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まるで宗教のようなやり方とは

category - 素朴な疑問
2019/ 10/ 06
                 
開業して医者というよりも起業家、ビジネスマンのノウハウを学ぶ必要性を感じた私は、

最近努めてビジネスに詳しい人達との交流を持つように意識して活動をしています。

先日もとあるビジネスマン向けの講演会に参加した際、休憩時間で様々な方と挨拶がてら軽いコミュニケーションをとっていたら、

とあるビジネスに詳しい男性の方から、私がオンライン診療特化型のクリニックを開業し、その集患のためにセミナーを不定期開催しているという話をしたところ、

それは「まるで宗教のようなやり方ですね」という意見を頂きました。

一見嫌悪感を覚えがちなこの御意見に、私はむしろ痛いところをつかれた感じがして若干戸惑いを隠せませんでした。
            

というのは現在私が行っているセミナーが万人向けの内容でありながら、万人を集客するような仕組みに出来ておらず、

あくまでも私のブログを常日頃読んでくれているファンの方々のみを集めるファンミーティングのようになってしまっている現状を、その方は「まるで宗教のようだ」と評されたということなのだと思います。

確かに、私のセミナーは勿論少しでも病気で苦しんでいる人が一人でも多く減るようにというビジョンの下に行っているわけですが、

その割には参加費、開催場所、開催時間、開催方法などが玄人向けというか、はじめての人を取り込むための工夫がなされていないのかもしれません。

しかし一方で私は誰も彼も自分のクリニックに取り込みたいと考えているわけではない側面も強く持っています。

というのは私のクリニックで病気克服の恩恵を受けるためには主体性が不可欠であり、その主体性が乏しい患者さんが私のクリニックを利用してもかえって不幸な結果へとつながってしまう可能性があるからです。

本質的に自分の話だけ真剣に聞いてくれる人にだけ治療を施すというやり方なのであれば、

それは周りから宗教と称されたとしても仕方のないことなのかもしれません。


糖質制限全体で見ても、よく実践者集団が周りからまるで宗教のようだと称されることもよくあります。

そのあまりの効き具合に実践者は驚き、この方法こそが自分を治す最善の方法だと感じた人達がその提唱者の先生に心酔し、その心酔っぷりが宗教の教祖を信者が崇めるかのように見えても不思議ではないことでしょう。

ただ盲信は確かによくありませんが、自分の信念がありそこに共感してもらえる人とつながることを宗教と称するのだとすれば、

はたして宗教というのはそれほどネガティブなものでしょうか。私はそうには全く思えません。むしろ宗教で何が悪いのかとさえ思います。

私は自分の信念に共感する人とつながり、その輪を少しずつ広げていくことは充分価値のあることだと思っています。

そういう意味では相手を限定せずに、より多くの顧客とつながって収益を得るビジネスマンの形式に私は向いていないのかもしれません。

一方でビジネスが成立しないとその自分の信念を貫くための資金を稼ぐことができません。

なかなか辛いジレンマの中で自分がどう振舞うべきなのかということを、今深く考え直す必要性に駆られています。

自分の信念と照らし合わせて、それが守られつつもビジネスと成立するための動き方というのを探すより他にないのかもしれません。

あわよくば私の理念をビジネスとしてうまく回して下さる人と出会う必要があるのかもしれませんが、

今はただ、自分の中でこのジレンマについて考え抜き、最も心の治まり所のよいやり方を探していきたいと考える次第です。


たがしゅう

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コメント

非公開コメント
        

宗教と科学とオンライン診療
私もたがしゅう先生のオンライン診療(に対するアプローチ)をどう表現してよいのか適切な言葉が見つからないでいましたが、「宗教」と聞いて、ピッタリではないがそれに近いと感じました。
もしかしたら「哲学」の方が近いかもしれません。

>糖質制限全体で見ても、よく実践者集団が周りからまるで宗教のようだと称されることもよくあります。

これは、科学的でないものを信じて実践すると言う意味で使用される言葉だと思いますが、では医者の言う事をそのまま信じて実践しているほとんどの患者も宗教であり、信者であると言わざるを得ません。科学的根拠など、ほとんどの患者は考えているはずがありません。

では、科学的根拠とは何かという事になりますが、どこかの科学、医学雑誌に掲載されたという事でしょうか。それは何年後かに覆ることはないのでしょうか。
多くの医師も、ガイドライン等を「妄信」して治療しているのではないでしょうか。それが信じるに値する根拠は何なのでしょうか。

私は、現時点において糖質制限を推奨する医師もそれを実践する患者においても平均的な医師や患者と比べて非常に勉強熱心で科学的に理解しようとする態度においては評価すべきと思っています。
そういう意味で、糖質制限は宗教(妄信)ではないと思います。ただ、科学的、医学的に証明されていない部分があり、それも含めて実践(=実験)しているだけのことですが、それは標準治療においても同じことです。
だからこそ糖質制限は(主体性のない)マニュアル人間ではうまくいかない(標準治療での失敗とどっちが多いのかと言う疑問はありますが)と考えるのです。
※マニュアル人間とはマニュアル通りにしか実践できない、かつ、マニュアルの間違いにも気付かない人です。

それが、先日、たがしゅう先生がおっしゃった「1~2割しかうまくいかない」という事につながると思います。この割合は自分で考える習慣のある人の割合なのではないでしょうか。

前置きが長くなりましたが、オンライン診療と言うビジネスを展開するにあたって、その1~2割の人、さらに、自由診療と言う事で患者の負担が増えれば、それ以下の人を対象としてビジネスとして成り立つかと言う懸念があります。
1~2割の人を対象にするのではなく、それ以外の人でも、そこに導ける可能性のある人を見極める事、あるいはそこに導けるメソッドを提供する事が新しいビジネスにつながるのではないかと思います。
最初に対面診察が必要なのも折角のオンライン診療の足かせになると思われますが、出張対面診察などはできないのでしょうか。または、提携病院等での代理対面診察の可能性はないのでしょうか。

横からいろいろと口出しして申し訳ありません。新しい事を始めるのは、苦労が多いと思いますが、ぜひ成功させてください。
Re: 宗教と科学とオンライン診療
西村典彦 さん

 コメント頂き有難うございます。

> 私もたがしゅう先生のオンライン診療(に対するアプローチ)をどう表現してよいのか適切な言葉が見つからないでいましたが、「宗教」と聞いて、ピッタリではないがそれに近いと感じました。
> もしかしたら「哲学」の方が近いかもしれません。


 宗教と哲学と科学の違いについては、以前読んだ「幸せになる勇気」という本を通じて考えた事があります。
 三者三様ですが、共通するのは「わからないことをわかろうとする」という方向性です。
 そして三つの中で私は哲学のスタンスが一番しっくりきます。

 2016年3月29日(火)の本ブログ記事
 「私は哲学者でありたい」
 https://tagashuu.jp/blog-entry-677.html
 も御参照下さい。

 哲学者のスタンスは永遠に考え続けることです。わかることを増やし、わからないことも認めつつ、それでもよりわかろうと歩き続けることです。科学に軸足がよると全てをわかった気になって盲信的になりますし、宗教に軸足が寄り過ぎても疑う心を失ってしまいます。哲学のスタンスはそのちょうど真ん中に位置する私にとって最も心地がよいスタンスです。

 そういう意味では私のオンライン診療の試みは哲学的なのかもしれません。
 糖質制限など科学でわかっている事を利用しながらも、見えないストレスマネジメントやホメオパシーなどの漠然としたものの価値も見過ごしません。それでもなぜにこだわりながら患者さんが健康になるための道筋を探し続けようというスタンスだからです。


> 最初に対面診察が必要なのも折角のオンライン診療の足かせになると思われますが、出張対面診察などはできないのでしょうか。または、提携病院等での代理対面診察の可能性はないのでしょうか。

 提携病院などではありませんが、私が主催するオンライン診療実践セミナーにご参加頂ければ同時に対面診察を行うことができます。このセミナーが出張対面診察のようなものですね。

 セミナー情報 https://www.tagashuuonlineclinic.com/%E3%82%BB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%BC%E6%83%85%E5%A0%B1/

 応援頂き心より感謝申し上げます。
ブランディング
「世の中に広める」という意味ではビジネスも同じだと思いますので、適宜参考にしてもよいのではと思います。
「リブランディング」「デザイン」という言葉、昨今のビジネス業界ではよく耳にするようになりました。
元々存在した物に「デザイン」を施し、「価値を高め」て流通させる手段を「リブランディング」というようです。
例えば、高知県四万十地区で昔からたくさん収穫されていた栗。
地元では特段命名もせずに「栗」として1キロ当たり数百円と安価で販売し、しかもあまりに豊富に取れる為、京都へ行き「丹波栗」の代替品として銘菓店に並んでいたという「名もなき栗」でした。
そこに有名な「デザイナー」が「四万十地栗」と命名し、円の中に大きく「地」とインパクトのあるロゴマークを作成し、栗の安心・安全な生産過程や品質管理をネット動画で紹介し、販売を始めたところ売り上げが急増。
広く知られるようになり、今では東京で1キロ数千円で売れる、以前の5倍ほどの商品になったようです。
価値が上がったわけです。

このケースでのポイントは「キャッチーなネーミング」「目を引くロゴマーク」「安心・安全の周知」だと思いますが、この中にヒントは隠されていないでしょうか?
「宗教のようだ」という表現に見受けれるように「謎めいている」点が展開の足かせになっているような気がします。
「良くても価値が見えないもの」は世の中に多数存在していると思います。

Re: ブランディング
だいきち さん

 コメント及び御助言頂き有難うございます。

> 「キャッチーなネーミング」「目を引くロゴマーク」「安心・安全の周知」だと思いますが、この中にヒントは隠されていないでしょうか?
> 「宗教のようだ」という表現に見受けれるように「謎めいている」点が展開の足かせになっているような気がします。


 御指摘のように「謎めいている」という点に宗教らしさが含まれているようにも思います。
 私がこれからすべきことの一つに、オンライン診療の実際とその効果・実績を見える化して、「得体の知れなさ」を少なくしていく事だと思っています。それと同時に伝え方を洗練させていくこと。セミナーを繰り返して、より良い物を作り上げていく努力を怠らないようできることを着実に頑張って参りたいと思います。
患者の主体性
しらねのぞるば です.

私も 今 患者の主体性について考え始めたところです.
最近 糖尿病医療学が提唱され,『患者に寄り添う医療』が強調されているのですが,どうも少し違うんじゃないかなと感じています.

https://shiranenozorba.com/2019_10_09_diabetes-medical-science2/

患者は同調を求めているわけではないし, また医師が患者に迎合しても何かが進むとも思えません.
Re: 患者の主体性
しらねのぞるば さん

 コメント頂き有難うございます。

 ブログ記事、読ませて頂きました。
 毎年糖尿病学会へ参加され、いつも鋭い視点から詳細なレポートを書かれているしらねのぞるばさんならではの興味深い記事で、続きが読みたくなる内容と思いました。続きも楽しみにしております。