AIは主体的医療で活躍できるのか

2019/01/17 00:00:01 | 主体的医療 | コメント:0件

最近、AI(Artificial Intelligence:人工知能)という言葉をいたる所で聞くようになりました。

医療の世界もその例外ではなく、今後AIが発展するにつれて医者の仕事はどんどんAIに置き換わっていくのであろうという話です。

例えばCT画像をみて、人間の目では見落としてしまうような微細な所見も検出できたりですとか、

症状や経過についてのキーワードをコンピュータに入力することで、AIが正しい診断と治療法を導き出してくれるですとか。

そうなると確かに大部分の医師の仕事は人間がする必要がなくなり、将来的に医者は職を失うのではないかというような懸念が世間ではなされています。

一方でAIの進歩は現在の医師の過重労働問題を解決してくれる糸口となりうるということで好意的に見られている見解もあります。

ただし私の提唱している主体的医療においては、AIの発展を手放しで受け入れるのは禁物です。 なぜならばAIが提供する医療は究極の受動的医療であるからです。

先日記事にした検査や病名が体調という最良のバロメータをないがしろにしてしまう、という話にも通じるのですが、

AIが完璧な診断を提供すればするほど、人は大きくその存在に依存してしまう所があると思います。

ところがそのAIのプログラムは、あくまでも西洋医学中心医療がベースなわけですから、

そのプログラム自体に誤りがある時に、誤りがある中で完璧な仕事をこなされても、出てくる結論も歪んだものが出て来てしかるべきです。

例えば、AIが画像で非常に微細な胃癌を検出したとしましょう。

そうすると従来常識に従って、AIは内視鏡での切除を受けるように勧めてくるかもしれません。

しかし私に言わせれば、その方法論自体が間違っていて、いたずらに臓器欠損を生み出して根本的な原因に対処していないその治療法が正しいとは思えません。

食事とストレス、この2点に注目して糖質制限+ストレスマネジメントで対処するという方法論は、AIが西洋医学中心型医療のプログラムが組み込まれている限りは決して導き出せないでしょう。

では私の提唱する治療原理をAIに組み込めば、AIは使えるようになるのではないかと言えば、それも違います。

なぜならばAIに任せている限り、自らが行動するという主体性は育まれないからです。

要するに「先生にお任せします」が、「AIにお任せします」に代わっただけの状況で、

AIにミスがない分、より受動性が強化された医療の構造になってしまうという点が問題なのです。

それにAIに症状のキーワードを打ち込むといっても、膝の痛みとか背中のかゆみだとか表面的な症状キーワードだけでは、特に慢性疾患の場合は正しい原因に到達することは到底できないと私は思います。

そこには無意識下で抑圧された否定的感情、それを生み出した生育環境、性格、コンプレックス、周囲との人間関係など、深く紐解いていかなければ本人さえ気づいていない背景因子もたくさんあるはずです。

AIがそこまで人間の深い部分を読み取れるとは思えませんし、それができるのであればそれはAIではなくもはや人間と同じであると思います。

自分にしかわからない主観的な体調と、それを崩す食生活の乱れと無意識下も含めた深い感情のこじれ、

それに注目し是正できるのは、今のところ人間しかいないのではないかと私は考えます。

「人間の病気は人間にしか治せない」ということです。


たがしゅう
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