想像力を働かせて論文を読む
2018/08/09 00:00:01 |
医療ニュース |
コメント:2件
Medical Tribuneという医療情報サイトに、
発達障害の一型、自閉症スペクトラム障害(ASD)のある児はそうでない児に比べて、
食物アレルギー、呼吸アレルギー、皮膚アレルギーのオッズ比が有意に高いという結果が、
約19万人の小児を対象にしたアメリカの大規模調査で明らかにされたというニュースを目にしました。
なぜそうなるのかという病態生理学的なメカニズムはわかっていないとされながらも、
食物アレルギーのオッズ比が他の二つのアレルギーのオッズ比より大きいということから、腸管と脳、そして行動の関連が潜在的なメカニズムの1つではないかという推測が述べられていました。
しかし私はASDとアレルギーの関連、ストレスの観点で考えればつながるように思います。 発達障害と診断されるこどもは脳のクセが平均的なこどもの集団と異なるがゆえに集団社会生活に合わせることが難しい人が多いと思います。
ということは人一倍ストレスを感じやすい人と言い換えることができますので、
ストレスによって駆動される自律神経やストレスホルモンを産生するHPA(視床下部-下垂体-副腎)軸が刺激に刺激され、
交感神経過緊張状態にもなりやすいと思いますし、副腎への刺激が繰り返されて副腎疲労にも陥りやすいのではないかと想像されます。
副腎機能がしかるべきタイミングにしかるべき強度で働かなければアレルギーを発症する可能性がありますので、
ASDの児がアレルギーを発症しやすいというのは私にとっては非常に納得のいく結果です。
このように今まで自分が考えてきた思考の樹に合致する結論を示している論文をみた場合は、
その論文の真偽をそれほど突き詰めて考えようと言う気には私はあまりなりません。
横着と言われればそれまでかもしれませんが、その目で見ないと見えないことってあると思いますので、
疑いの眼差しで見ていれば見えてくることでも、あまりその目で見ていなければスルーしてしまうこともあるでしょう。
だから論文を信じる信じないの以前に、自分の考えをあらかじめ持っておくことで、
情報の収集もより効率的で思考の樹に沿ったものだけに集中していけるという好循環が生まれるのではないかと思います。
そもそも、今回の論文のような問題を考える時に、もっとも大事なことは想像力です。
その論文に書かれているデータや有意差、統計の仕方、あるいは病理所見など見えるものだけに注目するのではなく、
発達障害と呼ばれる人達はどのような考え方を持っていて、生きていく中でどういう問題を抱えていくものなのだろうか、
そうした論文を隅から隅まで読んだとしても全く書かれていないことに想像力を及ばせない限り、
今回述べたような関連は決してみえてこないだろうと思うのです。
逆に言えば、こうした目に見えない世界のことを、エビデンスの世界に生きている人は、信ぴょう性がないと取るに足らない意見だと軽くあしらうのかもしれませんが、
かんじんなことは目に見えないということは常に頭に入れておくべきだと私は思います。
たがしゅう
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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コメント
No title
ここで目というのは"心の目"ですね。
ところで、感覚器官としての"体の目"は下記の記事にあるようにいとも簡単にだまされてしまいます。
『「色が変わるドレス」のような色の錯覚作品12パターン』
https://gigazine.net/news/20150303-12-optical-illusions/
たがしゅう先生のブログの過去記事を読んでいれば言わずもがなですが、"心の目"も"体の目"と同様に陥穽にはまりやすいことを肝に銘じておく必要があります。
そのために必要となるもののひとつが想像力なのかも知れないと思いました。
Re: No title
コメント頂き有難うございます。
いついかなる時も「自分は間違っているかもしれない」という気持ちは頭の隅においておかなければならないと私は思っています。
そんな医者を信用してくれない人もいるかもしれませんが、その事実から私は目を背けるわけにはいきませんし、そんな風に思う人はそもそも主体的医療に向いていないとも思います。
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