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広い意味での自然重視型医療
私達が健康について悩む時に、原始時代の人の在り方を参考にするのが自然重視型医療への第一歩です。
原始時代の有り様をベースにすることで糖質制限食がいかに自然に即している食事内容であるかというアウトラインが見えてきます。
その一方で、脂質の割合を増やしててんかんや神経難病への神経保護作用を高めたり、
何らかの理由で脂質代謝が錆びついている人は、当座少量の糖質も組み合わせながら脂質代謝をメンテナンスしたりしていくのは、言わば「人為を加える」行為です。
糖質制限という自然状態に必要に応じて適切な人為を加えていく、これが自然重視型医療、というのが私の考えです。
今回はその自然重視型医療の考えをもう少し広げて考えてみたいた思います。
以前少し触れましたが、病院に入院していた重症患者が、
本人の家に帰りたいという強い希望で在宅医療を受けられる環境を整えて自宅退院してもらったら、
病院ではあれほど悪かった病状が驚くほど治っていくという現象は、
在宅医療の現場では稀ならず観察されています。
特に余命数ヶ月と言われた末期がんの患者さんが、在宅医療を受けて結果的に余命が年単位に延びるという現象はよくあることです。
こうした状況を見て私は、病院医療より在宅医療の方が「自然重視型医療」に近いと考えています。
病院医療より在宅医療の方が優れた薬を使っているとか、在宅医の腕がいいとか、そういう話ではありません。
むしろ病院の方が高度な医療機器を使えるし、専門医と呼ばれる特別な技術を持つ医師だって多いはずです。
それなのになぜ、在宅医療の現場の方が病院医療よりも患者さんに良い成果をもたらすのでしょうか。
自分の家の環境は原始時代と比べれば自然とは言えないかもしれません。
けれど長年自分が人生の中で触れてきた生活環境なのだから、
ホモ・サピエンスとしては自然でなくとも、患者本人にとっては病院に比べて自宅は「自然」に近い環境と言えるのではないでしょうか。
これは病院医療に対する強烈なアンチテーゼでもあります。
言い換えれば病院医療がいかに自然からかけ離れているかということです。
自然重視型医療の目指すゴールは必ずしも原始時代にあるわけではありません。
今よりも自然に近い状態、それを追い求めるのが広い意味での「自然重視型医療」です。
むしろ現代社会に生きる私達は、現代社会における新しい自然重視型の生き方を追い求める必要があるのだと、
在宅医療での驚くべき改善現象は、私達にそれを考えるためのヒントを与えてくれているような気がします。
たがしゅう
コメント
ありふれた風景
私だけでしょうか?
院内で働く職員の方々は患者さんに親切に接することを心掛けているのでしょうが、客観的にみると「教育された親切」に見えてしまいます。
また病院機器の音も「ピーピー」「ガーガー」と何とも不自然。
一方、見舞いを終えて外に出たとたん、鳥のさえずりや木々の揺れる音にほっとする瞬間を知る自分。
こういうありふれた風景や出来事のなかに驚くべき知性が働いているという感覚を大事にすれば健康体にシフトするということを体は無意識に求めているのでしょう。
2018-05-17 10:54 だいきち URL 編集
Re: ありふれた風景
コメント頂き有難うございます。
病院は清潔感や効率性を要求されている所があると思います。
そうなればなるほど人為性が高まってくるのでだいきちさんが感じられる違和感はとてもよく理解できます。
しかし多くの人は違和感を感じていても、それはそういうものだとスルーしてしまっているのかもしれませんね。
2018-05-17 13:00 たがしゅう URL 編集
No title
入院環境はほとんどの場合、自宅より低ストレスということはないでしょう、自覚できるかどうかは別として。
もしそうなら、「自然(普通、日常)に近い」≒「低ストレス」ということ、もしかしたら医療現場そのものがストレスマネジメントをより困難なものにしている可能性すら、ないとは言えないのかも知れません。
「もし」「かも知れない」ばかりで申し訳ありません^^;
2018-05-17 17:24 ねけ URL 編集
Re: No title
コメント頂き有難うございます。
> 「自然(普通、日常)に近い」≒「低ストレス」
そういう事になると思います。
例えば病院でストレスは感じないという人であっても、
自宅なら大の字になって寝やすいですが、病院のベッドで同じように大の字に寝ることは難しいはずです。
病院というだけで、日常的な生活の場でないというだけで、意識するしないに関わらず、すでにストレスになっていると思います。
2018-05-17 17:31 たがしゅう URL 編集