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医療への意識を変えるために私ができること

category - ふと思った事
2019/ 07/ 11
                 
先日の縁起でもない話をしよう会で与えられた宿題、

「国民の医療への意識を変えるために私達一人ひとりに何ができるか」について改めて考え直してみたいと思います。

少しおさらいをしますと、夕張市の医療再生モデルの特徴は、

自分たちで何とかしようという意識が半ば強制的に醸成され、またそれを支援する医療システムが速やかに構築され、

さらにもともと地域のつながりが強固であったことが、うまくいった大きな要因であったであろうと思われます。

それをもし、今自分たちが住む地域で再現するとすれば、私に何ができるでしょうか。
            

これを病床数を激減させるという荒療治を行わずに実現するためにはどうすればよいでしょうか。


まず個人の意識を変革させると言っても、他人の意識を自分が思い通りに変える事は基本的にできないと私は思っています。

となれば、他人がうまく変わってくれることを願うことしかできないわけですが、

変えることはできなくても、変わるきっかけを与えることならできるかもしれません。

一つ私にできそうなのは、このまま病院中心型の医療に依存して、自分で考えることを放棄し続けることによって果たしてどんな事が起こるかということを、病院の実態を知らない一般の人達が具体的に想像しやすくなるように情報を与えることです。

例えば、風邪を引いたらとりあえず病院に行くという行動を繰り返していればどうなるか。

病院に行けば今でもかなりの確率で抗生物質が処方されると思います。風邪の原因は9割ウイルスだと考えられていますので、

抗生物質は処方してもしなくても、多くの場合は大差なく風邪は治っていきます。

ただし無理をすればこじらせます。無理をするというのは仕事に行きながら風邪を治そうとしたり、食欲がないのに無理に食べようとする行為などのことです。

従って、風邪を治そうと思ったら、病院に行くのが先というよりも、きっちりと仕事を休んで食欲がなければ無理に食べずに汗をかいてのどが渇けばこまめに水分を摂るという風に治すのが基本となります。

でも病院に行って抗生剤を処方してもらった方が安心だし、抗生剤が効かなかったからと言って別に悪さをするわけじゃないのなら安心のためには別にいいのではないか、と思われるかもしれませんが、

抗生剤が悪さをしないというのは誤解です。抗生剤は効かないだけでなく、腸内細菌、口腔内細菌、皮膚常在菌など普段から人体に生息している細菌達をもしっかりと攻撃します。

人体は細菌との共生によって代謝バランスを保っている側面があるので、むやみに常在菌が攻撃されることは、身体の代謝バランスを乱すことにつながりかねません。

例えば、消化吸収能力が低下し、エネルギー産生効率が低下したり、アレルギーを惹起したり…。今や常在菌は様々な病態と関連している事がわかってきています。

なので、病院に任せ熱を出す毎に抗生剤を受け取っていれば、次第に何度も熱を出す体質へと変わっていったり、

いつの間にか原因不明の難病に襲われたりすることへとつながっていってしまう可能性があるわけです。

こういうことを知っているかいないかだけでも、何も考えずに病院に任せるという気持ちにブレーキがかかるのではないでしょうか。


あるいは病院に任せ続けた結果起こる胃瘻や中心静脈栄養という処置について、

私達医療関係者にとってはどのようなものかがわかって当たり前ですが、一般の人達はその意義についてどれだけの事を知っているでしょうか。

ここを「先生にお任せ」してしまうと、非常に不本意な治療を受けることへとつながりかねません。

それでも胃瘻は大分周知されてきたこともあって、どういうものかをイメージしやすくなってきたと思いますが、

その意義について深く考えたことのある人ははたしてどれだけいるでしょうか。

胃瘻とは、基本的に口から食べられない人に対して行う代替手段で、何が原因で口から食べられなくなったかによって、その後胃瘻をずっと使い続けるのか、一時的な使用で済むのかという運命が変わります。

脳卒中などで重度の嚥下障害が不可逆的な後遺症として残った場合には、胃瘻を作ることは口から食べられない状態のまま栄養だけは胃から送り続けられることを意味します。

それがもし自分の立場だと考えたらどうでしょうか。はたしてそのような治療を自分は希望するでしょうか。自分が希望しないのであれば家族はどうでしょうか。家族も同じような気持ちになるのではないでしょうか。

だからと言って胃瘻を作らなければ見殺しになるではないかと思われるかもしれませんが、見殺しではなくそれは天命だという見方もできます。

栄養を与えて少しでも長生きしてもらう行為だと思うかもしれませんが、見方を変えれば本人にとって苦痛のある生を強制しているとみることもできなくもありません。

病院の選択に任せてしまえば、その辺りを検討することなく、胃瘻の選択肢が問答無用でとられることになります。

そうした問題を具体的に自分の立場に落とし込むところまで考える場を作ること、また考えるための情報を提供することが最後まで自分らしい人生を選び抜けるようにするために大切なのではないかと私は思うわけです。

中心静脈栄養に関して言えば、はたしてどういう処置でどんな危険があり、どれだけ栄養を与えることができ、どんな内容の栄養製剤があるのかという事について医療関係者でもない限りは完全に把握している人は稀だと思いますが、

その細かな知識が本当に中心静脈栄養を行うべきなのか否かを判断するために非常に重要になってきます。

従って、難しいからと病院に任せてしまえば、これもまた不本意な最期へとつながってしまう温床になってしまうわけです。

私ができることは一般の皆さんがあまり知らない医療の知識をできるだけわかりやすく伝えることによって、

皆さんが医療について考え直すための土台を作るお手伝いをすること
なのではないかと思います。

勿論、土台を作って、皆が意識を変えてくれるとは限りません。それこそあとは願うより他にありません。

しかし何もしないことに比べたら、ずっと未来に可能性が見いだせるのではないかと思います。

そう考えて私はこれからも医療について、なるべくわかりやすく語り続けていきたいと考える次第です。


たがしゅう

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You can take a horse to the water, but you can’t make him drink.
You can take a horse to the water, but you can’t make him drink.

イギリスの諺のようですが、「馬を水辺につれていくことは出来ても飲ませることは出来ない」との訳

「本人次第」とのマイナスな捉え方も出来、一方「導くことの必要性」とのプラスの意味合いもあります。

各国の医療の「思想」は政治思想に左右されているのが現状です

現在の日本の政治は、悲しいですが西洋医療に絶対的な地位を与えています

むしろヨーロッパ諸国の方が東洋医療に注目していると聞きます

どなたかが水辺に連れて行ったからこそ飲むことができるのでしょう

先生の「連れていく」手段としてオンライン診療を見出していると思いますが、大変期待しています


Re: You can take a horse to the water, but you can’t make him drink.
だいきち さん

> 先生の「連れていく」手段としてオンライン診療を見出していると思いますが、大変期待しています

有難うございます。

とにかく選択肢を作りたいと思っています。
科学の信頼できるイメージも相まって、不運にもその使い方を履き違えてしまってこじれにこじれてしまった医療構造の中で、それでも主体的であれるように私ができるサポートを必要とする人に届けられるようにしたいと考える次第です。