解釈を事実化する作業

2019/02/01 00:00:01 | 主体的医療 | コメント:0件

私が提唱する「主体的医療」において、

考え方の基盤となる「事実重視型思考」について少し掘り下げてみます。

「○○でがんが治る」

こうした情報に遭遇した場合に、まずはこれが事実か解釈かということを考えるわけですが、

私から見れば、これは明らかに誰かの「解釈」だと捉えられます。

しかし、見る人によっては、このことをまるで「事実」のように受け止められることがあると思います。 この場合、その本人の主観に基づいて判定された事実ということになるので、「主観的事実」となります。

決して誰がどう見ても動かすことができない「客観的事実」ではありません。

ここで私が一番言いたいことは、「主観的事実はあてにならない」ということではありません。主観的事実も本人にとってれっきとした事実であり大切です。

問題はその主観的事実が、事実だと判定されるに当たっての基準です。

そこがもし「偉い先生が言ったから」だとか、「有名な医学論文で書かれていたから」などと言った他者依存的な判断基準が用いられているのだとすれば、

その人の主観的事実には、誰かの「解釈」が実は多く混ざっているということになります。

解釈が混ざることは「事実重視型思考」においてなるべく避けなければならないことです。なぜならば軸がぶれるからです。

従って、軸をぶれさせないようにするためには「解釈を事実化する作業」が必要となってきます。


冒頭の「○○でがんが治る」という情報に戻りましょう。

こうした情報を「主観的事実」と捉えてしまうともうすでに詰みなので、不確かな情報はまずは「解釈」として認識するクセをつけましょう。

その上でこの不確かな情報がそのまま「解釈」なのか、それとも「主観的事実」へ、あるいは「客観的事実」へと発展するのかは、ここから先の自分の動き次第です。

まずはその「○○」についてさらに情報を集めるのが基本です。

その「○○でがんが治る」という情報が本当に事実であれば、「○○」にまつわる情報も事実に関連している可能性が高くなります。

いわゆる外堀を埋めていくという作業です。ここで例えば既知の不審情報に遭遇するようなら、

その情報は事実ではなく「解釈」なのであろうという判断を行いやすくなります。


もう一つは実際にその「○○」を試してみるという方法です。

しかし自分が本当にがんであればともかく、がんでないのであれば○○を試したところで事実なのかどうかの判定には役立たないと思われるかもしれません。

ここで重要なのが「体調」です。しかも微細な「体調」の変化までを意識するということです。

もしもその○○が、がんを治すというのなら、身体に対しては好ましい方向へ働きかけるはずです。

つまりがんを特殊な病気と位置づけるのではなく、「体調不良の数ある表現型の一つ」と捉えるのです。

そうすると体調を快方に導くからこそがんを治すのであって、○○を試してみて体調が快方に向かえば、

その情報は、少なくとも自分にとって信ぴょう性が高いということになるのではないでしょうか。

そうするとその「解釈」は「主観的事実」へと格上げです。これが「解釈を事実化する作業」です。


具体的に言えば、私が時々紹介するホメオパシーについてです。

どうしてホメオパシーのような非科学的なものをたがしゅうが勉強しているのか、ということについて疑問に思われている読者の方もいらっしゃるかと思いますが、

それについても私は「解釈を事実化する作業」を行っているのです。

まずはホメオパシーに関する情報を集めます。この時一切の先入観を取り外すことが実は重要なステップです。

そうすると、例えばホメオパシーがドイツのハーネマンという医師が自分の身に起こった「事実」を下に生み出された発想であることがわかったり、

日本ではサプリメント扱いだけれど、世界80カ国で正式な医療として認められていることがわかったり、

さらにはホメオパシーの論文もたくさん出ていて、中には素粒子に注目してそのメカニズムを解明しようとしている動きがあることなど、

私の中ではニセ科学と一蹴するには早計だと考えられるような情報がたくさん集積されてきます。

そして実際に自分でホメオパシーを試してみるというステップです。

以前ホメオパシーの有効体験は当ブログでも記事にしました

その時は打撲の痛みが早めに引いたという内容でして、がんがどうなるかということに関しては未知数ですが、

痛みを早く引かすことができる治療であれば、がんが治る方向に身体の代謝を変化させたとしても不思議ではないと考える方が自然です。

従って私の中で「ホメオパシーが効く」という誰かの「解釈」は「主観的事実」へと格上げされつつある状況です。

ただしここから先の「客観的事実」にまで格上げするには、かなり難しい、というか無理と言わざるを得ないかもしれません。

なぜならば漢方もそうなのですが、ホメオパシーは万人に等しく効果を示すという類のものではなく、

その人の病的な状態と薬の性質がマッチした時に初めて効くというオーダーメイドな治療法であるからです。

従って、誰がどう見ても事実としか言いようがない「客観的事実」の状態へとホメオパシーが高まることはおそらく今後もないでしょうけれど、

「主観的事実」への階段は様々な試行錯誤をくり返し、着実に昇りつつあるように思います。

他人がどう言おうと自分の中で紛れもない事実、というものは誰しもあるのではないでしょうか。

私はその感覚を大事にして、自分の軸を保っていきたいと思います。


たがしゅう
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