自然重視型の人とのつながり

2018/07/02 00:00:01 | 自分のこと | コメント:2件

インターネットが発達したおかげで、

私達はかつてない人とのつながり方をすることができるようになりました。

具体的にはFacebookやTwitterなどのSNSを通じたつながり方のことです。

しかしこうした技術が生み出した人とのつながり方は、本来であれば守られるべきパーソナルスペースを飛び越えて、

人と人とを強引につなぎとめてしまう人為性があるという点には以前にも触れたことがあります

しかしそれにしてもネットが人のつながりやすさという点でもたらした恩恵はあまりにも大きいと私は思います。

こうした新しいつながり方を模索する中でも、やはり自然重視型が大事だと私は考える次第です。 では自然重視型の人とのつながり方とはどんなものでしょうか。

例えば、初対面の人とは気が合うこともあれば、合わないこともあると思いますが、

気の合う人とはまた会いたいと思うでしょうし、合わない人とはできればこのままスルーしたいという気持ちが出てくると思います。

普通であれば、前者と会う機会は増え、後者とは会う機会が少なくなる、これが自然のなりゆきだと思います。

ところがSNSでつながれば、気が合おうが合うまいが、つながりを持てば一緒くたに「友達」というグループにカテゴライズされることとなります。

そこには気の合う人も合わない人も同レベルの距離感でつながっている不自然さがあるように私は思います。

一方で人には、少なくとも私には、人に嫌われたくないと思う傾向があります。

もしも気の合わない方からアプローチされたとしても、なかなか素直に拒絶できない自分がいます。

この価値観は、私が今まで生きてきた中で培ってきた経験、周囲との人間関係、受けてきた教育など様々な要因によって構築されてしまっているものだと思いますが、

いずれにしても、私はここで素直な気持ちに従うことにブレーキをかけてしまうことが多々あります。

自分が嫌われたくないからです。この点において私は「嫌われる勇気」を持てていないし、

あるいは主体的に行動することさえできていないように思います。

自分が主体的に動かないということは、裏を返せば周りの意見に左右されてしまうことを容認するということです。

自分が主体性を出さないがためにつながりたくもない人とつながり、

そしてさらにそのつながりたくない人からのアプローチが強くなればなるほど、

自分のつながりたくなさと相手のつながりたさの間のギャップは大きくなるばかりで、放置すればするほど問題は大きくなります。


しかし自然重視型のつながり方をしていれば、そんな事は起こりにくいはずです。

本当に会いたくなければ、会ったとしても表情や言葉のニュアンスなど非言語的な部分に会いたくなさが現れますし、

よほど鈍感でない限りは、相手もその事を察して、前ほどに会いたいとは思わなくなることでしょう。

これが自然重視型のつながりをしていれば正常に機能する感覚だと思います。

逆にこれが正常に機能しなくなることが、不自然なつながり方を助長し、ストーカー犯罪などにつながっていくのではないかとも思います。

有名人など、本来であればそう気軽に会えるはずもない相手でもFacebookやTwitterであれば容易につながれてしまうわけですが、


それは極めて不自然なつながり方なのだということを私達は認識しておく必要があるのではないでしょうか。


先日の分身ロボットOriHimeの話を聞いても思ったのですが、

あれはロボットでありながら、人との本来のつながり方を重視しているから良いのであろうと感じました。

離れた距離にいる人がロボットを通じて会うということ自体は大変人為的なことですが、

そこで繰り広げられるコミュニケーションは遠くにいるその本人と自然に会って話をする際のコミュニケーションを再現しているものですから、

それは自然重視型に近い人とのつながり方になるのではないかと思います。

今後分身ロボットが進化して、その人の表情やしぐさ皮膚の感覚など、非言語的なコミュニケーションまで再現できるようになればもっと可能性は広がるかもしれません。

人との新たなつながりを構築していく際にも、

私達は自然の形を重視して、そこに適切な人為を加えていく発想が大事と私は思います。


たがしゅう
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コメント

思いこみのようなものだった

2018/07/02(月) 22:21:52 | URL | エリス #-
むかし、花好きな人のブログを読んでいて、そこには季節の花の写真を毎日たくさん載せてくれていました。

お花の知識の記事も詳しくて、私はそのブログ主さんのことを都合よく想像していました。

ある日観花会(オフ会)があり、よろこんで出かけたのですが、ブログ主さんは花好きというよりも、花の写真をきれいに撮ることが好きな人だとわかりました。

それまでの、ワクワクしてブログをのぞいていた気持ちがしぼんでしまいました。

誰かは、誰かのままにしておいたほうが、よかったのかもしれません。

Re: 思いこみのようなものだった

2018/07/02(月) 22:57:46 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
エリス さん

 コメント頂き有難うございます。

 「直接交流でなければ互いのイメージにギャップが生まれやすい」と一般化できるのかもしれませんね。

 私もブログで書く内容は、どうしても自分にとって都合が悪い文章は分量少な目になります。
 ということは裏を返せば、よそ行きの恰好をつけた文章が大半を占めているということでもあります。
 そのようなよそ行きの文章を読んで読者の皆さんは私をイメージされるのだと思いますが、実際に会うとよきにつけ悪しきにつけイメージと違ったと言われることは多々あります。

 しかし直接会えば、表情や言葉のイントネーション、微妙なニュアンスまで丸ごと伝わりますから、イメージのギャップが生まれにくいのかもしれないと思います。

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