ブラック化の背景にあるもの
2018/07/23 00:00:00 |
素朴な疑問 |
コメント:4件
「ブラック企業」という言葉が、だいぶ世間的に認知されてきたように思います。
ブラック企業とは一般的には、「労働条件や就業環境が劣悪で、従業員に過重な負担を強いる企業や法人」のことを指します。
具体的には、「社員を使い捨てにする」「長時間労働が当たり前になっている」「年中求人を出しており、大量に採用し大量に離職する」とか、
「残業代が出ない、もしくはみなし残業で金額が低く固定されている」「精神論がまかり通っている」「パワハラやセクハラがまかり通っている」などの特徴があるそうです。
本当にそんな企業だったら絶対に働きたくないと思う一方で、
部分的に当てはまったりすることもあるものだから、「ウチもブラック企業だよ」などと宴席での笑い話のネタにされる場面も時々見かけます。
しかし多少ブラックな部分があったとしても「これくらいのことは皆我慢しているのだから仕方ない」という感覚で、
会社のブラックな部分を許容している人は多いのではないでしょうか。 しかしながら、その小さな我慢の連続が結果的にブラック企業を生み出している側面もあるのではないかと私は思うのです。
先日クレームは宝物についての記事を書きましたが、
クレームは小さな段階から拾いあげ、即座に適切に対処することで、将来の大クレームを防ぎ、その団体のパフォーマンスを高めます。
ところが企業に働いていて小さな不満を我慢して、いつになっても対処されることなく時が過ぎ、問題を認知していない企業側もその状況を放置していれば、いつしかブラック企業へと発展することもあるのではないかと。
つまり、いつでもどこの企業でも、働いている人達の意識次第で、企業はブラック化するのではないかということです。
また企業がある日突然ブラック化したとすれば、それに耐え抜く社員がいるはずもなく、一気に破綻するはずです。
しかし徐々に徐々にわからないようにブラック化していけば、社員は晴れてブラック企業の一員ということになるわけです。
「ゆでガエル理論」というものがあります。
これは、熱湯につかるカエルを想像してもらうとよいのですが、
今、カエルが、いきなり沸騰した湯の中につけられた場合、カエルはびっくりして跳びあがり、死の危機を回避することができます。
ところがカエルがつかった湯がぬるめの湯であった場合、カエルはひとまずその湯の中につかります。
しかしその後湯がゆっくりと温度を上げ、徐々に沸騰に近づいていくようになれば、カエルはその環境の変化に気付かず、いつの間にかゆであがって死亡してしまいます。
この「ゆでガエル理論」はゆっくりと進行する危機や環境変化に対応することの大切さ、難しさを戒めるたとえ話の一種で、ビジネスの世界ではよくつかわれる話だそうです。
ここでカエルを会社だと考えれば、ゆであがったカエルこそが「ブラック企業」です。
また湯の温度は社員の不満を、温度が高まることが不安の蓄積を意味するのだとすれば、
いきなり湯が沸騰すれば、企業のブラック化は自然に避けられますが、
ぬるめの湯につかっている、すなわち小さな不満を皆で我慢しているような状況に対して、
冷水を混ぜてお湯の温度を下げるというような対処行動を早い段階でとっておかなければ、
あとから冷水をかけたところで企業のブラック化は避けられないということではないでしょうか。
つまりブラック企業の背景には必ず社員の我慢があるということです。
我慢とは自分の希望を押さえ込むこと、会社の言われるがままに動くこと、すなわち主体性を低めることです。
この話は医療にも応用可能だと思います。
ブラック医療にならないようにするためには、患者が小さな疑問や不満を主張し続けること、
医療の提供者側はその小さな声に応え続けることではないでしょうか。
そのニーズがマッチした時に医療はホワイト化するのではないかと私は思います。
過去にうまくいった既存のシステムや慣習を持ち続け患者の声に応えない病院も、
自分の意思を押し殺し、「素人だから先生にお任せ」と主体性を自ら低めている患者も、
私に言わせれば、ブラック医療予備軍だと思います。
たがしゅう
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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コメント
Re: タイトルなし
コメント頂き有難うございます。
人間の対等性の意識した時に物事の本質が見えやすくなる側面があるように思います。哲学カフェはそのことに気が付かせてくれる一つの良い機会だと私は考えています。
No title
「医師の過労死」
https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10801000-Iseikyoku-Soumuka/0000189107.pdf
患者は医療機関従事者の尊い犠牲によって支えられているという、ある意味当たり前のことを再認識させられました。
主体的医療を実現するには患者の努力も必要ですが、それにも増して医師が主体的医療を受け入れることが出来る程の心身的なの余裕を持っていることも必要ではないかと思います。
しかし、過労死になる程の受動的な過重労働の連続では心身的な余裕を持つことなど困難なのかも知れません。
そこで、受動的労働から主体的労働に転換するのが解決のきっかけになるのかも知れませんが、それも簡単には行かないのでは?と思います。
医師の数に対して仕事量が多過ぎるのではないか?と思います。
そこで解決策として、これまでの労働慣習を是正する。医師の数を増やす。出来高払いとなっている診療報酬制度を見直す。
等々思いつきますが、どれも一筋縄では行きそうにない問題ばかりで、また、仮にそれらが解決されたとしても医療を取り巻く諸問題が解決されるわけではないような気がします。
Re: No title
コメント頂き有難うございます。
医師の過労の背景には患者の受動性があると私は思います。
「難しいことはわからないから先生にお任せするしかない」という感覚が文化レベルで根づいている事がかなり関係していると考えます。それは患者が投げやりになっているといった消極的な意味ではなく、当たり前の感覚となってしまっているということです。
ではどうすればよいのかと言えば、患者が主体性を取り戻すことです。糖質制限は患者が医療に主体性を取り戻すための一つのツールであると同時に、そのためのきっかけを与えてくれる方法です。そこの意識が変われば医師の過労も自ずとなくなっていくと思うのですが、今はそこへの対策がなされることなく、ますます医療費の高騰が顕在化し、患者の受動性がさらに増大し、それこそ現場の医療従事者の善意によってかろうじて支えられている状況だと思います。
一方で文化レベルの思考は容易に変え難いと思う気持ちもあります。もしも患者の主体性が変わらないのであれば、医師はどうやって過労から身を守るか。働き方を変えるより他にないのではないかと個人的には思います。
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