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深く考えて本質へ近づく

category - 失敗学
2018/ 01/ 26
                 
哲学カフェに参加して感じたことのひとつに、

わかりやすい言葉で意見を述べることがいかに重要であるか、ということがありました。

というのはわかりやすい言葉どうしでなければ、「開かれた対話」を繰り広げようにも、

ただのマニアックな議論となってしまい、物理的には開かれていながら内容的に閉じているお粗末なものとなってしまいます。

その点、今回参加した哲学カフェを取り仕切られた小川仁志先生のわかりやすく噛み砕く能力には素晴らしいものがありました。
            

分かりやすく説明してもらうことによって、その問題についてさらに深く考えることを行いやすくなります。

おそらくこれまでに哲学を通じて様々な事を考え続けてこられてきた賜物なのだと思います。


哲学カフェに参加して私は思いました。普段いかに何となくとか直感的に判断してしまっているかということを。

普段何となくそう思うという類のことを掘り下げて考えてみると、物事の本質、他の類似の事象とも共通する根源のようなものが見えてきます。

例えば、ボランティアをすると気持ちがいいのはなぜでしょうか?

普通に考えれば、「自分が人の役に立つ感じが得られるから」となるのでしょうが、

しかしボランティアでない一般的な仕事でも人の役に立つことはできますが、ボランティアと同じような気持ちよさは得られるでしょうか。

違うのだとすれば、何がボランティアと一般的な仕事の気持ちよさの違いを産んでいるのでしょうか。

それは自分に金銭的な報酬が得られるかどうかで、しかしボランティアよりも一般的な仕事の方が気持ちがよいという人もいるかもしれません。

だとすれば、本質的にボランティアの気持ち良さを産んでいるのは、人の役に立っているかどうかではなく、その人の価値観なのではないか…、という感じで思考は深まります。

思考が深まると最初にぱっと思いついた答えとは異なり、しかも別の事象とも共通する原理が見えてきます。

当ブログでしばしば登場する「私が変われば世界が変わる」ということからも、気持ちよさだけでなく幸せを本質的に生み出しているのは価値観だということに気付き、

価値観を変えれば幸せをコントロールすることができるという話へとつながっていくのです。

こうした深く考える作業を繰り返して本質に近づくことになれていれば、

おそらくどんな角度からの言葉のボールに対してもたいていは返すことができ、

哲学カフェでの小川先生のような場の仕切りを行うことができるようになるのだと思いました。

実際哲学カフェに類したことをしようにも、単純に真似しても下手したら対話があらぬ方向に向かって本質を見失いかねません。

しかし何事も実際にやってみて失敗を繰り返していくことでコツをつかんでいくものだと私は思います。

これから思考の柔軟性を高めるためにも、

少しずつ物事の本質について考えることに慣れていきたいと思っています。


たがしゅう

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