哲学に基づく医療
2019/08/02 09:30:01 |
ふと思った事 |
コメント:6件
私が哲学カフェにハマっているのは、それが「主体性」を尊重する試みであるからです。
話したい人が自由に発言し、話したくない人は自由に聞き入ってよい、そして話したくなればいつでもスタンスを変えてよい、
そして相手の意見を全否定しない。こうした誰に何も強制しない自由なコミュニケーションはその人の主体性を育む土台を作ることができます。
これを組織内でのコミュニケーションに応用することはできないでしょうか。 ただ哲学カフェは結論を出す必要がないので、どんな意見も自由に出したとしても成立させることができますが、
組織内コミュニケーションの場合はそういうわけにはいきません。現実的に組織としての一定の妥当性がある結論へ帰着しなければ組織の体をなさないはずです。
ですが、それでも組織を構成する人達の主体性は最大限尊重されるべきだと思います。そしてそれぞれの人達の希望が最大限叶うであろう方向性を見出す必要があるのではないでしょうか。
その全員にとって納得のいく方向性を見出すために哲学カフェ的組織内コミュニケーションは極めて有用ななのではないかと私は考える次第です。
私は今病院を離れてフリーの身で、ひとまずは基本的に一人でのクリニック開業を目指しますが、
将来的に職員を雇い少しずつ組織の形を作っていくことになった時には、組織を構成するメンバーと哲学カフェ的コミュニケーションを図る場を作ることを自らの義務として課したいと思います。
そうやってメンバーと一緒になって良いクリニックを作っていくことが良い組織への第一歩となるのではないかと私は考えます。
じっくりと考えて、他人と意見をすり合わせるというのは人間が理性を持ち、言葉を生み出したからこそ為せる芸当です。
この能力を使わないに越したことはありません。さもなくば組織は惰性化し、いつのまにか本来向かうべき方向から離れてしまうことにもなりかねません。
もう一つ、哲学カフェ的コミュニケーションは医師対患者間のコミュニケーションにも応用されるべきです。
中でも「科学的根拠に基づく医療(Evidence Based Medicine:EBM)」が誤解的に広まったせいで、
医師が患者の意見を全否定せずに受け止めることが多くの病院で行われ難いのが偽らざる今の医療の現状だと思います。
そんな中で患者の意見を全否定せずに聞いてもらえる医師の存在は貴重なはずです。
さらには全否定なしを前提としたコミュニケーションの中で、考えは患者自身の内省に及び、
今までの医療では考えもしなかった解決策へ行き着く可能性も高まるのではないかと私は考えています。
まさに私がこれから目指す医療の形は哲学に根ざしているといっても過言ではないかもしれません。
言わば「哲学に基づく医療(Philosophy Based Medicine:PBM)」です。
この可能性、追求していきたいと思います。
たがしゅう
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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コメント
患者さんがどう生きたいのかを自覚的に医療者が受け取って尊重しながら専門家としてケアすること。
医療者自身が自分の想いを丁寧に扱っているからこそ、患者さんの想いをきめ細かく受け取ることができるのだと思います。
実現を応援しています^^
Re: タイトルなし
コメント頂き有難うございます。
また哲学に基づく医療の意義を御理解頂き嬉しく思います。
考えてみれば哲学はストレス源となる人生の様々な問題にこれまで立ち向かってきました。そこで得られた叡智はきっと医療の役にも立ってくれるはずと思います。
信仰と言う治療、信者と言う患者
巷には、いろんな方法で糖尿病(に限らず)を克服しようと言うメソッドがあり、ブログなどで情報発信されています。
それらは、レベルの低い仮説であったり、科学的根拠が欠如していたり、あるいは正論に対する反論的な方法まで様々です。
しかし、共通しているのは誰かが、あの方法で良くなったと言う情報や、別の方法で悪くなったと言う情報を発信して信者を獲得すると言う心理的手法です。
科学的根拠のないものに縋りたいと思うのはもはや医療ではなく、宗教ではないでしょうか。精神的安定にはこれも必要かとは思いますが、やはり「誰かが」ではなく、主体性をもって臨まないと後で後悔する気がします。主体性があれば、例え失敗しても納得できるのではないでしょうか。
※宗教を否定するものではありません。
Re: 信仰と言う治療、信者と言う患者
コメント頂き有難うございます。
科学的根拠のないメソッドから科学を誤用しているメソッドまで、情報社会は混迷を極めているように私には思えます。
本来「◯◯で病気がよくなった」というのは貴重なN=1事象で大事にされるべき対象ですが、問題は多くの人が主体性なくその情報を鵜呑みにしてしまうということ、もう一つは◯◯という物質面のみに注意が向けられて、心理・体質・霊魂など科学ではまだまだ到底把握しきれていない要素が半ば無視されたまま「科学的根拠がある!」と大手を振られているケースが多いということです。
少なくとも個々の事象が自分にどれほど当てはまるのかを確かめる主体性は健康を守るために必要不可欠です。
まるで船の進路を人から聞いた情報だけで決めているようなもので、それでは自分の生きたい場所へたどり着くことはまず不可能だと私は思います。
また何が科学でわかっていて、何が科学でわかっていないことなのかを意識する謙虚な姿勢も重要だと思います。
これからのご活躍を!!
Re: これからのご活躍を!!
コメント頂き有難うございます。
糖質制限をやる目的は、血糖値を安定化させることでも、体重を減らすことでもなく、「体調を良好に保つこと」にあると私は考えています。それが保てないようであれば糖質制限をやる必要はないし、ストレスを感じるかどうかには人間の価値観が深く関わっていると考えています。それゆえ糖質制限に著しいストレスを感じる人が出て来て、その慢性持続性ストレスによって体調が悪くなるという現象が起こることも理解できます。健康を守る鍵は価値観にあると言っても過言ではないかもしれません。
御提示頂いた90歳の方も世間で言われている価値観よりも自分の体調を信じて調子を戻されたということなのでしょうね。その方にとっては体調を良好に保つための方法が「なんでも食べて毎朝歩くこと」だったと、いかにストレスを感じないように生きることが重要であるかという事を考えさせられる次第です。
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