他人の意見を自分の中で組み直す

2018/05/12 00:00:01 | ふと思った事 | コメント:4件

自分は素人だから医学の難しいことはわからないから、

〇〇先生の言うことを信じてその通りに行動するのでどうすればいいか教えて下さい」とのスタンスで、

様々な先生の言うことを取り入れてはその通りに行動し、

不安を解消するためにいろいろな人に質問し続けるも、

質問すればするほどなぜか不安が増してコントロールできなくなっている、という方を時々見かけることがあります。

なぜ様々な先生の良い所を取り入れているはずなのに、不安まみれになってしまうのでしょうか。

本日はそうなってしまう理由を少し踏み込んで考えてみたいと思います。 結論から言えば、他人が行うアドバイスは自分の視点で考えたものではないからだと私は考えます。


例えば私は、肥満体質で糖質制限を実践する事であらゆる体調不良が速やかに改善していった経験を持つ立場で様々なことを考えています。

また私は同じように糖質制限を続けていても、体重の減少が途中で止まり、ある程度肥満のまま体重が横ばいで推移するという経験も持っている人間です。

どうしてもその視点で物事を考えますし、やせ型体質の考察はどうしても想像の域で行う事になってしまいます。

従って、読む人が読めばどこか真剣味が足りなかったり、他人事のように受け止められる方も多いかもしれません。

それはそうです。確かに他人事なのですから。

他人の意見を素人だからわからないという言い訳で持って咀嚼せずにそのまま利用しようとすれば、実際に使ってみてそぐわない出来事が出てくることは避けられません。

例えば、私が糖質は無理のない範囲で摂取量を制限した方がよいと言っているのに対し、

実際には糖質を摂取すると体調が良くなったというような状況に出くわした場合です。

そういう場合になぜ自分にそういう事が起きているのか、自分のこれまでの経験と照らし合わせたり、

これまでに賢人達が積み重ねてきた種々の考察・意見などを参考にしたりして、

自分の頭の中に取り入れて、自分の立場や視点から考え直す作業はこれ必須だと私は思います。

その作業を怠ったまま過ごしていれば、ある時「糖質はやはり摂取すべきだ」という権威的な存在に遭遇すれば、

自分の頭で考えてないが故に立ち所にそちらの意見になびいてしまうわけです。

そしてまたその中でもまた同じように現実とそぐわない出来事に遭遇し、

同じ悩みを繰り返すという悪循環が回転していくため、結果的に不安まみれになるのではないでしょうか。


少なくとも私は他人の意見をそのまま鵜呑みにはしません。

それがたとえ師匠が言うことであったとしても、です。

毎日ブログで自分の経験を基盤にして考察を積み重ねていく経験をしてきたことで、

幸いなことにその辺りのことはよくわかってきたように感じています。

そうして自分の立場で物事を考え続けて出来上がってきた自分の中で筋の通った考え方を「思考の樹」と名付けています。

私も最初は糖質制限のことなど全くわからない素人でした。

ブログを始めた当初は自分にわからない質問をされたらどうしようと思っていた時もありました。

それが日々、地道に思考を積み重ねていくことで、

様々な読者の方から頂くいろいろな角度からの質問にも、ある程度筋の通った返答ができるようになってきたのではないかと自負しています。

勿論、わからない事は今でもわかりませんが、答えられる幅は当初よりも確実に広がっているように思います。

こう言うと、たがしゅうは医者で頭がいいからわかるようになっているだけだと思われるかもしれません。

私は決してそんなことはないと思いますし、むしろギリギリ医学部に入れたような人間なので、少なくとも学力だけで言えば出来の悪い方です。

ここでもわかるように、立場が違えば全く違う意見として受け止められるものです。

しかし冒頭での方のように、「〇〇先生のことを信じる信じない」のレベルで動いている人は、

このように全く立場の違う意見を、一度も検証することなく、まるで自分でも成立することのように扱っているということなのではないかと思います。


他人の意見は所詮、自分とは違う他人の立場で考えられた意見です。

それは自分にとってはどうなのかということを自分が考えずして、はたして誰が考えてくれるというのでしょう。

素人だからという理由で考えることを放棄している人に訪れる不安は、訪れるべくして訪れている不安だと私は思います。

それでも自分の頭で考えるのが怖いとか、よくわからないという人は、どのように自分の人生が揺さぶられても文句は言えません。

なぜならば自分とは違う他人の意見を、まるで自分のことのように扱い続けてきたのですから。

そうなるのが嫌であれば、人生をやり直すのに遅すぎることはありません。

今からでも自分の頭で考えてみることです。

他人の意見を自分の状況・自分の境遇に当てはめてどうなのか、

自分の頭の中で整理し組み直してみるべきだと私は思います。


たがしゅう
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コメント

No title

2018/05/12(土) 20:55:49 | URL | 名無し #-
「信じる者は救われる」という言葉が有りますが、救われなかった時の反応としては、「なぜ信じたのに裏切られたんだ!」と一方的に信じた他者を非難する場合と、「信じた自分の思考に問題は無かったのか?」と自分自身をかえりみる場合があると思います。
前述の積み重ねでは、「思考の樹」を育むことはできず、後述の積み重ねだと、「思考の樹」をはぐくむことができると思います。つまり、疑いの目を他者にではなく、自分自身に向けるということですね。
これは、精神的につらいことかもしれませんが、「自分の頭で考える」ということの醸成につながるのではないおかと思います。

Re: No title

2018/05/13(日) 00:19:34 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
名無し さん

コメント頂き有難うございます。
名無し さんの御意見に同意します。

自分の頭で考えることは口で言うほど容易いことではないかもしれません。
しかしその積み重ねは自分を着実に成長させ、人生の道標となると私は信じています。

Re: No title

2018/05/14(月) 08:00:20 | URL | しらねのぞるば #-
そういえば,たしか小林信彦の小説の中で,『信ずる者は(足元を)すくわれる』という名言がありました.

自分の頭で考え抜くことは実に孤独で不安な作業なので,他人に判断をゆだねてしまいがちですが,それは自分をもっと困難な道に追い込むだけだと思います.

Re: Re: No title

2018/05/14(月) 08:25:09 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
しらねのぞるば さん

 コメント頂き有難うございます。

> 『信ずる者は(足元を)すくわれる』

 なるほど、言い得て妙ですね。
 信じるという行為に主体性があるか否かで、その後の展開も大きく変わってくるということだと思います。

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