短期的に有効なものが長期的にも安全か否か

2019/11/05 19:30:01 | 素朴な疑問 | コメント:2件

糖質制限は短期的には有効性を認めるが、長期の安全性は保証されていない」という糖質制限の批判のされ方があります。

しかしもっとその言葉がふさわしいと感じる対象が現代医療の中にあります。

それはステロイドです。ステロイドは自己免疫性疾患や炎症性腸疾患など、

炎症が主たる病態として関わってくる疾患に対して短期的には目覚しい効果をもたらすことができる薬です。

他の現代医療で用いられる薬の中でもその治療効果は群を抜いており、非常に幅広い疾患に対してステロイドは用いられています。 そのステロイドの効果の幅広さが、私の推奨するストレスマネジメントの効果の幅広さにも通じるのですが、その話は今回一旦脇に置いておき、

一方でステロイドは長期的に使用すれば、その量が多ければ多いほど、あるいは使用期間が長ければ長いほど様々な副作用がもたらされることで知られる諸刃の剣です。

従ってステロイドにおいては「短期的には効果が認められるが、長期の安全性は保証されていない」ということが当てはまる対象だと言えます。

では糖質制限もそのステロイドと同様に、「短期的には効果が認められるが、長期の安全性は保証されていない」のでしょうか。

私はそうは思いません。なぜならば、ステロイドは余剰となりうるものをプラスする行為であり、糖質制限は余剰となりうるものをマイナスする行為であるからです。

もっと言えば、糖質摂取の方がステロイドと同様に「短期的には効果が認められるが、長期の安全性は保証されていない」と言えると思います。なぜならプラスの行為だからです。

ヒトの真に健康な状態とはいかなるものでしょうか。

おそらく身体を構成するに必要な材料やエネルギーが過不足なく揃っていて、それが動的平衡状態を維持している時ではないかと私は思います。

そして実に見事なことに、ヒトの身体は最初からそうした動的平衡状態を保つシステムの基本が備わった状態で世に誕生してくるのです。

そのシステムが生まれた後に起こる様々な現象によって乱れてくる、その原因となっているのが余剰な物質だと思います。

必要な物質が不足していることも原因となりえるのではないでしょうか。

いや、生命が完全性の高い動的平衡の仕組みをすでに構築しているので、システムが平常運転している限りは必要物質が足りずとも、そこにエネルギーがある限りは動的平衡を維持し続けることができるのではないかと私は考えます。

例えばタンパク質のリサイクルシステムであるオートファジーが働くための条件は何でしょうか。答えは「絶食」と「低インスリン」です。

逆にオートファジーが働かなくなりタンパク質不足をもたらしうる現象の原因は「摂食」と「高インスリン」です。

タンパク質不足という必要物質の低下を招いている直接的な原因は物質の枯渇ではなく、システムエラーを引き起こしうるプラスの行為だということがわかります。

従って余剰な物質をマイナスしうる糖質制限は本来のシステムが動きやすくなる方向へ舵が切られるだけなので、長期的には安全であることと予想することができます。

理詰めで考えるとこう言えるわけですが、もっと直感的に考えても、体調のよくなるプロセスを糖質制限は長期的に安全であることを確信に近い感覚で得ることができます。

ただし余剰物質は必ずしも目に見えるとは限りません。世の中には糖質制限でよくならない人達も確かにおられます。

その理由は人によって糖質制限を行い続けることで慢性持続性ストレスを感じるところにあると私は考えており、

この場合はその慢性持続性ストレスが目に見えない余剰物質として立ちはだかっているので、

やはり余剰物質をプラスする行為が健康を害するという原則は崩れないように思います。

このように考えていくと病気から卒業し真の健康を目指すためには

自分の中にある余剰物質にいかに気づき、いかにありのままのシステムを作動させるかという所に秘訣があるように考える次第です。


たがしゅう
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コメント

引き算で考える

2019/11/06(水) 07:29:02 | URL | 西村典彦 #-
以前にも書いたかもしれませんが、私がいろんなものを体に取り入れる際の基本的な考え方が「引き算」です。

特に薬については、足し算で考える医師を信用しません。薬を投与した結果、不都合が生じた場合(主に副作用)、一旦、中止するのではなく、不具合を抑えるために薬を追加する治療です。

普段の生活で言えば、自然界にはないものを使用して健康(と勘違いしている状態)を維持しようという行為です。サプリメントや、もっと日常的なもので言えばシャンプーやボディーソープなども含まれます。
そういうものを使用し続けないと健康(と思い込んでいる状態)が維持できないのはおかしなことだと思います。自然界には存在しないものを使用し続けないと健康が維持できないのであれば、人間はとっくの昔に淘汰されていたはずです。原因を取り除けば(引き算すれば)、そういうものは不要になるはずです。

糖質についても同様です。「長期の糖質制限は安全か」ではなく、「長期の糖質摂取は安全か」と考えるべきではないでしょうか。多くの精製された糖質は自然界には存在しないものです。
どなたか失念してしまいましたが、糖質摂取を「ドーピング」と表現した方がおられました。一時のパフォーマンスのために体に悪い影響を及ぼすものを摂取するという意味だと思います。すごく的を射た表現だと思いました。
ドーピング(足し算)は短期的には有効だが、長期的には健康を害するリスクが、糖質制限(引き算)は、さて、どうでしょう。

Re: 引き算で考える

2019/11/06(水) 11:01:13 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
西村典彦 さん

コメント頂き有難うございます。

> 自然界には存在しないものを使用し続けないと健康が維持できないのであれば、人間はとっくの昔に淘汰されていたはずです。原因を取り除けば(引き算すれば)、そういうものは不要になるはずです。

私もその考え方に全くもって賛成です。
人為的な介入は恒常性維持の観点で言えば、一時的利用にとどめられるべきで、
本来はそうした人為的介入不要できちんと成立するシステムが進化の歴史の中で他が淘汰されながら生き残ってきているはずだと私も思います。

もちろんアスリートや一部の燃えつき型の天才達のように、恒常性維持というよりは限界に挑戦していくスタンスの方はドーピング的な人為的介入を行い続けるのも一つの生き方であり、否定されるべきことではないとも思います。

ちなみに僭越ながら、私も過去に糖質摂取をドーピングと表現したことがございます。

2015年2月13日(金)の本ブログ記事
「日常に溶け込んだドーピング」
https://tagashuu.jp/blog-entry-574.html
もご参照下さい。

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