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建設的議論に必要なこと
「哲学とは永遠に歩き続けることである」という一節がありました。
哲学が扱う対象は人間、時代、世界、宇宙、あるいは私達が捉えきれないものなど多種多様です。
それら対象がひと所に留まることなく移りゆくものである以上、それを扱う哲学も常に変化して適応させていく必要があります。
そう考えると「今の自分の考えは間違っているかもしれない」という自分の思考を謙虚に見直す姿勢はとても大事だと私は思います。
絶対的だと考えられる科学が不動だとしても、科学で捉えきれない対象が流動するが故に足元をすくわれることもあります。
昨今よく聞かれる生化学で人体の全てを説明しようとする姿勢はその構造に通じるものがあると私は思っています。
逆に言えば、「自分の考えは絶対に正しい」と思考を止めた時点で哲学ではなくなってしまうということでもあります。
ましてや自分と異なる意見に対して誹謗中傷をし、断罪を求めるようなスタンスなら尚更です。
そんな言い分は、たとえどれだけ正しいことを言っていたとしても間違っていると思いませんか。
多様な価値観は出て然るべきですが、全否定されるような価値観はおそらく一つもないでしょう。
どれだけ間違っていると思われるような意見であっても、その人の中で筋が通っている部分が必ずあるはずです。
昨今糖質制限にまつわっては攻撃的で制圧的な意見が否が応でも目に入るようになってきましたが、
それらの意見も決して全否定することなく、どこが正しくてどこが間違っているのか冷静に議論していく姿勢が大切だと思います。
そのために参考となる議論のスタイルが「哲学カフェ」の手法です。
①「相手の話を最後まで聞くこと」
②「難しい言葉をできるだけ使わずに分かりやすい言葉で意見を言うこと」
③「相手の意見を全否定しないこと」
この3つのルールを守って議論することで、
様々な角度から出てきた意見の共通項のようなものが見つかり、
物事の本質に迫ることができるようになっていきます。
インターネットやSNSを通じて意見交換をする際にも、
これらの3つの原則は建設的な議論を行っていく上で非常に重要なポイントと思っています。
逆に言えばそれが守れない人達と建設的な議論は出来ませんし、
哲学カフェにおいては強制退場、ネットの世界でもまともに相手にすべきではないと思います。
このブログで私の意見を公開するにあたっても、
①は関係ないにしても、②③はおおいに大事にすべきポイントと思いますので、
それらを踏まえてこれからも建設的姿勢のブログを続けていきたいと考える次第です。
たがしゅう
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