絶対に治すとはいえないけれど

2018/07/11 00:00:01 | 自分のこと | コメント:4件

私の専門である神経内科はいわゆる難病を扱うことが多い科です。

治らなくて当たり前、症状が進行していくのを遅らせたら御の字という感覚が多くの神経内科医の中にあるのではないかと思っています。

勿論、そうした難病の現状に対して神経内科医の方もただ指を咥えて見ているだけというのではなく、

難病を克服することを目指して様々なレベルの高い研究が日々行われています。

それは紛れもなく難病を治そうという崇高な想いから来ている行動だと思いますが、

残念ながら日常診療の中でそこまでの熱意を持って患者に接しようという医者はいません。

なぜならば有効な治療手段がなかなか現場にないからです。 そんな中、現代医療の主流とは異なる方法で「難病を治す」という力強いスタンスで診療を展開されている先生の存在を耳にすることがあります。

そうした先生の話からは治せなかった神経難病を治したという実際の症例が多数紹介されていたりして、

その先生にかかれば本当に何でも治してしまいそうに思えるので、

その治療法についての書籍や講演会があろうものならできる限りアプローチしようと心がけています。

しかし、あまりに「100%治る」というスタンスを強調し過ぎていたり、

失敗例が一例も紹介されていなかったりすると、私はその先生のことがどうも信用し切れなくなります。

勿論、最初から治すことを半ば諦めている医者に比べればはるかに立派な心がけだとは思います。

しかしどんな世界にもうますぎる話はないように、100%治ると言うのは流石に言い過ぎです。

その先生にとって100%治しているように見えても、治らなかった患者がその先生の前から立ち去っているだけという可能性もあります。

全ての患者の全ての行く末を確認した上で100%治しているというのであればわかりますが、そんな事は到底出来ないはずです。

ということはどれだけうまく行っているように見えても、「もしかしたら自分は間違えているかもしれない」という見直しのスタンスをどこかで持っていなければならないと私は思います。

だから私は強気すぎる医師は信用できないのです。


世の中、いろいろな性格の人がいます。

強気なスタンスで頼り甲斐がある兄貴分タイプ、そんな人を好きな人も多いのではないかと思います。

でも私の性格は謙虚タイプです。私が「全ての病気を治す!」なんて言う日は多分一生来ないと思います。

というよりも、そもそも全ての病気を果たして治すべきなのでしょうか。

パーキンソン病をはじめとした神経難病が、その人の体質的な特性に加えて性格のクセのようなものも色濃く影響するという側面が私には見えて来ました。

誤解を恐れずに言えば、難病になる人は単なる不運ではなく、そうなるべくしてなる理由が潜んでいるように私には思えるのです。

あるいは老衰のような如何ともしがたい事実も確かに存在します。

治すことにこだわりすぎる思考は、本来の生き方を歪めてしまう側面があるような気もします。

治らない事実にきちんと向き合い、その上で単なる諦めとは違う自分の中での解釈にどう決着をつけるかが大事です。

なぜ治らないのか、治すべきなのかどうか、治すべきならどうすればいいのか、

そうした疑問に謙虚に立ち向かいつつ、実際の出来事をベースに思考や経験を深めていく、

私は医師としてそんな生き方をしていきたいと思っています。


たがしゅう
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コメント

No title

2018/07/11(水) 15:42:52 | URL | 名無し #-
>治すことにこだわりすぎる思考は、本来の生き方を歪めてしまう
>側面があるような気もします。


これは医師の思考についてだけではなく、患者の思考についても言えることだと思います。

自分は友人や職場の同僚と一緒にいる時に下記の様な事を言い放ったりしています。

 A.自分には長寿願望なんてない。

 B.長寿なんてリスクを背負うのは御免まっぴら。
   いくら長生きしたって、万一、薬漬けで寝たきりに
   なったりしたら、無駄なだけ。

 C.自分は癌になったってかまわない。
   癌よりも怖い(面倒くさい?)病気なんていくらでも
   ある。

すると、たいてい周りの人間は「こいつ何を言ってんだっ!?」みたいな反応をします。

A~Bは他人にとっては所詮戯言なので、周りの反応なんて気にも留めないです。これが自分本来の生き方のベースとなる思想なので。

しかし、ふと「そんな事言ってる自分は何故糖質制限なんかしてるんだろう?」と疑問が湧いてきます。

確かに、A~Bを受容するのであれば、糖質頻回過剰摂取な生活でもいいはずです。

うまく文章にできませんが、簡単に言ってしまえば、糖質制限は自らの知的好奇心を満足させるための人体実験なのかも知れません。

今回のたがしゅう先生の記事を読み、糖質制限は健康食ですが、自分が実践する動機としては健康の為というのとはちょっと違うなぁと思いました。

自分にとっては、健康のことなんか考えずにA~Bの様な事を躊躇なく言い放つ精神状態がストレスマネジメント的に良好と言えるのかも知れません。
ただし、これが健全な精神状態であるかどうかは我ながら疑問を禁じ得ませんが...(^_^:)

先天性治癒力が病気を治す

2018/07/11(水) 17:27:15 | URL | ヨネモリ #-
病気を治すのは、医者ではなく、患者が生まれながらに備わってる、先天性治癒力が病を、治すので、医者は治癒力を最大限に生かすサポートだと思いますがどうでしょうか。ヒポクラテスは病気は、人間が自らの力をもって自然に治すものであり、医者はこれを手助けするものである。

Re: No title

2018/07/11(水) 17:35:21 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
名無し さん

 コメント頂き有難うございます。

 なるほど、長寿願望はないけど糖質制限実践希望はある、自分の望みはどこにあるのか、ということですね。

 私も取り立てて長寿を目指したいとは思っていませんが、糖質制限は続けたいと思っています。なぜならば、言い方に御幣があるかもしれませんが、私の場合は「健康的に生きて、健康的に死んでいきたいから」です。

 「長寿=健康的に死ぬ」とは限りません。また名無しさんが長寿を望まないと言っても、だからと言って病気まみれの短い人生を望んではいないはずです。
 よく「人生は太く短く、どうなっても構わない」という人がいますが、そういう人は往々にして自分が不健康になった時の姿を想像する力に欠けていると私は思っています。本当に苦しい病にむしばまれた時、おそらくその人は同じ信念を貫けないはずです。だからこそ最終的にそういう人は病院へ運ばれるという現実に私達医療者が遭遇するのだと思います。
 どういう人生を送りたいかの部分が漠然としていると、「長寿を望まない」と「糖質制限を続ける」の間に違和感を生じてしまうのではないでしょうか。

Re: 先天性治癒力が病気を治す

2018/07/11(水) 17:40:00 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
ヨネモリ さん

 コメント頂き有難うございます。

> 病気を治すのは、医者ではなく、患者が生まれながらに備わってる、先天性治癒力が病を、治すので、医者は治癒力を最大限に生かすサポートだと思いますがどうでしょうか。

 その御意見に対しては私も概ね賛成です。
 ただしその先天性治癒力を人為的に100%コントロールできると強気に思うのか、もしくは100%にはならないけれど100%に近づける努力をすることはできると謙虚に思うのかで、大きな違いがあると私は思っています。

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