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主体性は上達の元
一人の症例に対して医師、看護師、理学療法士、医療ソーシャルワーカーといった多職種が
その患者にどのように関わり、どのような経過をたどったかということをそれぞれがパワーポイントを用いて発表されていました。
それぞれがその患者さんの情報を事細かに述べて、経過もかなり詳しく述べられており、その内容もすべて配布資料として配られるという親切さだったのですが、
残念ながら、私が把握できたのは症例の大まかな流れだけでした。
なぜならば与えられる情報のほとんどが文字情報であったからです。
あるプレゼンテーションで文字情報が聴衆に与えるインパクトは7%程度だという話を聞いたことがあります。
ただでさえ7%しか印象を残すことができない文字情報が、画面いっぱいに敷き詰められたプレゼンは、僭越ながら改善の余地ありと私は考えます。
勿論、聴く側の能力もあるのでしょうけれど、基本的に普通の人は二つの事を同時にはできません。
文字を読んでいる最中には演者の声が聴けませんし、演者の声を聴いている時は画面の文字が読めません。
配布資料を参考資料として後から読むにしても、文字が一面に敷き詰められたスライドを後でゆっくり読む気になれるかと言えば、少なくとも私はなりません。
「他人のふり見て我がふり直せ」という事を感じさせられる症例検討会でした。
このようなプレゼンは何もこの症例検討会に限ったことではなく、割りと頻繁に見受けられます。
何かを人に伝えようという時に、せっかく伝えるのであれば効果的に伝えたいと思うのが人情ではないかと思います。
それなのにあまり伝わらないプレゼンが世の中にはびこるのでしょうか。
それは多くのプレゼンがやりたいから行っているプレゼンではなく、やらなければならないから行っているプレゼンだからではないかと思います。
症例検討会の例でいえば、自分達から自ら発表したいと願って登壇されたのであればよいですが、
誰か上の立場の人から「○月△日にこういう研究会があるから、何か症例を出してくれないか」と頼まれて登壇した場合だと、
それほどその症例についての何かを伝えたいという気持ちは生まれにくく、とにかくその場を成立させるようにプレゼンを作る気持ちの方が強くなってしまうのではないかと思います。
それ以外も研究会があるから、学会があるから、上司に勧められたからなど受動的な理由で行うプレゼンは、おそらく漫然と繰り返していてもあまり上達はしないと思います。
それよりもこの症例のこの部分を伝えたいとか、この経験でよかったと思ったことを伝えたいとか、自分の失敗を糧にして他の人に同じ失敗を繰り返さないようにしてもらいたい、などといった主体的な理由があれば、
たとえプレゼンの技術を勉強しなくとも、言いたい所は自然と大きな文字で強調したくなるし、
ポイントで声が大きくなったり、身振り手振りが加わったり、自然と聴く人にとって良いプレゼンになるのではないかと思う次第です。
そして主体的理由を伴ったプレゼン経験の蓄積は、きっとさらなる上達へとつながるはずです。
なぜならば、プレゼンを繰り返す度に「もっとわかりやすく伝えるにはどうすべきか」という事を考え続ける発想に自然となるからです。
学業も、仕事も、治療も、プレゼンも、
自らが主体的な理由を持って取り組んでいくことが大切と私は思います。
たがしゅう
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コメント
No title
ご無沙汰です。
講演で文字スライドがたくさんになったのはいつのころからでしょう。
パソコンが普及して、パワポで簡単に作れるようになってからでしょうか。
幸い、私の場合は、褥瘡の写真ばかりなので、
文字が少ないスライドとなります。
どんな説明よりも、写真で変化を見てもらう方が、結果がわかりやすいと思って。
それでも、参加の皆さんに本当に理解してもらっているかどうか。
いつも悩みますよね・・・
褥瘡治療を普及したい思いは強いのですが。
身振り手振り、もっと入れてみようっと!!
(ということは、ピンマイク必要?)
2018-04-28 01:23 たかはし@旭川 URL 編集
Re: No title
コメント頂き有難うございます。
写真、画像、イラストを用いるのはプレゼンの効果を高める方法の一つですね。
百聞は一見に如かずという言葉もありますし。最近は動画を用いることのインパクトも、人のプレゼンを聴いていて感じる所があります。
しかしそうしたマイナーテクニックよりも、「伝えたい想いがあること」が最大のプレゼンの秘訣だと私は思います。
2018-04-28 08:37 たがしゅう URL 編集
管理人のみ閲覧できます
2018-04-28 14:53 編集