Post

        

非難より批判

category - ふと思った事
2019/ 03/ 19
                 
芸能人の薬物使用問題に対する過剰なバッシングの怖さについて記事にしましたが、

本日はこの「バッシング」というものに注目して思考を発展させてみたいと思います。

「バッシング (bashing) 」とは、Wikipediaによれば個人・団体の行為に対する過剰または根拠のない非難」という意味だそうです。

また「非難」とは、「欠点やあやまちなどを責めとがめること」という意味があります。

さて人はどんな時に「非難」をしようと思うのでしょうか。
            

例えば、自分が許せないと思うことが起こった時、あるいはみんながルールを守っているのに一人だけそのルールから逸脱している時などに非難は生まれるように思います。

哲学者のアンジェラ・スミスは、「非難」には「単なる否定的な道徳的評価」と「厳しい仕打ちを含む表立った道徳的制裁」の二つの側面があることを指摘しています。

前者は例えば、「あの人は教師のくせに服装がきちんとしていない」という非難が一例となるでしょうか。

後者はまさに芸能人の違法薬物所持にマスコミが総動員でバッシングするような非難が該当すると思います。

非難という現象が起こるためには、「○○でなければならない」という固定の価値観が関わっているように思えます。

一方で非難と似た言葉に「批判」があります。

「批判」は、「良い所、悪い所をはっきり見分け、評価・判定すること」という意味です。

「非難」と「批判」を比べてみると、両者は似ているようで全く質が異なる行為であることにお気づきでしょうか。


私は主体性にあふれる世界では非難は生じえないと考えています。

なぜならば非難が生じるために必要な固定の価値観は、自分ではない誰か別の人間や集団、あるいは社会によって定められたものでなければならないはずで、

主体性にあふれる世界では、誰かが決めたことに縛られるのではなく、常に自分の頭で考えて決めていくので、

たとえ自分の行動によってどんな結末が訪れたとしても、決して後悔することはないはずだからです。

決して誰かを非難しようとは思わないはずです。

例えば私は主体的に糖質制限という食事療法を行うことを選択しましたが、

これからそれによって万が一どんな健康被害を受けたとしても、糖質制限賛成派の人達を非難することはありません。

なぜならばそれは自分で決めたことであるからです。

つまり非難をする人は、自分で考えて行動するのでなく、誰かの価値観によって行動しているという事の現れなのではないでしょうか。


一方で主体性にあふれる世界でも、「批判」は必要だと考えます。

もしも自分の頭で考えて「すべては自分の責任」との考えで動き続け、

誰か悪意のある第3者に騙されて何かしらの損害を自分が被るということがあった場合、

相手の行動に対して何もリアクションをしないのではなく、相手の行動の中の問題点について「批判」をする必要性は出てきます。

ただしそれは相手に断罪を求めたり、相手を貶めようとする行為とは全く異なります。それではやはり「非難」です。

そうではなくて、自分の頭で考えた価値観の中でみて、正しいと思う点と誤っているという点を評価するという行為です。

自分の価値観と異なる点はどこであるかを指摘し、自分の中での価値観とのすり合わせを行う必要があります。

そうすることで自分の中での秩序を保つことができるようになるはずです。

具体例で言えば、私が糖質制限をしているのに対し、

とある権威的な医師が「糖質制限は危険である」というようなことを大々的に発言するといった状況を思い浮かべてみて下さい。

「自己責任で自分の頭で考えていれば正しい」とスルーするようなら、それは主体的ではなくむしろ思考停止です。

私が自分の頭で考えて到達した「糖質制限は健康の基本」という考えとあまりに食い違うのであれば、

そのどこがなぜ違うのかという点についてやはり指摘する必要があります。これは攻撃的な行為ではないのです。

ここで哲学カフェでの「相手の意見を全否定しない」という言葉も思い出されますが、

100%自分の意見と違うという意見は存在しないはずです。100%違うという風に見えても、実際には98%であったり、90%だったりするものなので、

その肯定的要素が少しでもあれば、私の主張は「攻撃的行為」になりきることはないはずです。

上記の例で言えば、「糖質制限は危険という見解自体は自分の見解と異なるが、そう考えるに至った背景は理解できる」という感じでしょうか。

このように、「批判」であれば、自分の思考の発展へとつながり極めて建設的な行為となるわけです。

医学論文を読む際にも「批判的吟味」という態度が推奨されます。

これは、得られた情報をすべて鵜呑みにするのではなく、偏ったりしていないかミスが隠れていないかなどを慎重に判断しようとする態度のことです。

私は、皆が主体的で非難せずに批判をし合い互いを発展させていく、

そんな世界になっていくことを望んでいます。


たがしゅう

関連記事

            
                                  

コメント

非公開コメント
        

スレ違いの質問です
スレ違いで申し訳ありませんが、「ゲノム編集食品が政府への届け出無しに販売可能となる」云々との報道を耳にしました。

人体に対しての「遺伝子レベルへの人為的介入」は「批判」に値すると個人的に思っています。

食品についても同然です。

先生のご意見を是非お聞かせください。
Re: スレ違いの質問です
たか さん

 御質問頂き有難うございます。

> 「ゲノム編集食品が政府への届け出無しに販売可能となる」云々との報道を耳にしました。
> 人体に対しての「遺伝子レベルへの人為的介入」は「批判」に値すると個人的に思っています。
> 食品についても同然です。
> 先生のご意見を是非お聞かせください。


 私は自然重視型医療の立場なので、自然に起こりえない人為を加える事には慎重です。
 ただし、「湿潤治療」のように適切な人為を加えることでうまくまわるというケースもあるので、人為を加えること自体が悪いというわけではないとも思っています。

 総論的には加えた人為によりおかしな方向に向かう場合には、自然重視のやり方を見直すという姿勢が大事だと思います。
 各論的にはまだまだ知識不足、検証不足のところがあり、私の中では「保留」の事案です。

 2016年11月6日(日)の本ブログ
 「自然に人為を加える」
 https://tagashuu.blog.fc2.com/blog-entry-772.html

 2018年6月10日(日)の本ブログ
 「保留力」
 https://tagashuu.blog.fc2.com/blog-entry-1374.html

 も御参照下さい。