既読スルーに感じる心の在り方

2018/05/22 05:35:00 | ふと思った事 | コメント:0件

いまや幅広い世代のコミュニケーションツールとしてすっかり定着したSNSの一つ「LINE」ですが、

メッセージをチェックしたら「既読」と表示されるシステムがあることによって、「LINE」にまつわっては「既読スルー」という現象が注目されることになりました。

「既読スルー」というのは、「メッセージを読んだにも関わらず返信をしない(していない)状態」のことを指します。

既読スルーをされると例えば友達から無視されている気持ちになったり、大事に扱われていない気持ちになったりするため、

いじめの温床にもなる可能性などが指摘されています。

しかし考えてみれば「LINE」が生まれる前から、「既読スルー」という現象自体は存在していたはずです。 例えば年賀状をもらった時の対応です。いまや私は年賀状を誰にも書かないスタイルを貫いていますが、

はたして皆が皆、もらった年賀状に対して返事を返すという行動をとっているでしょうか。

あるいは既読スルーはあたかも相手が自分に対して興味をあまり持っていないような印象を受けるかもしれませんが、

日頃の感謝を述べたような内容が書かれていた時に、相手が返事を返さないからといって、相手が送り主のことを大事に思っていないというような事が言い切れるでしょうか。

私ならたとえ返事を返さなかったとしても、そのメッセージを有難いと感じます。

ただ年賀状とLINEとで決定的に違うのは、気軽に返事を返せるか否かということです。

気軽に返事が返せるのに返さないということは、やはり自分に興味を持っていないのではないかという風に思う人が多いのだと思いますが、

本質的には年賀状でのやり取りと同じ部分があるのではないかと私は思います。

つまり既読スルーをするかどうかは、その人の性格・こだわり・生活習慣・メッセージの内容など様々な要因によって影響されるのであって、

「既読スルー=興味がない」というわけでは決してないということ、

もっと言えば、「既読スルー」しているけど、相手に興味を持っていることだって十分にありえることだということです。

例えば既読して即返信という行動を繰り返していると、やめ時がわからなくなったりする時があります。

その場合、相手の貴重な時間を奪ってしまうことにもなりかねません。表面上は友好的なやり取りであったとしても、メッセージの内容ではわからない「もう止めたい」感に気付けない可能性もあります。

あるいは、相手が疲れているかもしれない時間帯に返信するのは相手をさらに疲れさせることにもなりかねませんし、

自分が疲れていて、一旦返信し始めて長くなることが想定されるような時、その場合はあえてその日に返信をしないということだってあります。

この既読スルーは決して相手に興味を持っていないということではありません。

LINEは気軽である反面、相手のパーソナルスペースにズカズカと入り込む所があります。

それゆえまだ親密ではない人とのコミュニケーションを、すごく親密な人と同レベルで行うことを可能にします。

気のある相手と連絡を取り合う場合は非常に便利ですが、反面、既読スルーが年賀状の時代にはありえなかった疎外感を生み、いじめの温床ともなる事態にも発展しています。


こうした事を考えていくうちに私が思うのは、

既読スルーをされた相手に感じる嫌な気持ちというのは、結局自分の心の在り方が反映されているということです。

つまり見返りを求める自分の心の在り方が、既読スルーをみることで自ら嫌な感情を作り出してしまっているのです。

相手が既読しようとしまいと、見返りを求める「ギブ&テイク」ではなく、相手に与え続ける「ギブ&ギブ」の気持ちを持ち続けていれば、

既読スルーされようとも、年賀状が返ってこなくとも、相手からの見えない感謝の気持ちを感じ、時に感じられずも、

私はいつもの私であり続けられるのではないかと思います。

新しい文化が生み出されると、新しく心の在り方を整理しなくてはならず大変かもしれませんが、

迷った時は人間の基本に立ち返れば道標になるのではないかと思います。


たがしゅう
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