技術の進歩を安易に歓迎しない

2018/03/29 00:00:01 | ふと思った事 | コメント:2件

昨年の秋から8回に渡ってテレビで放送されたNHKスペシャル「人体」

タモリさんと山中伸弥先生のダブル司会の番組、皆さんは御覧になられましたでしょうか。

私はなかなか見る機会がなくて最後の方の放送回だけチラッと見て、あとは録画してあった分を遅ればせながら少しずつ見ている状況です。

最新の科学で解き明かす今回の「人体」のテーマは臓器同士の神秘の巨大ネットワークとそれを支えるメッセージ物質とのことです。

今までは脳が司令塔となって全身の各諸臓器に命令を出して人体が動かされているという理解でしたが、

そうではなくて腎臓から心臓へ、筋肉から脳へ、脂肪細胞から血管へ、膵臓から筋肉へ、などのように

臓器同士がそれぞれ独自のメッセージをやり取りを行い複雑なネットワークを形成しているというのがこの番組シリーズを通じて最大のメッセージだと思います。
この新しい仕組みが明らかになったことで、がんや心臓病、認知症など今まで治せなかった病気に対する新しい治療法が開発されるようになってきたというような事が紹介されていて、

何も考えずに見ていると、人類が病気を克服するのもそう遠い将来の話ではないかもしれないという希望を抱く視聴者もさぞ多いことだろうと思います。

しかしこうした臓器間ネットワークという見方が加わったとして、本質的には今までと何ら変わりはないように私は考えます。

ただ見ている範囲が細かくなっただけの話で、結局は人体を「物質的」に捉えるものの見方です。

言い換えれば心の問題が放置されているものの見方だと思います。

つまりこの番組を観た視聴者が、「人体は複雑で神秘的なネットワークを持っていて素晴らしい」と思うところまではいいですが、

「これだけ複雑なネットワークを頭の良い研究者達が明らかにしてくれて有難い。私達素人はますます頭の良い人達に任せるしかない」という考え方を助長してしまいかねないように私は思います。

そして一番身近な自分の思考のクセが病気につながっている可能性を置き去りにしてしまうのです。

結局、科学的に見えるものでしか人体を捉えようとしない偏ったものの見方では、

ハッキリ言っていつまで経っても人類が病気を克服できる日はやって来ないと私は考えています。


科学に偏り過ぎているこの番組の内容もさることながら、

ひと際目を引くのは番組で紹介される3Dグラフィックの数々です。

私達が医学部の時に教科書で平面的に習うシナプスの構造や血管走行、脳の断面などの情報が、

実に美しい3Dのグラフィックアニメーションで表されており、まるで血管の中に入り込んで泳いでみてきたかのような映像が描かれています。

3Dグラフィックの技術もここまできたかと圧巻で、中でも血管が毛細血管も含めて描かれた人体がほぼ血管で描かれたイメージ像には驚きました。

その精密さに驚くとともに一方で残念に感じることもありました。

それは私が視聴したテーマの健康長寿についての放送回にて、

がん細胞が濃い紫色で着色され立体的にまがまがしくうごめいていかにも悪そうな細胞として紹介されていた場面です。

これは視聴者に「がん細胞は悪いもの」というイメージを植え付けるのに大変有効な非言語的メッセージを送っているように思います。

しかし私は以前から申し上げているようにがん細胞は代謝環境の変化で生み出された産物に過ぎません。善も悪もないのです。

それなのに悪と決めつけられたら、やはりがんと闘わないといけないというイメージへとこれまた無意識下で直結してしまうように思います。

百歩譲ってまがまがしく動くのが事実だったとしても、濃い紫色に着色するのはグラフィックデザイナーのさじ加減でしょうから、

その点においても偏った情報を与えている番組だというのが私の大きな感想です。

けれども番組で紹介された内容がすべてダメというわけではなく、参考になる情報も確かにありました。

ですから大切なことは情報を鵜呑みにするのではなく、自分のこれまでの知識や経験に照らし合わせて情報を取捨選択するということではないかと私は思います。


ただ、テーマ音楽は非常に良かったです。

なんだか聞いているだけで、なぜだか泣けてくるような感動を覚えるよい音楽でした。

思わずサウンドトラックCDを買ってしまいましたが、やはり音楽は不思議と理屈なしで訴えかけてくるものがあるようです。

綺麗な音楽に綺麗な映像をつけて、科学の進歩をここぞとばかりに紹介されるのは結構ですが、

安易に歓迎するのではなく、数ある情報の中から自分に合うものをピックアップするスタンスが大事ですね。


たがしゅう
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コメント

アナログ思考に変更しました

2018/03/29(木) 12:18:08 | URL | yamamoto_ma #QPJmzeK2
たがしゅう先生
お久しぶりです。
昨年夏ひょんな事から大腸癌が見つかり切除手術を受けました。
やはりガンに対しての考え方は難しいです。
それは、ガンと言えども他の外的要因によるものではなく、自身の身体の一部であることなので事情が複雑です。
身体のネットワークの複雑さは理解出来ますが、こと医療の観点で考えると従来の科学的アプローチにも限界があるのではないかと感じているところです。
そこで再発予防の観点から、他のアプローチはないのかと思考しております。そこで東洋医学的思考もありかな?と考えるようになりました。
先日銀座のF先生とお会いしました。 先生の最終のお話は次のような内容です。
[人は必ず死にます。人という生命体とてエントロピーの増大の法則にしたがっているだけです。]と。うん、納得!
最近昔趣味だったオーディオの世界にハマっています。
真空管アンプを始めオープンリールテープデッキやレコードプレーヤーなど完全アナログ化です。(笑)
そこで気が付いたのが、なんとも不思議な世界があることです。
各機器の厳密な電気的特性は近年の高価な機器の特性よりはるかに劣っいるはずなのになんとも心地よい音で音楽を聴くことが出来るのですようねー。
人の聴覚の不思議を痛感しております。

Re: アナログ思考に変更しました

2018/03/29(木) 17:50:19 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
yamamoto_ma さん

 御無沙汰しております。
 コメント頂き有難うございます。
 御病気、大変だったのですね。お察し申し上げます。

> 人は必ず死にます。人という生命体とてエントロピーの増大の法則にしたがっているだけです。

 その通りです。
 早いか遅いかだけの違いだと思います。

 必ず死ぬというのに生きることに意味などあるのか、などと考えれば哲学的ですが、
 意味があると考えるのも自由、意味がないと考えるのも自由、前頭連合野が発達したヒトに与えられた特権のようなものだという解釈もできます。

 私は意味があると考える方を選びますが、自由といっても自分だけの事を考えて生きる人生が幸せになるとは到底思えません。生きている瞬間ごとにどこかで誰かのことを思って生き続け、そして自分の命が尽きたとしても後世に何かを残すことができたと思える人生であればいつ死んだとしても幸せだったと言えるのではないかと、私はそんな風に考えて、今生きています。

 勿論自分が楽しむことも人生において重要な要素です。音楽は楽しみの一つとしてとても良いですね。
 他者貢献と思っていたことが、いつの間にか自己犠牲にならないように時々振り返らないといけないとも思っています。

 2017年9月21日(木)の本ブログ記事
 「他者貢献って難しい」
 http://tagashuu.blog.fc2.com/blog-entry-1098.html
 も御参照下さい。

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