極度のストレス環境から学ぶストレスマネジメント

2018/05/07 00:00:01 | ストレスマネジメント | コメント:0件

小保方晴子日記に書かれている壮絶な体験記録の中で、

ストレスマネジメント的に参考になる箇所がいくつか書かれていたので、

本日はその辺りの私の注目点について紹介したいと思います。

基本的には小保方さんはこの日記の中で、抑うつ状態、思考鈍麻、倦怠感、悪夢、情緒不安定など様々な辛い症状にさいなまれており、

読んでいてこちらとしても辛くなってくるような記述がずっと続いているのですが、

そんな中でも少し希望が見出せる箇所、言い換えれば極度のストレス環境を抜け出す秘訣のようなものがおそらく無意識でしょうけれど書かれていることに気付きました。

(p19より引用)

(2015年)1月13日(火)

雪がどかどか降っている。

関東平野で生まれ育ったせいか雪はこんこん、とか、しんしん、と降るものだと思っていた。

私の身体は床に張り付いたまま動けなくなっている。

疲れすぎて体の機能が低下しているのを感じる。雪の崩れる音がだんだん遠のいていく。

このままゆっくり呼吸が止まって心臓も止まるかもしれない、と何度も思った。

ぽんすけを守るという使命感は自分が思っていた以上に私の気を張らせてくれていたみたい

(引用、ここまで)


「ぽんすけ」というのは小保方さんが飼っている亀の名前のようです。

ここでは自分が著しく辛い状況におかれているにも関わらず、「ぽんすけを守らなくちゃ」という想いがかろうじて自分の精神を支えている様子が描かれています。

実は代替医療の世界では、アニマルセラピーと呼ばれる治療法があり、

動物と触れ合わせることでその人に内在するストレスを軽減させたり、あるいは当人に自信を持たせたりといったことを通じて精神的な健康を回復させることができると言われています。

もっと言えば、アニマルセラピーは動物への愛情をヒトへの愛情と同質とみなすことによって、

他者貢献感の幅を拡げて、心の安寧化を得ようとする試みと言えるのかもしれません。アドラー心理学の発展形とも捉えることができます。

こういう極限の状況では、誰かに守ってもらわないと生きていけない心情になりそうなものですが、

逆にこういう状況だからこそ、守るべきものがいるということは生きる意味や勇気を与えるという逆転の発想が必要なのかもしれません。

(p26より引用)

(2015年)1月29日(木)

肉体が休みたいと言っているのに、眠ることができない。

解決できないことばかり一生懸命考えている。

部屋にいると叫び出してしまいそうで、今日も歩きに出た。

昨日よりずっと寒く感じるし、足がもたついて、歩いても歩いてもなかなか前に進まなかった。

お風呂場の鏡で久しぶりに自分の足を見た。驚くほど太い。なんだこれは。

(引用ここまで)


極度のストレスがかかると、肉体的疲労があるにも関わらず眠れないという状況が起こることを示しています。

普通疲れたら眠れそうなものですが、ストレスなどにより交感神経過緊張状態になっていると身体がなかなか睡眠モードへと移行しません。

これと同様の病態はきっと高齢者の不眠症にも多く見られていると思います。

ただストレスの大きさが圧倒的に違うことは想像に難くありませんし、強大なストレスがかかれば若くしても同じような不眠が引き起こされることを意味します。

またベンゾジアゼピン系をはじめとした一般的な睡眠導入剤はこの状況で交感神経を強制的にシャットダウンさせることで睡眠を促す作用を有しますが、

それは根本原因のストレスに全く対処していないので対症療法に過ぎず、

切れ味の鋭い睡眠薬(短時間作用型)であればあるほど、切れるのも早く大きな揺り戻し(離脱症状)が襲ってきますし、

その依存性から睡眠薬を常用していないと自律神経の安定化が図れなくなり、

睡眠薬を切れば前よりもひどい交感神経過緊張状態へと悪化してしまうので、何も考えていなければ「睡眠薬のおかげで眠れている」という誤解へもつながってしまいます。

もし私がこの状況を診たら、酸棗仁湯という漢方薬を使用していたかもしれません。その方が自然に近い眠りを誘導しやすいからです。

いずれにしても睡眠薬の使用は最小限に留め、ストレスマネジメントを心がけるのが正しい対応になると私は思います。

ただ小保方さんの状況でのストレスマネジメントは容易でない事は想像に難くありません。

ちなみに小保方さんがここで取られた運動という行動は適切ではなかったかもしれません。

なぜなら身体が疲れていて本来であれば休むことを要求する状況にあったからです。それは普通に身体の声に従うことができていれば難なくできていたはずですが、

極度のストレスで眠るべき身体疲労の状況下でも眠たくないという脳と身体の不一致状態が誤った判断へと導く悪循環へとつなげたものと推察されます。

(p31-32より引用)

(2015年)2月7日(土)

今日で流浪の長旅は最後。少しいいところで締めくくろう、と友人に誘われ、海辺のリゾート地に建つ旅館に宿泊することになった。

チェックインの前にいちご狩りに行き、いちごをちょうど50個食べた

元気な時でもこんなには食べられなかったのに、無我夢中で食べてしまった

胃が破裂しそうな状態で宿に着き、仰天。柔らかないい温泉。明るく広い部屋。波の音まで昨日の宿とは全然違って聞こえる。

豪華な夕食に並んだアワビの踊り焼きが苦しみ悶えている姿に見えて、底知れぬ恐怖を感じた。見るに堪えず下げてもらった。

睡眠薬を飲まなかった。眠れなくても、暗い部屋の中でこの穏やかな波の音を聞いていたいと思った。

朝日が昇るまで布団の中で波の音に耳を澄ました。

2月8日(日)

眠れなかったけれど、いつもより気分がいい

部屋のお風呂に入った。お風呂から青い海が見える。海風も入る。潮と檜が混ざった匂い。

とてもとても気持ちがいい。心の上層が少しだけ浄化された気がする

(後略、引用ここまで)



ここでは小保方さんがストレス代償行動として甘いものの過剰摂取に走っている様子がみてとれます。

ストレスの代償行動を甘いものに依存する傾向は女性に多く見られますが、通常の摂取量を大きく超えている様子から小保方さんにかかったストレスの大きさをここでも垣間見ることができます。

このような極限ストレスの状態では即効性を求めて、ストレス解消のために糖質摂取に頼ることは、

特に普段からケトン代謝にあまり適応していない人であれば、緊急避難策としてとってよいのではないかと私は考えます。

それから睡眠薬を不使用で波の音に耳を傾けるなど、1/fゆらぎのリラックス効果が期待できる試みに集中し副交感神経を賦活すれば、

極度の交感神経過緊張状態を解消とまでは行かずとも、少し緩めることができた状況が推察されます。

ここでも自然重視型医療の重要性を感じることができるのではないでしょうか。


以上の考察をまとめると、

守るべき存在はいることは生きる勇気を与え大きなストレスマネジメントとなること、

正常な判断が下せなくなった場合はむやみに行動せずに、自然に感じられる心地よさに身をゆだねること、

そして急場をしのぐためのストレス対処行動として、糖質摂取や自然の構造を保った漢方薬使用は許容されるが、人為的な西洋薬の使用は必要最小限に留めること、


ということになると私は考えます。


たがしゅう
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