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効率化の影で失われるもの
ご多分に漏れず医療の世界にもそうした業界用語は多く見聞きします。
昔医学教育がドイツ語隆盛だった歴史を受けて、ドイツ語が由来になっているものが多いのですが、
例えば、患者さんへの病状説明のことを「ムンテラ」と言ったり(※ドイツ語のmund(口)とtherapie(治療)からきた言葉)、
未熟な若手医師を指導する指導医のことを「オーベン」と言ったり(※ドイツ語のoben(上)からきた言葉)、他にもいろいろです。
こうした言葉を省略する文化は若者文化の中でも頻繁に見受けられるものなので、
専門業界に限らず、言葉によるコミュニケーションが数多く行われる場においては、
ある程度自然発生的にできあがっていくものではないかと思います。
その意図としては「効率化」、もっと砕けて言うならば「いちいち全部また言うのが面倒くさいから」という意識が働くことによるのではないかと思います。
医療業界の場合はそうした目的に加えて、患者さんに直接伝わってほしくない重めのワードとかを若干和らげるというか隠すとかいう意図も含まれているように思えます。
いずれにしても業務やコミュニケーションの効率化を求めて、人は言葉を省略するのではないでしょうか。
ところが、この効率化には落とし穴があると私は思っています。
効率化自体は自然な発想から生まれる行動である別段問題はないのですが、
その流れにかまけて重要な部分もスキップしてしまう恐れがあるというところに問題があります。
例えば医療従事者にのみ伝わる表現でコミュニケーションをとることで、
患者さんが一人のけ者にされているような疎外感を感じてしまう可能性があることについてですとか、
効率化を求め過ぎるがあまり、太い血管への点滴や手術などリスクのある医療行為を行う際の確認が疎かになってしまうようなこと、などです。
直接略語には関係しないかもしれませんが、省略による効率化という意味で広くとらえるならば、
電子カルテの普及によりいつもと同じカルテの記載や処方の指示が、紙カルテに比べて断然スピーディに行うことができるという変化の場合も、
その効率化によって患者さんの微細な変化を見逃しやすくなるという側面も出てくるかもしれません。
効率化の影には、その過程の中で見過ごされた重要な部分がないかどうか、
時々立ち止まって確認する必要があるのかもしれません。
世の中はネット社会だの、AI時代だの、
テレビ、冷蔵庫、洗濯機で驚いていた時代から比べて、さらに便利になってきました。
その反面、私達の中で失われつつある本来持っている働きの存在に私達は気付くことができているでしょうか。
便利と不便のバランスを保つことも、人生を上手に生きていく一つのコツなのかもしれません。
たがしゅう
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