主体的でなかった頃の自分
2018/09/10 00:00:01 |
自分のこと |
コメント:2件
いわゆる精神疾患の患者は、「精神医療の被害者だ」という文脈で語られることがあります。
しかし、はたして彼ら彼女らは常に被害者なのでしょうか。
一つひとつの不安に向き合わず、解決を外部に求め続けた結果、
不安を自己制御できなくなり、疎かな現代の西洋医学中心のの精神医療のなされるがままとなり、
心身不調に陥った患者に非はないと言い切れるでしょうか。
私は精神疾患の本質も「主体性の欠如」にあると感じています。 精神疾患と言えば、自分自身がうつ病になった時の体験が思い起こされます。
あの頃私はまだ経験の浅い若手の神経内科医でした。
当時野戦病院と化していた総合病院に勤務しており、
そこでの若手医師のメインの仕事はとにかく救急患者を診まくることで、
特に神経内科医の立場だと非常に高頻度で脳卒中の救急対応に当たらなければならないので、
若手だと気軽に呼ばれやすいということも手伝って、それはもう忙殺の日々でした。
勿論、仕事はそれだけではありません。
週に3日の外来業務、常に20名を超える入院患者の管理、迅速な入退院調整、研修医指導、
空いた時間で研究の手伝いや学会発表準備などやることは盛りだくさんです。
家に帰っても待機という脳卒中患者が運ばれたら病院へ呼ばれる当番が高確率で割り当てられており、
一日の仕事が終わってくたくたで帰った矢先にまた脳卒中患者が運ばれたとのことで病院へ舞い戻る時もしばしばでした。
さらに悪いことに、その病院では多くの年配医師が若手へ面倒な義務を押し付けることが常態化しているブラックな側面がありました。
ある日、とある年配医師の当直で「意識がもうろうとしている患者が運ばれた。脳の疾患だと思うから、神経内科で診てくれ」という依頼で呼ばれ診に行きました。
すると確かに意識はもうろうとしているものの、炎症反応が高く、おそらくは発熱によるもので、
肺炎か心不全か、あるいはその両方かというような状況であって、脳疾患というよりも重症内科疾患という患者さんでした。
要はその年配医師に「脳疾患かもしれない」という理由で難しい患者を押し付けられてしまったわけです。そういうことがいつもまかり通っている病院でした。
けれどもそう言われて立場的には不利な位置にいる当時若手医師の私はとりあえずその晩主治医を引き受けて、
翌朝呼吸器と循環器の専門医へ順次相談して然るべき診療科へ転科してもらうという段取りを組むことにしました。
ところが翌日呼吸器の専門医に診てもらったら、「これは肺炎ではない。循環器内科へ相談を」という返事で、
続けて循環器内科へ相談したら「心不全の状態にはない。また何かあれば相談を」という返事があるのみでした。
その診断の妥当性はさておき、若手医師が困って相談している状況に平気でNoを突きつける冷徹な年配医師達でした。
専門医は皆最低限の総合診療的ノウハウを身につけるべきという考えが私の頭をよぎったのもこの頃でした。
これはほんの一例に過ぎませんが、
その頃の医師を中心とした身勝手なスタッフ達との人間関係に、
「正直者がバカを見る」の文化の中で、私は次第に追いつめられていき、孤独にさいなまれ、
過食も食い止められなくなり、同時期に高度肥満に伴う睡眠時無呼吸症候群を発症、
生きていくのが心から嫌になり、ついにはうつ病を発症したのでした。
あの頃の私には悪いところはなかったのかと振り返った時に、
確かにあの頃の私は周りの意見に流されて、主体性が欠如していたように思います。
けれど当時の私の立場では、専門医に反論したり、自分一人の力で患者をマネジメントするという程の主体性は発揮できなかったかもしれません。
しかし少なくとも身勝手な専門医に振り回される必要はなかったはずです。
事実その患者を診る能力のなかった専門医をどれだけ責めたところで、患者がよくなるわけでもありませんし、
もっと言えば患者の課題と自分の課題を混同する必要もなかったでしょう。
専門医も関わって自分が全力を尽くしても良くならない患者であれば、それはそれで仕方がなかったのかもしれません。
強いて言えば、他の対応できそうな医師をしらみつぶしに探すとか、さらに大きな病院への転院搬送を決意するという選択肢はあったかもしれません。
それに嫌な専門医の良いところを見つけるよう「リフレーミング」という行為を主体的に行っていれば、
嫌な気持ちがあったとしても自分の中で相手へそれほど強い負の感情を抱くことなく、
最低限ビジネスとしての人間関係をキープすることで私はうつ病にならなくて済んでいたかもしれません。
主体性がなかったことが流れに流されるままに当時の私の精神状態を追い込んでしまった本質ではなかったかと私は振り返ります。
たがしゅう
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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No title
私は10年以上の向精神薬の服用後、自己判断で薬を止めた人間です。この経験からコメントさせていただきます。
この期間に私が知り合った方の中には「主体性」という言葉を投げるにはあまりにも過酷な環境に生まれ落ちておられた方々もいらっしゃいました。特に現在60歳以上の方です。そして、自分の意志を口にはできなような幼い年齢で精神医療につながってしまった方もおられました。
しかしながら、少なくとも私が知っている多くの方は、今日の食事に困っておられたわけではない。
そして薬についての説明を受けてこなかった(今と時代は違います)というにしても、薬を飲まない選択権が全くなかったわけではないケースは多い。
社会的には睡眠薬などの処方規制はもっとされるべきであると思いますが、薬を止める時の酷い離脱症状は当事者が「主体性」を持つことで随分耐えられる部分は出てくると感じます。
つまり「誰に頼まれたのでもない、自分で飲むと決めた。自分で止めると決めた」という意識です。
これがないといつもでたっても文句たらたらで、結局のところ回復が遠のいてしまう。
漢方薬、サプリ、鍼灸、お金を出せば助けになるものはあっても、反省が伴わないと、どこかでまた穴に落ちてしまう。
以上、長くなりましたが、今日のブログを読んで思ったことです。
Re: No title
コメント頂き有難うございます。
> 自分の意志を口にはできなような幼い年齢で精神医療につながってしまった方
これは考えさせられます。
明日の記事で考察しますが、もともと人は誰しも生まれた時点では主体性の種を持っていると思っています。
しかし社会の常識によって物心がつかないままの間に精神医療へつながれれば、自我という名の主体性の芽が出る前に思考を錯乱させてしまうことになりかねません。この場合不運と言えば不運なのかもしれませんが、自らの主体性と社会の通念が折り合いがつけられなかったことによる不運ということになるでしょうか。
人の心は操れずとも、薬によって人の思考力を奪うことは可能であるということ、
薬を扱う人間としてはその事は肝に銘じておく必要があると私は思います。
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