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「ストレス」:たがしゅう哲学カフェ in 大阪〜前編〜

category - たがしゅう哲学カフェ
2019/ 10/ 23
                 
去る10月20日、大阪で「ストレス」をテーマに「たがしゅう哲学カフェ」を開催いたしました。

私を含めて8名の参加者で「ストレス」というものの本質について自由に語り合いました。

当ブログの読者の方ならおかわりのように、私は病気の根元に「ストレス」というものが深く関わっているとの考えを持つ医師で、

全ての病気の治療に際して主体的なストレスマネジメントを基本におくべきだという考えを持っております。

だからここに来ていま一度、「ストレス」とは何なのか、について深く掘り下げておきたかったのです。
            

まず最初に遅刻をするとストレスがかかる、という話から始め、それだと何故ストレスがかかるのか、何に対してストレスだと感じているのか、という話題から始めました。

というのは、今回主催者である私が開始時間に遅刻するという粗相を起こしてしまっていたのです。

私はこの疑問に対して「(遅刻によって)参加者の皆さんに嫌な思いをさせてしまうかもしれないことがストレスだ」と答えました。

ところが実際には参加者の皆さんは私が遅れて会場に到着するまでの間、楽しく談笑されながら待っていたというので、誰も嫌な思いはしていなかったのだというのです。

この事実を教えられて私のストレスはその瞬間に幾分か軽くなりました。

起こった遅刻という事象は全く変わっていないにも関わらず、です。一方で幾分か和らいだだけで完全にはなくなり切らなかったのは、

心のどこかで「そうは言っても私が罪悪感を抱かないように参加者の皆さんが温かく気遣ってくれているだけ」という考えが頭からぬぐいきれなかったからかもしれません。

そのことから分かることは、ストレスとは何か外部からの刺激によって引き起こされると考えられがちですが、

実際には自分の解釈如何、すなわち自分の内側からの思考によって生み出されているという側面が見えてくるのではないかと思います。

また「遅刻をされてあんまり何度も謝られるとこっち(参加者)も逆にストレスだ」という意見も聞かれました。

これも私の謝罪を聞くまでは存在すらしていなかったにも関わらず、繰り返される謝罪を見て、それをどう感じるかによってストレスが新たに生み出される構造を見てとることができます。

つまり「ストレスは内因性が強い」ということです。

そうするといかなる出来事をきっかけにしたとしても、自分の中で生み出される内因性のストレスは自分の捉え方次第でうまく処理できるということになるのでしょうか。

ここでもう一つ、「ストレスには外因性はないのだろうか」という疑問に行き着きます。

すなわち、自分の中で処理しきれないほど著しく大きなストレスがかかった場合はどうなのかについて考えてみることにしました。

この問題提起に対して我が子との死別を経験されたという参加者の方がおられましたが、

その巨大なストレス源を受けてしばらくは自分を責め続けていた部分があったし、誰にも相談できなかったという辛さがあったと告白なさいました。

かなり長いことそのことについて思い悩まれた時期があったそうですが、最終的にはその出来事を乗り越えることができ、

気持ちも新たに前向きに生きることができるようになったという体験談を語って頂きました。

その話を聞いてその場にいた参加者一同も考えさせられることがあり、逆にこちらが救われる所があったと感想を述べられた方もいらっしゃいました。

広い世の中にはもっと理不尽なストレスに苛まれている方もいらっしゃるのかもしれませんが、

それでも今回のお話を聞いていると、たとえどんなストレスであっても捉え方次第でプラスに転化できる可能性が感じられますし、

さらにはその乗り越えた壁が大きければ大きいほど周りの人へ与えられる勇気も大きくなるのではないかと感じた次第です。


まとめると、ストレスは外因性の強さによってそこからの立ち直りやすさは変わってくるけれど、

内因性の強さがあればたとえどんなに大きなストレスであっても乗り越えられて、

かつそれが大きなものであればあるほど、自分のみならず周囲に与える好影響も大きいと一般化することができるのかもしれません。

このこと以外にも「ストレス」をテーマにしたたがしゅう哲学カフェ、学ぶべきことが大変多かったです。

次回以降も私が得たことをシェアしていきたいと思います。


たがしゅう

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コメント

非公開コメント
        

哲学カフェ開催ありがとうございました。参加でき大変感謝いたしております。初めて人に話した内容もありました。家族・友人に話せば、かえって相手の気持ちの負担を増やすと考えていたからです。
 なにより今回参加してよかった点は、他の方と話すうちに、自分の中で、新しい気持ち、視点の誕生を実感した事です。会終了後も、ずっと気持ちの更新が続いています。
 テーマが良かった事、そして哲学カフェの原則が不可欠だったと痛感しています。
 先生の進行、大変リラックスさせていただきました。これはメンタルの治療としてとても有効ではないでしょうか。否定されない、最後まで聞くって大きいですね。
 嬉しくて、離れて暮らしている子にも哲学カフェの報告しました。私の、子ども達や孫たちへの接し方も変わりそうです。オンライン診療も伝えました。若者は、興味ありそうです。敷居の低い医療相談がメニューで出てくるのも良いかと思いました。
 長々失礼しました。これからも宜しくお願いします。
Re: タイトルなし
T さん

コメント頂き有難うございます。
司会進行をお褒め頂き恐縮です。しゃべりすぎてしまう節があるので反省する時もありますが、喜んで頂けて純粋にうれしく思います。

> 否定されない、最後まで聞くって大きいですね。

本当にそうなんですよ。たったこれだけのルールですが、これが非常に重要な役割を果たしていると私は思います。

逆に言えば、多くの医療現場で行われている医師患者間のコミュニケーションはこのルールとは逆の側面が強いように感じています。時間がないので話をさえぎるし、エビデンスという価値観にそぐわなければ容易に否定されます。
そうした枠組みとは全く異なる世界をオンライン診療の中で構築していきたいと考えています。

ハードルの低い医療相談の別表示のご提案も有難うございます。前向きに検討させて頂きます。