原因と結果を逆に捉えた真の認知症対策

2018/07/09 00:00:01 | 素朴な疑問 | コメント:0件

脳萎縮は高次脳機能の廃用性萎縮だという私見を述べました。

しかしながら現代医学の中で、認知症を起こす病態の中心は異常たんぱく質の蓄積だという考え方があります。

アルツハイマー型認知症であればβアミロイド蛋白、レヴィ小体型認知症であればαシヌクレイン蛋白、

そして前頭側頭型認知症であればタウ蛋白と呼ばれる異常たんぱく質の蓄積が指摘されています。

中でもアルツハイマー型認知症に対するアミロイド仮説は、長らく医学界の中で、

認知症の病態を説明する最も説得力のある仮説として扱われていました。 一方でこのアミロイド仮説を下に、βアミロイドの蓄積を防ぐ作用機序を持つ様々な新薬が開発されてきましたが、

それらの新薬開発はことごとく失敗しているというのも純然たる事実です。

ということは、異常たんぱく質の蓄積は認知症の原因だったのではなく、

認知症になった結果として異常たんぱく質が蓄積していただけではないかと、

つまり、原因と結果を逆に見ていたという可能性について真剣に考えなければならないように私は思います。

真の原因は過剰適応と消耗疲弊にあり、そのうち脳萎縮は消耗疲弊の表現型のひとつだと思います。

認知症の状態をゴミ屋敷状態の部屋とたとえるならば、

その部屋に多めに溜まっているゴミがβアミロイドなどの異常たんぱく質です。さしずめカップラーメンやペットボトルの空ゴミといったところでしょうか。

ゴミ屋敷の部屋は寝る為、食べる為など最低限の行為に使うのが関の山で、

部屋として多くの機能を使える状態には到底ありませんので、脳機能を多く使えない認知症のようなものなわけですが、

その部屋に多めに溜まったゴミを清掃業者などが入って綺麗に一掃したとしても、

そもそもゴミ屋敷となる原因となった本人の生活習慣が改善されない限り、

今までと同じ部屋の使い方をするだけで、またゴミが溜まっていくのは時間の問題です。

だからアミロイド仮説に基づき、アミロイドが溜まらないように頑張ったところで、認知症はよくならないのではないでしょうか。

では、ゴミ屋敷にならず部屋としての機能を存分に果たすためには何をどうすればよいでしょうか。

自分でゴミ出しに行くというのは当然ですが、そこには他者との関わりが不可欠です。

他者と関わり合いになるのが嫌だから、余計な関わり合いを避けて放っておいてほしいから、

ゴミを部屋に溜め込んでしまうのではないでしょうか。

そうなるとゴミ出しに行くのはあくまでも対症療法的な発想であり、

根治療法的には他者と関わり合うようにすることだと思います。

認知症診療においても全く同じことが言えます。

他者と関わり合い、他者のことを考えて行動することは高次脳機能を使う行為です。

認知症になる人は他者との関わり合いが減ってはいないでしょうか。

社会との関わりが少なくなり、孤独となってはいないでしょうか。

認知症診療の方向性はそちらへ大きく舵取りを変えていくべきだと私は思います。

そう考えていくと、認知症診療と哲学の世界が結合していくような気がして、

大変興味深く思えてきます。


たがしゅう
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