エビデンスレベルが高くても不完全

2019/06/16 23:15:00 | よくないと思うこと | コメント:0件

前回、世の中の出来事の因果関係を証明するのは難しいということを書きました。

しかしながら医学あるいは経済学は、その困難さを統計という科学的な手法を用いて乗り越えてきたので、

これらの学問が「因果推論」と総称されるその手法で検証された二つの関連性がある現象は「科学的に因果関係ありと証明された」と考えてよいので、

それらの信頼できるデータを元に世の中の様々な問題を考えていくべきだというのが、前回記事で紹介した「原因と結果の経済学」という本の要旨でした。

こちらの本では前回紹介した「ランダム化比較試験」という方法以外にも、「自然実験」や「擬似実験」、あるいは「回帰分析」という手法を用いて因果関係を推測できるということが書かれていました。 いずれの方法もややこしい話でわかりにくいのでそれぞれの詳細はここにあえて書きませんが、

ざっくりと言えばいずれの方法も「もしも一定の条件を満たせば」というただし書きが満たされてはじめて成立するという検証方法となりますので、

ランダム化比較試験に比べてそれらの方法によって導かれるデータは信頼度が低い、言い換えれば「エビデンスレベルが低い」と言われています。

逆に「ランダム化比較試験」よりもエビデンスレベルが高い方法として「メタアナリシス」という方法が紹介されています。

「メタアナリシス」とは、複数の「ランダム化比較試験」の結果を統合し解析する手法のことであり、

「メタアナリシス」がいろいろある統計学的手法の中で最も確実に因果関係を証明できる方法だと言われています。

ところがこの「メタアナリシス」という手法をめぐっては、私が深く関与している糖質制限界で2013年衝撃が走る出来事がありました。

それは俗に「能登論文」と呼ばれる当時国立国際医療研究センター病院の医師で統計学にも詳しい能登洋先生が糖質制限について「メタアナリシス」を用いて解析した糖質制限と寿命の関連を示した論文です。

「能登論文」の結論はなんと「糖質制限を5年以上続けると寿命が縮まる可能性がある」というものでした。

先程からの話の流れで言えば、この結論が「メタアナリシス」によって示されたので、「糖質制限が寿命を縮めるは因果関係あり」が科学的に証明されたことになってしまいそうですが、

この「能登論文」、実はその制作過程において大きな問題をはらんでいるものでした。

何が問題なのかについての詳細は、糖質制限の第一人者である江部康二先生が明確に論破されているので、興味のある方はそちらのブログ記事もご覧頂きたいのですが、

ここでは要点だけ述べると、世の中には糖質制限が病気を改善させると結論づけたランダム化比較試験と逆に悪化させると結論づけたランダム化比較試験の論文が、

私の知る限り若干改善の論文が多めで存在しているにも関わらず、

能登論文の選出方法で選ばれた複数の「ランダム化比較試験」論文はなぜか悪化の結論の論文が多めであったという謎があるのです。

もしかしてそこに恣意が入っていたのではないだろうか、あるいは公正な基準で選出されたとしてなぜ悪化論文多めになってしまうのか、

部外者の私が考えても想像の域を出ることはできませんが、

少なくとも最も信頼できるとされている「メタアナリシス」でさえ、そこにはつけ入る隙があるということは言えるのではないかと思います。

また私が「能登論文」の結論に全く納得がいかない理由がもう一つあります。

それはまともな糖質制限をずっと続けている人のほとんどが長くともまだ20年未満の期間です。

20年以上糖質制限を続けている人も世界を見渡せばいるにはいますが、信頼できるデータを持っている人は数えるほどしかいないはずです。

要するに「糖質制限と寿命との関連における結論はまだ出せるはずがない」のです。

にも関わらず、「能登論文」の結論は「糖質制限は寿命を縮める可能性がある」ですから、これは一部の事実から結論を推測する行為に過ぎないということです。

もっと言えば、糖質制限をしっかり実践した人は私の臨床経験上8〜9割の確率で体調が良くなり、

なおかつ動脈硬化に関連する血液検査マーカーが改善したり、頚動脈のプラークが退縮したりしています。

それなのに「糖質制限が寿命を縮める可能性がある」と言われても、全く持って信じ難い話にしか聞こえません。

結局、最高峰の「メタアナリシス」でさえ、現実に即さない結論を導き出すほどに不完全性が大きいということなのです。

ましてやそれよりエビデンスレベルの低い数々の方法となれば、その信頼度は押して知るべしです。

それなのに医学の世界では「塩分を摂りすぎると高血圧になる」とか、「コレステロールが高いと動脈硬化が進行する」などの関係があたかも因果関係がすでに証明されたかのように話が進められてしまっているのです。

はっきり言って、上の二つの例も含めて医学の中で言われていることのほとんどは因果関係が証明されていないと私は考えています。

ではどうすれば医学における様々な事象の因果関係を証明していけばよいのでしょうか。

逆に医学の世界で因果関係が証明されているものがあるとすれば、例えば「転ぶ→怪我をする」です。

これの証明に「ランダム化比較試験」や「メタアナリシス」なんかは不要ですよね。

なぜならばそこには再現性があるからです。いつどこで誰がやっても再現されるという普遍性があるからです(転び方によっては怪我しないかもというツッコミはここでは御容赦下さい)。

そう、科学的というのであればこの普遍性再現性が統計学的手法よりはるかに大事なことなのです。

ところが医学において普遍性と再現性を求めるのは極めて困難です。なぜならば生物多様性というものがあり、人にはそれぞれ個人差というものがあるからです。

Aという人にある介入をしたらXという現象が起きた。ところがBという人に同じ介入をしてもXという現象が起きるとは限らないという現象は稀でなく起こります。

わかりやすく言えばタバコを吸い続けて肺がんになる人とならない人がいます。そうあの有名な「タバコを吸うと肺がんになる」でさえ因果関係は証明しきれていないと私は考えます。

統計学的手法はこの個体差を集団にして無理矢理均一化させることで因果関係を導いたかのように見せかけているだけとも言えます。

なのでそうやって導かれた因果関係、即ち論文で導かれた因果関係の結論は、本質的にはどれもこれも証明されていないということなのです。

じゃあどうすればいいか。確実なことは自分の中で起こる事実だと思います。即ち統計学的な手法がそもそも不完全なのであれば、

自分の中で、普遍性はともかく、再現性を確かめていく作業は科学的な態度だと私は思います。

例えば糖質50g摂取して血糖値が150mg/dL上昇するという出来事が、

何度試しても自分の中で確認される現象であれば、他人はともかく少なくとも自分の中では科学的に因果関係が証明されたと言って良いのではないでしょうか。

あるいは試しに糖質を抜いてみたら食後の眠気がなくなった、また糖質を食べたら食後に眠くなった。

何度繰り返してもこの現象が再現されたなら、同様に因果関係ありと言ってよいはずです。

個体差がある以上、無理に集団での結論を出そうとせず、そうした一つ一つの事実を着実に蓄積していき、

やがて色々な人達で同様の出来事が起こっていることが確認できれば普遍性さえも証明できてくるはずです。

塩分やコレステロールに関しても同じような方法で個人の中で再現性を確認し、その結果を多くの人でも同じことが起こるかどうか確かめていく。

そうすれば統計学的に解析されたデータよりもよほど信頼のおける因果関係が導き出すことができると私は考えます。

最後に誤解のないように言いますと、私は「ランダム化比較試験」や「メタアナリシス」によって導かれた結論が全てウソだと言っているわけではありません。

それらの結論が事実を反映している場合もあるでしょう。ただしそれは言ってみればたまたま当たったというようなものであり、その結論だけで完全信頼できるという類のものではなく、多分に不完全性をはらんでいるということです。

そして現実に起こっている事実をつぶさに観察し、かつ事実を蓄積していけば、論文のデータが真なのか偽なのかを判断することは不可能ではないと私は考える次第です。


たがしゅう
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