そのデータは世の中に存在していないというわけです。

しかも悪化したとしても相手は認知症、悪くなって当たり前の病態だと思われているため、まさかそれが薬のせいで起こっているということに気づけないという構造になっているのです。

だから危険な抗認知症薬が認可され、その危険性が認知されないまま現場で漫然と使い続けられるという悲劇につながったのだと考えられます。

しかも半年間は安全というわけではなく、これはあくまでも平均的な話です。

人によっては数日で疲弊する人もいるでしょうし、逆に2年くらいは疲弊しないという人もいるでしょう。

しかし医学論文というものはそうした個人差を消失させ、あくまでも全体としてものを語るという構造もあり、そのことも多いに問題だと思っています。

全体としてものを見るのが不要というわけではありません。それだけを見てすべてがわかったかのように解釈するのが問題だと私は思うのです。

科学的根拠という名の下に、今は医療を個々に当てはめて考えるという視点が抜け落ちているような気がしてなりません。

東洋医学やアロマテラピー、ホメオパシーといった医療はそうした個別性を重視する医療ですが、それらのエビデンスが出しにくい、もしくは出たとしても決定的なものとして扱われない背景には、

今の医療に個別性を軽視する流れがあるからではないでしょうか。症例の一例報告が軽視されるのもその流れを受けているように感じています。


さて、この話を受けて私がもう一つ感じる重要なことがあります。

それは何かをプラスして症状が改善した場合に、プラスを続けることで生じるその後の行く末についてです。

抗認知症薬はその差が軽微であるにしても使うことで少なくとも一時的には認知症状が改善する薬でした。

しかし公的なデータでは確認されないものの、現場を見る限りその改善効果はある程度までの時期で頭打ちとなり、その後は悪化し場合によっては薬投与前よりも病状が深刻になる可能性も示唆されています。

何かをプラスし人体に歪みをかけてもたらされる改善効果にはそうしたリスクがつきものだという共通構造があるのではないかと私は思うのです。

それに対して何かをマイナスして得られた症状の改善効果は永続的です。なぜならばもともと不要だったものを取り除いただけの話であるから、マイナスした分スムーズになった身体の働きは今後も円滑に動き続けるであろうという見通しがあります。

糖質制限がまさにそうです。少なくとも10年レベルの好調維持は、糖質制限実践の先駆者の方々が身をもって証明されているところだと思います。

だからこそ何かをプラスして得られる改善効果は一時的にとどめなければならないと私は思うのです。

そうしないといつの間にか歪んでしまった自分の身体の状態に気づくことさえできずに、

やがてプラスしているのに不調に悩まされ続けるであろう流れの見通しが私には立ちます。

プラスはあくまでも時間稼ぎの手段とし、それで時間を稼いでいる間に自分の中にある不要なものを取り出して、

自分が本来持っている身体の働きを円滑に行えよう環境を整える姿勢だと私は考えます。

そうして最終的に行き着いた先はもともと自分の中にあったものだけで構成されている世界であり、

その状態にたどり着くことがいわゆる「根治」だと私は考える次第です。


たがしゅう

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コメント

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糖と腸
突然ですが先生、FODMAPという言葉をご存知でしょうか?
近年オーストラリアから日本に入ってきた食事療法で、認識が広がりつつあるようです。
「糖」には、腸に悪影響を与えやすい食品と与えにくい食品とがあり、高FODMAPを避け 低FODMAPを食する習慣をつけることで健康に寄与するということです。
IBSも改善したという、腸の弱い私としては個人的に大変興味をそそられる内容ですが、先生はどう感じられますか?
腸内細菌が健康に寄与していることは知られていますが、腸を良好に保つ為の情報が世の中に錯綜し、いったい何が正しくて誤っているのか判断に窮します。
そんな中、このFODMAP理論は腸内環境を整えるに良い手助けになりそうな気配です。
糖質制限に新たな展開が生まれればと期待しています。
Re: 糖と腸
だいきち さん

コメント及び御質問頂き有難うございます。

> FODMAPという言葉をご存知でしょうか?
> 先生はどう感じられますか?


実は興味を持っています。
私自身の実践経験はありませんが、少なくとも聞く限りは結果を出している食事療法でありますし、その理屈にも一理あるように感じています。もう少し私の頭の中がまとまれば一度記事にしたいと考えています。