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情報は完全には伝わらない

category - 糖質制限
2019/ 11/ 01
                 
マスコミに加えて、SNS文化が広まったおかげで、

糖質制限という言葉も大分広く認知されるようになってきました。

患者さん達と触れ合っている中で、「糖質制限について聞いたことがありますか?」ということを尋ねてみますと

「はい」と答えられる方が数年前よりも格段に多くなった印象を持っています。

そこでさらに、「糖質制限に対してどんなイメージを持っていますか?」と尋ねると、

「ごはんを食べないで肉を食べるとダイエットになる」というイメージだと答える人達が多数派です。
            

ところがここでさらに、「ではなぜ糖質制限をするとダイエットになるかは御存知ですか?」と突き詰めていくと、

それはわからないと答えられる方も実に多いのです。

要するに糖質制限の本質などは一切理解されることなく、「糖質制限=ダイエット」と短絡的に情報が伝わってしまっているのです。

ただでさえ私は以前、糖質制限がダイエットとして認知されることに関して否定的な見解を記事にさせて頂いたことがあるのですが、

こうなってくるとそれ以上に伝言ゲームで徐々に情報が不完全化していくとともに、誤った解釈が知らないところでなされていく危険性さえ感じて若干恐ろしさを感じました。

とにかく糖質制限はダイエット法であると。しかしなぜそうなのかがわからなければ

専門家が「糖質制限は危険だ」と言えば、それは専門家がそういうのだから間違いないのであろうと、疑う余地はなくなってしまうことでしょう。

さらに言えば、「なぜ糖質摂取を繰り返すことが悪いのか」ということにも当然考えが及ぶことはありませんので、

折角糖質制限の情報に触れたとしても、あっという間に元の木阿弥、情報はたちまち常識という名の多数派意見にかき消されてしまうのです。


情報の不完全化は致し方ない部分があると思っています。

いくら情報の話し手がわかりやすく、誤解のないように伝えようと心がけていても、

一定の割合で情報の受け手は情報を誤解し、それを誤った形で別の人に伝えてしまうというリスクはどうしても生じてしまうことでしょう。

リテラシーという言葉もよく聞くようになりましたが、まさに情報は話し手と受け手の双方の努力が重要なのであって、

お互いが努力し合う中で価値ある情報がやり取りされるし、そこから何かまた新しいものが生まれるという流れでもって人はさらに成長していくものです。

糖質制限での情報発信者の立場に回るようになってもう6年の月日が流れましたが、

ここに来て再び情報発信の限界と難しさを突き付けられたような想いが致します。

それでも、たとえ不完全に伝わることがわかっていたとしても、

なるべく正確に伝わるよう努力をし続けることしか

私達にはできないのかもしれません。


たがしゅう

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コメント

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理解のプロセス
自分自身の物事の理解の度合いを計る指標とその段階、プロセスは

(1)まず、ある事柄について、書物などに書かれていることをそのまま理解する。
(2)上記の内容に疑問を持つ。
(3)疑問を解決し、理解を深める。
(4)人に説明できる。
(5)得た情報をもとにアレンジできる。

です。

(1)の段階では、教科書に書かれていることをそのまま理解します。これができないとスタート地点に立てません。
(2)の段階は、違う方向から考えられる段階。正面からだけでなく側面からも考えてみると疑問が湧いてきます。即ち、自分なりの解釈が芽生え、そぐわない事があることに気づく段階。
(3)(4)では、理解したことを人に説明できる、質問に答えられるようになるまで理解度を高め、自分のものにする段階。
(5)は、高めた理解度をもとに他にも応用範囲を見つけていく最終段階。ここまで理解度が高められると1つの知識がいろんなことに生かせるようになる。

物事を理解できたかどうかを判断する材料として、自分自身の中で最低限としているのは「人に教えられる」段階まで理解する事です。そうでなければ理解したつもりになっているだけだでどっかで行き詰ります。
私はこの段階を非常に重視しており、仕事で新入社員などに研修するときも習ったことが人に説明できるようになったかどうかで理解度を判断しています。
「理解しました」と答えた人に「では、説明してください」と言って、明確に要点が説明できる事はほとんどありません。人に正確に説明するには、自分が思っている以上の理解度がなければできません。

そして、得た知識をアレンジしていろんなことに応用できるところまで理解度を高め、他の事象に結び付けることができれば、物事が多方面から理解できるようになります。

しかし、こういう物事の理解度を高めるプロセスを踏もうとしない人(教科書が正しいと思っている人、答えを教えてくれと言う人など)とは議論が成り立ちません。いくら議論しても答えにたどり着きません。知識の裏付けがなく、さらには間違っていることにすら気づいていない(説明しても本当の意味で理解できていない)のですから。
その時点で裏付けが間違っていてもいいのです。間違っていても明確であればあるほど、議論の中で間違は正していくことができますから。
問題は裏付けのない断片的な知識しか持ち合わさない事です。正すための間違った知識もないので正すこともできません。そこには間違ったぼんやりとしたイメージが存在するのみなのです。
Re: 理解のプロセス
西村典彦 さん

コメント頂き有難うございます。

納得のいくプロセスです。私自身も教えられるところまで理解を深めるよう日々心がけています。

多くの学校教育では(1)で止まっているのでしょうね。医学部教育もそうです。従って現時点では自然発生的に(2)の段階に入った少数派の人達が世の中の理解を深めていっている構造にあるように思います。

(1)を(2)の段階に引き上げるために他者ができることの一つに「質問を投げかける」があると思いますが、それでも主体性の育っていない人に対してはのれんに腕押しです。

結局はご提示のプロセスが重要であることに本人が気づかない限り、与えた情報の価値は十分に活かせないのではないかと感じる次第です。