個人の中と社会の中での不可逆的変化

2019/02/17 08:40:01 | ふと思った事 | コメント:0件

変化を好む2割、変化を好みもしないし嫌いもしない6割、変化を嫌う2割という話をしました。

また変化を好む2割+中間の6割、合わせて8割の人は、変化に遭遇した時に認知的不協和を解消するためにそれぞれの対処行動をとるという話もしました。

そして変化を嫌う2割は、変化に遭遇した時にもその変化に気付ききれないという話もしましたが、

最後の2割の人がとる行動は、「もはや変化に適応できなくなった状態」だと言い換えることもできます。

私はこうした人達の行動を個人の問題ではなく、社会全体の病理ではないかと思うと表現しましたが、

もはや引き返すことができなくなったこの状態と、細胞における不可逆的な変化というのは共通構造を持っているように思えます。
細胞にもまだ取返しがつく可逆的変化と、もう元に戻ることができない不可逆的変化があるのと同様に、

人間の営みにも可逆的な変化と、不可逆的な変化があるということです。

私達が糖質制限という素晴らしい食事療法の変化について、従来の糖尿病治療を推し進めてきた医師達やその関係者達に対して、

なぜ理解できないのかとか、医師としての矜持はないのか、などと責め立てる行為というのは、

まるで不可逆的に変性しきってしまった細胞に対して、元のいかようにも変化することのできる多能性幹細胞に戻りなさいと言っているようなものなのかもしれません。

その細胞がまだ可逆性を残した細胞であれば、そうした努力が意義深いのはわかります。

しかし可逆性が極めて乏しい細胞に、いくら優れた方法で働きかけたとしてものれんに腕押しなのではないでしょうか。


私は以前、認知症のような不可逆的な消耗疲弊病態に対する治療戦略についてまとめました。

この方法論を社会の不可逆的変化としての糖質制限を絶対に認めない、認められない人達へ当てはめるとどうなるでしょうか。

不可逆的な段階に入った病態への治療の基本をまとめると、
①完全に治そうとしない、②増悪因子を極力除去、③残った機能に見合った寛解因子を加える、の3点です。

火事でたとえれば、まず火事の前の状態に戻れないことは覚悟すること、これ以上悪化させる火種を入れるような行為は避けること、まだ焼け残っている部分を最大限残すために適切な消火活動を行うことです。

認知症治療で言えば、認知症前の元気な姿へ戻そうとするのではなく今の残存機能で最大限の状態を回復の目標におくこと、薬の副作用や不適切な食事、生活環境などは可能な限り除去すること、そして副作用が起こさないように常識外れの少なさで薬を使ったり、副作用の少ないサプリメントなどを用いることで残存機能を最大限に有効活用することです。

さて社会の不可逆的変化に対してはどうすべきでしょうか。

①糖質制限反対派が糖質制限賛成派に寝返ることをそもそも期待しない
②糖質制限反対派の人達が嫌がるような彼らの価値観や彼らが今までやってきて手に入れてきた誇りを傷つけるような行為や活動をしない
③それでも糖質制限という選択肢があることを、静かに穏やかに情報を公開し、彼らがその情報にいつでもアクセスできるように門戸を開いておくこと


そのようにすべきなのではないかと私は考える次第です。

怒る気持ちも当然、悔やむ気持ちも当然です。なぜもっと早く教えてくれなかったのか、と。

しかしこれは個人レベルの問題ではなく、ねじれ込んだ社会全体レベルの問題なのです。

そして同じような構造は自分の身体の中でも起こっているかもしれない問題です。

自分はそんな人とは違うと区別するのではなく、

なかなか受け入れられないかもしれませんが、「自分にも不可逆的な部分はある」というように自分事としても考え直してみるのはどうでしょうか。

そう考えると、自分がなすべき行動の方向性も変わってくるのではないでしょうか。


たがしゅう
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