言葉とは発してみなけりゃわからない

2018/09/13 00:00:01 | ふと思った事 | コメント:4件

いろいろなことをブログに書き続けている私ですが、

ありのままを大事にして書くことに主眼を置いているので、

どうしても人間的に未熟な部分が出てきてしまうこともありますし、

相手の気持ちをわかりきれていない発言をしてしまうこともあります。

世の中にはどこからどう突かれても崩れない安定した大人の発言をされ続ける方もいるというのに、

私はどうしてこうも振り乱されてしまうのだろうと悩んでしまう時もあります。 最近で言えば、私には実際にはこどもがいないというのに、

子育てのことをまるでわかったかのように偉そうに語るのは、読まれていて不快に感じられた方もいらっしゃったかもしれません。

しかし私は子育てを経験したことのない人間の立場から子育てについての見解を述べているという意味で、

ある意味正直な姿勢を貫いているつもりです。

わかっていないのにわかったふりをしないということは大事だと思っていますが、

わかっていないことをわかっていないなりに考えて意見を述べるという事も大事だと思っています。

そうやって前に出すことで、様々な意見をもらい、自分の思考の樹と照らし合わせてもしもそれが大きく間違っていることに気付けば軌道修正することができます。

だから私は背伸びをせずに、今の自分のわかっていることについて、ありのままの気持ちを大事にして述べているのです。

そうしなければ、わかるようになるまで待っていては、いつまで経っても一歩を踏み出せない、ということにもなりかねません。

わからないことはわかりません。わからないことを無理矢理わかったように書いても誰の心にも響きません。

しかしわからないけれど、自分はこう思うという気持ちは、まだわからない自分にも書くことができる言葉です。

私に結婚生活の話を書くことはできません。しかし結婚していない人間の結婚観について書くことはできます。

それがもしも芯をついていれば結婚している、していないにかかわらず、人の心を動かしうるのではないでしょうか。

同じ言葉がある人には響かなくとも、別のある人には響くということもあります。

たとえ多くの人に響かなかった言葉でも、ただ一人の心に強く響かせることができればその言葉は発せられる価値があります。

だから、ある意見を述べて、仮に多くの人の賛同が得られなかったとしてもひるむことはありません。

それが自分が一生懸命考えに考え抜いて絞り出した意見であればなおさらです。

その意見に賛同が得られなければ人は離れていくかもしれませんが、

賛同できる人との新たな縁がまた作られていくはずです。

そうやって作り上げた縁は、何より自分の頭を使って考え続けてきた証拠だと思います。


もっと言えば考えは時空を超えます。

私は過去の偉人達の言葉にしばしば心を動かされることがあります。

偉人と直接は会えずとも、偉人の言葉は時空を超えて、私に確かな影響を与えてくれているのです。

でも偉人の言葉に動かされることは自分の頭で考えることではないのではないか、

そうではないと私は思います。自分の思考の樹があるからこそ偉人の言葉は響くのだと私は思っています。

タモリさんの「友達はいらない」という言葉も、私にとっては強力な応援メッセージですが、そう受け止められない人もたくさんいることでしょう。

きっかけは誰の言葉であったとしてもよいのです。

自分の思考の樹に響いた誰かの言葉は使ってもよいのです。

大事なことは、自分が「動かされているのではなく、動いている」ということ。

私も時空を超えて誰かの心を動かす可能性を否定せずに、

言葉を発し続けて生きていきたいと思います。


たがしゅう

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コメント

今ならもっとうまく書けたのに。

2018/09/13(木) 08:04:06 | URL | エリス #-
おはようございます。

多くの作家は、デビュー当時の作品を「今ならもっとうまくかけたのに」と思われています。

今を時めく芸能人も、新人のころのVTRを見せられると、黒歴史と言い、嫌がります、今ならもっとうまく演れたのに。

私も、卒業文集に、なんて甘いことを書いたんだろと思います。それはその時の自分の気持ちで、今の自分ではありません。

先生も、作家も、芸能人も、私も、その時のベストを、尽くしたのだからいいじゃないですか。人は成長するのですから。

Re: 今ならもっとうまく書けたのに。

2018/09/13(木) 08:17:22 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
エリス さん

 コメント頂き有難うございます。

> 先生も、作家も、芸能人も、私も、その時のベストを、尽くしたのだからいいじゃないですか。人は成長するのですから。

 心に染みるアドバイスを有難うございます。
 どの自分も、決して嘘ではないですものね。未熟も受け入れて自分のペースで一歩ずつ成長していきたいと思います。

いつもありがとうございます

2018/09/13(木) 10:43:14 | URL | だいきち #-
お会いしたことがないので、活字からの想像での印象ですが、たがしゅう先生は、「論理的思考をもった」「目線の低い」「賢い庶民」という感じです。

賢い庶民という表現が引っ掛かりましたら、申し訳ありません。



医師とはある種の権力者です。

(そうさせてしまった、国の文化を変えていこうとしている先生ですが。)

権力を持っていながらも、ひけらかすことなく、目線を落として情報を発する先生の姿勢は偉大ですよ。

恐らく、権力を笠に着て横着にふるまうほうがストレスなく生きれるのではないかと思います。

しかしながら、庶民・一般人の気持ちもわかるからこそ、両者の狭間に立たされて辛い思いをする場合もあるのでしょう。

しかし、面識がないのにしっかり支援している方も多くいます。

それはとてもすごいことです。

Re: いつもありがとうございます

2018/09/13(木) 12:23:11 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
だいきち さん

 コメント頂き有難うございます。
 また過分な御評価を頂き恐縮です。

 一番は私が患者としての経験を持っている事が大きいのではないかと自己分析します。
 患者としての経験あるいはそれについての想像力が欠けていると、いくら頭脳明晰な医師でも患者の立場を踏まえない言動をとりうるのではないか、というよりも頭脳明晰な医師ほどそういう傾向にあるように私は感じています。

 患者と医師の垣根を取っ払い同じ庶民目線で語り合えれば主体的医療も行いやすいのかもしれません。そういう意味では種々の肩書は重荷になるばかりだと私は思います。

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