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適切に楽をし、適切に仕事する
普通に生きていくためにはお金が必要で、安定的にお金を手に入れるためには仕事をする必要があるからです。
一方で仕事はストレスを生み出す大きな源にもなりえます。
お金を手に入れるために、それによって自分や家族を養うために、
多少やりたくなくたってしなければならない仕事もある、という事は多くの大人が感じるところではないかと思います。
理想的には「自分のやりたいこと=自分の仕事」となる状況がストレスマネジメント的には一番良い状態ではないかと思いますが、
なかなか理想通りの仕事に就くというのは難しいことかもしれませんね。
最初の入り口は自分のやりたいことであったとしても、
実際に経験を積み重ねていくことで、次第にやりたくない仕事をしなければならない状況になっていくことも多いと思います。
という事は、昨日の記事にも通じますが、事前にどんな仕事に就くかということをあれこれ悩むのはほどほどにして、
大事なことは、就いた仕事で自分へ次々と降りかかる様々な困難に対して、いかに柔軟に適応しようとするか、ということではないかと私は思います。
そして一方で、その時に見えないストレスの存在に対して、
時々振り返るように「自分は仕事に適応しようとするが余り無理をしてはいないか」という事を見直すことも大切だと思っています。
楽は人生をダメにする潜在能力を秘めていますが、楽をすること自体が悪いことだとは私は思いません。
適切に楽をして、適切に仕事に適応する、ということが大事だと思うのです。
例えば、いくらやりたいことだからといって仕事に邁進し、
家族の気持ちそっちのけで仕事一筋人間になってしまうと、
いつの間にか、自分がいないと仕事が成立しない状態となり、その責任感からますます仕事がやめられず、
その状況に対して不満をもらす家族と職場との板挟み状態にあって、さらにそれを改善しようと過剰適応してしまう悪循環へとつながっていってしまいます。
恋人同士の喧嘩で有名なセリフ「仕事と私とどっちが大事なの!?」も、こうした過剰適応の状況の中で生み出される言葉であるように思います。
しかし実際問題、自分にしかできない仕事だと思っていても、自分ひとりがいなくなったところで世の中は意外に何とか回っていくものです。
自分の仕事を見直す時には、
「自分がいなくてもこの仕事が回るかどうか」で考えるのではなく、
「自分がこの仕事を心からやりたいと思うかどうか」という事を考える方が、
健康に、ひいては幸せにつながっていくのではないかと私は思います。
前者は自己犠牲的な発想であり、後者は自己貢献から他者貢献へとつながる幸せサイクルを作る発想です。
この思考は一人でいる時には比較的シンプルに実行することができますが、
恋人同士や家族を交えてということになるとより複雑になってきます。
なぜならば自分がやりたいからと言って仕事をやり続けてしまっていれば、いつの間にか先ほどの「仕事と私(達)どっちが大事なの!?」状態に追い込まれてしまうからです。
従って、わたしの人生からわたしたちの人生へとステージが変わったときには、
仕事を行う基準として「自分がやりたいと思うかどうか」に加えて、「適切に楽ができるかどうか」という事も併せて考えるべきだと私は思います。
なぜならば、適切に楽ができる環境であれば、ストレスマネジメントのための時間や、恋人や家族と一緒の時間を捻出するための余裕を生み出しやすくなるからです。
こうした人生におけるゆとりある「遊び」の部分を設けることによって、
様々な困難を未然に回避しやすくなるのではないかと考えられます。
具体的には、今行っている仕事量が100だとすれば、
70とか80に抑える工夫も必要になってくるように思います。
いつの間にか恋人に振られていたり、家族崩壊へとつながることのないように、
独りよがりにならないように生きていきたいですね。
たがしゅう
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