自分を客観視することの難しさ
2018/07/04 00:00:01 |
自分のこと |
コメント:4件
ちょっと前から不覚にも風邪を引いてしまいました。
しかも今回は割と長引いていて、治りかけたかと思ったらまたぶり返したりして、かれこれ2週間ほどになろうとしています。
糖質制限しているのに、ここまで長引いた風邪は初めてかもしれません。
自分の糖質制限は十分ではないとか、自分の健康管理には何かが足りていないとか、
熱が出てしんどいと一人の寂しさを人一倍強く感じるようになる、など様々な思いが頭の中を錯綜します。 中でも今一番感じることは、
漢方薬とかホメオパシーを駆使して自分の症状を取り去ろうと苦心していても、
結果的にうまく治せていない現実であり、
この事から、自分を客観視することの難しさを私は強く感じています。
漢方もホメオパシーも、薬を選ぶ時のポイントは「その人の状態・性質を見極めること」です。
例えば、同じ咳という症状を見ても、漢方なら体格ががっしりした人なのか弱々しい人なのか、痰が絡むのかそうでないのか、
ホメオパシーならどういう性格の人なのか、どういう特徴的な随伴症状、増悪寛解因子を持っているのか、などを、
様々な問診をすることで、「その人らしさ」を見極める作業が必要不可欠となります。
ところが、患者が自分自身となると、
自分にごちゃごちゃ問診するわけには行かず、
とりあえず咳に効くとされる漢方を飲む、といった具合で言ってみれば西洋医学的な一対一対応の安易な選び方で漢方を選んでしまいます。
何よりしんどいので、難しいことはいいからとにかく休んでいたいのです。
そんな風にいつも患者に対してしているように薬を選ばないから風邪が長引くというのは、自業自得な話なのですが、
今ふと長引いてしまった状況を振り返り、じゃあどうやって治そうかと考え直そうとしても、
やっぱり自分の特徴というものがよくわからないのです。
つまり、しんどいし面倒くさくて考える時間をかけてないから合う薬を選べていないのではなくて、
じっくり腰を据えて考えても、自分に合う薬を考えるために必要な「自分の特徴・性質」を見極めるのは難しい、ということになります。
それが私だけに当てはまることなのか、万人にとってそう感じられることなのかはわかりませんが、
自分のことは自分が一番よくわかると思っていた思考の樹の中に、
実は自分のことを客観視することが一番難しいという逆説的な視点が入りうることに気付いたことは、
ひとつこの辛い風邪の経験の中でも新たな収穫であったかもしれません。
たがしゅう
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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コメント
No title
おはようございます。
2週間の風邪はしんどいですね。
どうぞお大事になさって下さい。
野口整体を知ってからは風邪を引いても、からだが調整しているから調整が終わった時のすっきり感に期待すると少しだけ風邪の辛さも軽減する気もします。が、あくまでも少しでやはり辛いものは辛いのが正直なところです。
私も自分について私が知らない(自覚していない)ことがあるものだと認識する出来事が先日ありました。他人の感じる私と自分の思う自分、楽しむのも一つかと思うようになりました。
Re: No title
コメント頂き有難うございます。
私も、風邪には浄化の側面と身体修復の側面と両面があると考えています。
まだまだ私には改善の余地があるということなのかもしれません。
不完全性定理
お身体は大丈夫でしょうか?
先生の記事を読んで、ゲーデルの「不完全性定理」を思い出しました。これは、ある閉ざされた数学体系の中では、公理系から諸定理を証明していく過程の中に、矛盾があるのか、ないのか、いずれも証明することはできない、というものだったと思います。すなわち、自己自身を自ら証明することはできないと言い換えることができると思います。
これを健康に当てはめていいのかどうかはわかりませんが、自分自身が健康か、病気かということを言い当てることは決してできないと言えるのかも知れません。しかし、医師による診察は、医師は第三者であるからこそ、診断できると言えるのかもしれません。とはいうものの、医師といえども患者に対して完全に客観的ではありえませんので、その診断も完全ではないのかもしれません。
以前、物理の先生に聞いた話を思い出しました。
Re: 不完全性定理
> お身体は大丈夫でしょうか?
御心配おかけし申し訳ございません。おかげさまで症状のピークは越えたように思います。
> ゲーデルの「不完全性定理」
> 自分自身が健康か、病気かということを言い当てることは決してできないと言えるのかも知れません。
興味深い御指摘ですね。
そう言われてみれば、私だけに限らず、私からみて病気を治す巧みな技術を持っていると思われるドクターであっても、病に倒れてしまうという現象は確かにある程度認められているように思います。すぐれた技術も自分には適用できないとなると何とも皮肉な話です。
しかし考えてみれば、もしそれができてしまうと、不老不死とまでは行かずとも、不自然に長生きしてしまう人物が出て来てもおかしくはないわけですが、現実には百寿を超えた人達の中ですぐれた治療家は私の知る限りごく少数派です。ということは、病気を治すための卓越した技術を持つ治療家は、ほぼ例外なく自身の長生きを実現できておらず、自然の老化・老衰の流れ未満の範疇に人生がおさまっているということになります。
それは欲望が膨らみ過ぎないようにする生物としてのブレーキのようにも思えますし、他者に貢献すべしという生きるべき方向性を示しているようにも思えます。深いですね。
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