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なぜ体調が大事なのか
どんな血液データよりも、どれだけ精密機器による画像所見よりも、
体調というバロメータを重視すべきだと考えています。
過去には「非検査のススメ」という記事を書いたり、最近では「病名不要論」についても私見を述べましたが、
主体的医療という枠組みの中では、それらの客観的データは必要最小限に留めるべきというのが私の考え方です。
なぜならば科学的根拠、客観的数値が重視され過ぎた価値観が一般化してしまったおかげで、検査を使うと主観的な体調がないがしろになりがちだからです。
本日はそれほどまでに私が体調を重視するのはなぜなのかについて考えを述べたいと思います。
例えば、「飽和脂肪酸がインスリン抵抗性を高める」という情報があるとします。
インスリン抵抗性をみるには、体調などではわからず、血液検査で調べるより他にないって思われるのではないかと思います。
他にも「分枝鎖アミノ酸が筋肉量増加に寄与する」ですとか、「運動がAMP活性化キナーゼを活性化させる」ですとか、
勉強すればするほど、細かいリスク因子や病態を改善させるために必要な因子、さらにはそこに関わる有機化合物や酵素、様々な分子など、
未知の成分も含めれば、実に数えきれないほどの要素が複雑に絡み合って生体活動へとつながっています。
そうした無数の複雑な要素をすべてひっくるめた結果が、今自分の身に感じられている「体調」だということです。
だから体調をベースにしていれば、体調は本人にとって紛れもない事実ですので、
例えば飽和脂肪酸がよくないと誰かに言われたとしても、飽和脂肪酸たっぷりのお肉を食べていて体調が良くなっている分には、
いろいろ細かいリスクはあるのかもしれないけれど、それらは総和として身体を良い方向に仕向けているということなるのではないでしょうか。
また主体的医療は患者が中心の医療です。
検査値をベースにしてしまうとその概念から遠のき、病院中心の医療になることは避けられないであろうとも思うのです。
そして主体的医療において、この体調という主観的バロメータが極めて重要な意味を持ってくるのは、
この体調は自分にしかわからないという点においてです。だからこそ自分中心の医療においては必要不可欠な存在なのです。
逆に言えばこれまでの医療は、この非常に優秀かつ未知の因子も含めて評価してくれているバロメータを、
ないがしろにして検査値や画像所見ばかりを重視してきた結果、患者をあらぬ方向へと導いてしまったのではないかと思います。
がんの治療がその最たるものです。そこに癌があっても三大治療さえ受けなければ別に症状はなかったという人もかなりの数いるはずです。
しかし健診というシステムによって体調バロメータでは全く問題のない状態を、怖い病気であると強烈にイメージづけされ、
そして健診にさえ行かなければ抱くことのなかったストレスを強烈に植え込まれてしまうのですから。
これは体調を度外視した医療と言っても過言ではないと私は思います。
勿論、薬物依存の人など、本来鋭敏に働くべき体調バロメータが全く機能せずに、
身体が求める方向に行くがあまりに身を滅ぼしてしまうというケースもあるわけですが、
身体と精神の秩序が保たれている状況にあれば、体調はものすごく優秀なバロメータとして機能してくれるのです。
人間以外の自然界の動物はそれによって自身の体調を維持しているではないですか。
そして人間の場合、身体と精神の秩序を保つ基本となるのが、
糖質制限+ストレスマネジメントだというわけです。
たがしゅう
コメント
錯綜
「日本は世界1の長寿国」なのに「癌にかかるのは2人に1人の時代」
「お米を茶わん1杯は角砂糖14個分の糖質」
「実は卵は1日に3,4個食べても問題ない」
「チョット太っているほうが実は長生きする」・・・
これまでの概念・通念を覆す「アイキャッチ」な情報が、人々を不安にも安心させたりして、弄ばんともする勢いです。
情報が錯綜すると、人々は「都合・聞こえの良い情報」に流れ込みます。
がん保険の加入率は右肩上がりのようです。
より良い人生を生きる為には「錯綜した中から真実を見抜く力」が求められる時代ですね。
2019-01-16 10:26 だいきち URL 編集
Re: 錯綜
コメント頂き有難うございます。
> 現代は「情報で弄ばれないよう」にしないといけません。
おっしゃる通りだと思います。
情報過多の現代社会でいかに情報とうまく付き合っていくべきか。
こと医療に関しては私なりの考えがあります。後日ブログ記事にさせて頂きたいと思います。
2019-01-16 17:55 たがしゅう URL 編集