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主体的医療における医師の負担

category - 主体的医療
2019/ 01/ 14
                 
私が推奨している主体的医療というのは誤解されがちな考え方です。

患者が自分が受けたい治療のことを考えて、医者はそのサポートに回るということは、

聞こえはいいけれど、それは医師の専門家としての責任放棄でただ医師が楽しているだけのことではないかと思われる方ももしかしたらいらっしゃるかもしれません。

しかしそれは違います。というよりもむしろ従来の受動的な医療体制に比べて医師の負担が増える可能性さえ秘めています。

なぜならば主体的医療において治療方針を決める主導権は患者にあるのであって、

患者が希望する治療なら何に対してでも無下に拒否しないように、あらゆる治療についての知識が求められるからです。
            

医師になるためには医学部を卒業し、医師国家試験に合格する必要があるわけですが、

医学部で教わる治療法は基本的には西洋医学中心型医療です。

最近でこそ申し訳程度に漢方も正式カリキュラムの中に取り入れられるようになりましたが、

それはこういう考え方もあるので紹介しておきますよという程度の短いコマ数でしか教わることはなく、到底漢方の全貌、ひいては東洋医学全般の知識を習得するには十分でありません。

しかし世界には漢方はおろか、それ以外にも鍼灸、整膚、ヨガ、アロマテラピー、催眠療法、アーユルヴェーダ、ユナニ医学、ホメオパシーなどなど、

西洋医学や東洋医学以外にも様々な医学体系や治療方法が存在しているのです。

今の受動的医療の体制下であれば、例えば患者が西洋医学以外の治療法を希望した場合には、

「エビデンスがない」との常套句が用いられることによって、その治療希望そのものが否定されることになるので、楽といえば楽な対応です。

ところが主体的医療の場合は、エビデンスの有無に関わらず、患者の希望が治療方針決定における最重要因子です。

もちろんここで、「エビデンスがないから自分は行うべきではないと思う」という意見を医師が述べてもいいわけですが、

問題は患者がそれを聞いて納得するかどうかです。決めるのは患者であるわけですから。

患者がそれで納得すれば主体的医療というパッケージの中でも、受動的医療の時と同様に西洋医学中心型医療を受けることになりますが、

もしも納得しなければ患者はその医師の提案を拒否するか、あるいは別の治療選択肢を提示するなどの代替案を求めることになると思います。

その時に西洋医学中心型医療しか自分が持つ治療選択肢が引き出しにない医師は、到底対応できないことになります。

その結果、患者満足度は下がり、その医師の下には患者は訪れなくなり、

患者満足を提供することができない医師は自然淘汰されるという市場原理のような力が働くことになるはずです。

医師はそうならないために、当然ながら医学部で学んだことだけで安心しているのではなく、

常に新しい治療の可能性やよりよい治療方法について模索していく必要性が出てくるわけです。

従って主体的医療の体制下では、医師は少なくとも受動的医療の時よりもたくさん勉強する必要が出てくるので大変なわけです。

勿論、一人の医師が世界中のすべての治療法を網羅し把握することは現実的に困難なことですので、

医師は数ある治療の中から自分にフィットする治療法を探し、さらには習得するために年単位の時間をかける必要が出てきます。

だから主体的医療を提唱することで楽をしようと思っているなんてとんでもない話です。

むしろわざわざいばらの道を通ろうとしていると例える方が適切なのではないかと思います。

ではなぜそうまでして私が主体的医療を提唱しているのかといいますと、

なんといっても治療の主導権が患者に渡ることによって、自分が本当に望む治療方法を作り上げることができ、

それによって病気を根治に持ち込める可能性が現れることに非常にやりがいを感じるからです。

そしてそんな主体的医療への切り替えは、学会の体制が変わったり、政府がそうしたお達しを出すなどを待つ必要がなく、

今、この瞬間から患者の意識改革とそれを支える医師の存在によって成し遂げることができるということが、

私が最も可能性を感じているところです。

何度でも、あきらめずに丁寧に伝えていきたいと思っています。


たがしゅう

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