真似から始まり、いつかは破る

2019/01/12 00:00:01 | 主体的医療 | コメント:0件

「○○先生の言う通りにやってよかった。ありがとうございます。」

糖質制限界隈に限らず、こうした声は医師をやっていると時折聞かれ、医者名利に尽きる心地がするものです。

それはそれで素晴らしいことなのですが、私はその後の行動が大事だと思っています。

そのまま○○先生の言うことを盲信し続けるのか、

それとも○○先生から教わったことを自分の中で消化して、さらなる自己課題の解決に自分で取り組もうとするのか、

そこが受動的医療に進むか、主体的医療へ舵を切るかの大きな分かれ道であると思うのです。 全ての行いは模倣から始まります。赤ちゃんに「主体的であれ」なんて言っても土台無理な話です。

わからないことに対して、最初は何も考えずに真似をしていればいいのです。

誰かの真似を繰り返し続けることで、自分なりのやり方、パターンが見つかってきますが、

その過程の中でまた新たにわからないことに遭遇するようになります。

ここでその疑問が解決できなければまたとりあえずは誰かの真似をしておけばよいです。

ただここで、ある程度自分なりのやり方を習得している場合は、真似をするというコースから外れて自分の頭で考えるというコースを選ぶことができるようになります。

この自分の頭で考えるコースに進んだ人は結構大変です。

なぜならば真似をしているうちはまるで舗装された道路を進むかの如く何も考えずに前へ進むことができましたが、

自分の頭で考えるコースでは目の前に現れるのは「けものみち」で、どの方向にどれだけ進んだら目的地に到達できるのかが全く示されていません。

しかし逆に言えば、このコースは考えようによっては、どの方角でも距離だって自由に進むことができる良さがあるとも言えます。

そこでこのコースでうまくやっていくためには情報があることが重要です。

コンパスがあると方角を間違いにくい、ですとか、疲れた時は休息を取りながら進むとよい、ですとか。

そのような情報を集めていくことで、「けものみち」であっても快適に進むことができるようになり、

また自分のやり方・パターンが強化され、さらなる困難が立ちはだかった時にも自分の力で問題に取り組み解決することがしやすくなります。

そして舗装された道路をただ進む、すなわちいつまでも誰かの真似という行動をとり続けている人には決して到達できない、

頑張って「けものみち」を歩き続けた人にしか到達できない素晴らしいものを見つけることができるかもしれないのです。


以前、「守破離」という言葉について説明したことがありますが、

この言葉はまさに真似を続けるのみの受動的姿勢から、自らの考えを構築できるようになる主体的姿勢へのステップを現した言葉なのではないかと私は思います。

「○○先生の言う通りにやってよかった」、それはそれでいいのです。誰しも「守」から始まります。

しかしその後、「守」の姿勢をとり続けるのか、「破」から「離」へと進むためにはどうすればいいのか。

誰かの真似をし続けることで「破」れるはずも、「離」れるはずもありません。

守ることから何かを学び、それを自分の経験と照らし合わせて常に考え続けるということが、

主体性を育み、「破」り、「離」れることにつながるであろうと私は思います。


たがしゅう
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