恋愛や結婚は失敗学実践の場

2018/06/22 00:00:01 | 失敗学 | コメント:0件

恋愛も結婚も人間相手の営みであるから、

いろいろ考えあぐねた所で思い通りにはいかないもの、

だったらあれこれ真面目に考え過ぎるのを止めて、

目の前の出来事に対して、自然に沸き起こる感情を大切にして一つ一つ動けばいい、

という考え方があります。

これは一見、自然を重視している考え方であるように思えます。

はたして、この考え方は自然重視型医療を推奨する私の心にフィットするのかどうか、

本日はこの点について少し思考を深めてみたいと思います。 自然重視型というのは人為が生まれる前、言わば野生動物的な行動様式を参考にするという考え方です。

「お目当ての異性を見て素敵だと思う」
→「一緒になりたいと思う」
→「行動に移す」


ここまでは動物界にも共通する一連の流れであり、この流れに従う事は「自然重視型」だと言えると思います。

しかし、複雑に入り組んだ現代社会において、自然に沸き起こるとされる感情は、

必ずしも自然とは言えない状況もあると思います。

例えば、お目当ての相手に出会えても、

すでにその人にパートナーがいるという場面においては、

自然重視型の行動を取れば、略奪愛になろうと自分のものにするために行動するという事になってしまいますが、

実際にはそんな状況であれば、自分の方から身を引くという選択の方がより自然な感じがします。

あるいは逆にそれほど興味のない人に言い寄られたりした場合、

自然重視型の行動を取れば、言い寄られようが何をされようが、無視するなり、別の所へ行くなりという拒否的行動につながるわけですが、

現実的に自然な行動としてはそんな相手の思いを無碍にもできないので、

あまり興味がなかったとしても、ひとまずお付き合いしてみるということの方が自然であるように思います。

今の例はよりシンプルな部分だけを抽出しているだけですが、

実際にはここに相手の年齢や住所、仕事、経験、人間関係、経済状況などなど様々な要因が複雑に絡み合って、

その複雑な状況の中で自分が自然だと思う行動をそれぞれが取っているわけですが、

それは自然ではなく、極めて人為的な判断なのではないかと思います。

私がここで言いたいのは人為的なものがよくないということではなく、

人間社会というそれだけですでに人為的な場で生きていくためには、逆に適切な人為を加えていくしかないと思いますし、

むしろこの場においては自然重視型の行動の方が、不利に働いてしまうとさえ私には思えるわけです。

平たく言えば「本能のままに動く」という自然重視型の行動を認めてしまえば、

不倫も乱交も何でもありという事になってしまい、場合によっては自然重視型の行動が自らを破滅に追い込んでしまう結果ともなりかねません。

今の社会の中で純粋なる自然重視型の行動をとれば秩序が保てなくなるということは想像に難くないのではないかと思います。


ただ話をさらに複雑にしてしまうようですが、

本来であれば、自然重視型で動くべきなのもかもしれません。

なぜならば様々な障壁を取っ払ったその先においては、素直な感覚の中に本来自分が求めているものがあるのでしょうから。

実際にそうした方法で幸せをつかんでいる人だっていることでしょう。

たとえ世間から後ろ指を指されるような恋をしたとしても、他人にとやかく言われる筋合いはなく、

自分達は本来の意味での自然な感情に従ったまでだという人達もいることでしょう。

だけども、きっと大多数の人達は、自然の感情と人為的な環境の狭間で悩みつつ、その場の判断を下し、

必ずしも100点とは言い切れない状況の中で、互いに創意工夫をして困難を乗り越えて、

ひとりの人生からふたりの人生へ、ふたりの人生からかぞくの人生へと、

試行錯誤の中で人生のステージを変えていっているのだろうと想像します。


ややこしい話になってしまいました。

なぜややこしくなるかと言えば、考えるという行為そのものが人為的であるからです。

考えと考えが無数に折り重なって社会というシステムが出来上がっているので、それが極めて人為的になるのは当然のことです。

だからこそ、何も考えないという瞑想やマインドフルネスの発想は自然重視型医療の一端を担うと私は考えているわけですが、

考えずして今の社会を適切に生き抜くことはできません。

だから恋愛や結婚に関しては、自然の感情を大事にしつつも、

現実に折り合いをつける適切な人為を加えるべきだと私は考えます。

これには人と人との組み合わせで無数のパターンが生じうるので、

とてもではないですが唯一無二の正解を見つけ出すことは不可能ですし、そんなものはきっとないであろうと思います。

さすれば実際にいろいろ経験しながらよりよい選択を求めて、

正解はないかもしれなけれど、考え続ける。失敗を経験すれば、またさらに考え続ける。

その中で大失敗だけはしないように先人の知恵や経験を参考にするという、

恋愛や結婚はまさに失敗学の大きな実践の場だと私は考える次第です。

また真面目に堅苦しい事を書いてしまいました。

しかしながらこれからは失敗を恐れずに一歩ずつ歩みを進めていきたいです。


たがしゅう
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