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気持ちよければいいというものでもない

category - 素朴な疑問
2018/ 01/ 18
                 
快を追求するBOOCS法について紹介しましたが、

そもそも自分が心地よいと感じることって何だろうということについてまじまじと考えたことってなかったように思います。

食欲、性欲、睡眠欲の三大欲は誰にとっても共通する快感だろうということで、

結局、おいしいものを食べて、性的な欲求が満たせて、ゆっくり眠ることができれば皆健康だっていう単純な話になりそうなものですが、

それぞれの三大欲に対するその人の価値観によって、本当にドーパミンに赴かれるままの快感が本人の心地よさにつながるかどうかが変わってくるように私は思うのです。

例えば、自慰行為に関しては、私の場合は何とも言えない罪悪感を感じてしまいます。
            

自慰行為を行うことで、瞬間的に大きな快感を得ることは確かにできます。

しかしながら、その直後にとても悪いことをしてしまったような罪悪感に襲われます。そして虚しさだけが残ります。

おそらく私が幼少期から親の教育により性衝動はずっと抑圧され続け、「女性と付き合ったり、セクシーな映像を見たりするのは不純な行為である」という価値観が私の中の深い潜在意識の領域まで入り込んできた所は大きいのではないかと思っています。

これが本当に自分が求めている快なのであれば、BOOCS理論的には何度でも繰り返していけばメタボリック症候群は解消していくという事になるはずですが、

私は一時的な快楽への衝動に負け、これまでに数えきれない程自慰行為を繰り返していますが、糖質制限で減した以上にはメタボリック症候群の改善に至っていません。

ということはあくまでもBOOCS理論が正しいと仮定した場合ですが、

自慰行為による快楽は私が本当に求めている心地よさではないという事に気づかされるわけです。

それでも「男が女を好きになり、セクシーな映像で性衝動が惹起されるのは自然なこと」だと解釈し直そうとしても、

今までの思考のクセは強固に残っていて、そう簡単に割り切れないという事に気づきます。

そう考えると、無理に思考のクセを変えようとするのではなく、

今の思考、今の価値観において本当に心から一点の曇りもなく心地よいと感じられるモノやコトを考えなければならないという話になってくると思います。

それって一体何なのでしょうか。

皆さんにはそういうものってありますか?

夢中になって続けられる趣味がある人はまさにそれが心地よさという事になるかもしれません。

何が心地よいかという事を見つけない限り、本当の意味でBOOCS法を実践することはできないような気がします。

そのためには一人の時間を持って、何が自分の快となるのかじっくりと考える必要があります。


なぜそこまで快というものにこだわる必要があるのか、

その必要性について考えさせられる話が、在宅医療の世界にありました。

この話の続きはまた明日の記事に回したいと思います。


たがしゅう

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コメント

非公開コメント
        

ここちよいと感じるときは、
美味しいものを食べて、大切なひとと一緒に過ごすことですね。
美味しいものは、沢山あって、いっぱい食べ過ぎてしまいます。
食欲がとまらないです。
気持ちよければいいって問題ではないって私も思います🌟
いろんなことがありますが、
食事が楽しみです。
Re: タイトルなし
瀬川里香 さん

 コメント頂き有難うございます。

 食事が楽しみであるのなら、引け目を感じずにいっそのこと糖質制限を気にせずに思いっきり食事を楽しむという発想がBOOCS法です。BOOCS理論が正しければストレスの要素が取れるためそれでもメタボは治るという事になりますが、そこまで思い切るのも勇気が要るように思います。素直に心地よさに従い切るというのも難しいものです。
No title
罪悪感は先生がずっと抱えていた気持ちなのでしょうね。それが伝わるだけに気軽にコメントできませんので一般論ではなく、あくまで私個人の考えをと思いました。

私は好きな人や恋人の自慰行為は自然なことと受け止めます。誤解を恐れずに言えば、むしろ自分を思いながらであれば嬉しく思います。あくまで相手は好きな人や恋人です。(性的魅力からは程遠い体型の私は豊満な胸の女性を見ると女性の私でも魅力的と思います。真逆の体型なので嬉しく思うのかもしれません)。

25年来聞き続けている歌うたいがいますが、彼のライブのMCでは良く話題にしています。「本番前にしてきた」「相手に悪いから控えている」等々。本当の事は本人しか分かりませんが、考え方は人それぞれでいいと思います。それも含めてその人なのですから。

先生が罪悪感から解放、もしくは自然なことと、受け止められる日がすぐにではなくてもいつか来ることを祈っています。

このコメントが不適切であれば削除してくださいませね。
Re: No title
花鳥風月 さん

 コメント頂き有難うございます。

 好きな人の事を考えての自慰行為であれば純愛的で素晴らしいのですが、
 実際はもっと雑多で、あえて言葉を選んで言うならば、相手の如何に関わらず反射的に反応してしまう側面が少なくとも私にはあります。それが余計に罪悪感をかき立てるという所もあるのかもしれません。
No title
たがしゅう先生

今日のブログの内容に強く心を揺さぶられました。
私も自分のセクシュアリティに、抑圧をかけてきたからです。
若い頃は、親の影響により『抑圧されてきた』と思っていましたが、今思うに、親の影響を元にし自ら『抑圧をかけてきた』のでした。

現在は還暦も過ぎ、セクシュアリティの解放は望まなくなってしまいました。
抑圧を自らかけてきた自分を、そのまま肯定することが出来たからなのですけどね。


…………………………………………………………………………
今の思考、今の価値観において本当に心から一点の曇りもなく心地よいと感じられるモノやコトを考えなければならないという話になってくると思います。

それって一体何なのでしょうか。

皆さんにはそういうものってありますか?
…………………………………………………………………………

上記の先生の問いかけを考えてみたいと思います。
Re: No title
黒猫ババ さん

 コメント頂き有難うございます。

 そうなのですよね。「抑圧されてきた」とあたかも他人のせいのように考えてしまいがちですが、
 実際は「抑圧されてきたと思う人生を自分で選択した」という事なのだろうと思います。

 しかしその選択が必ずしも意識的に行われるとは限らないという所が重要で、いつの間にか無意識的にそういう選択をしてしまっている自分がいる事に気付くことから始める必要があるのではないかと私は思っています。
No title
こんにちは。

黒猫ババさんにご質問させてください。どの様にして、抑圧を自らかけてきたご自身を、そのまま肯定する事が出来たのでしょうか?

たがしゅう先生、幼少期の頃からのお母様の教育により、いっぱいいっぱい頑張って我慢して、沢山頑張ったたがしゅう先生を認めて下さい。たがしゅう先生は、真面目過ぎるくらい真面目な方です。その分余計に、ご自身の性欲を否定されてしまうのかもしれません。

真面目なご自身に憎しみを感じる事もあったという記事もお見かけました。憎しみは怒りが積み重なった感情と思います。怒りの感情も見つめてみて下さい。
Re: No title
NM さん

 コメント頂き有難うございます。
 また欲深い私の弱さを認めて頂いて有難うございます。

 弱くてもありのままの自分から始めるしかないのかもしれません。
NMさんへ
NMさん

コメント欄で、ご質問をいただいていたのを今読ませていただきました。
どうして肯定出来たのか…近日中にコメントしたいと思います。
もうしばらくお待ち下さい。
NMさんへ
NMさん

お返事が遅くなり申し訳ありません。

抑圧をかけていた自分を、どうやって肯定できたかの過程は全く単純で恥ずかしいぐらいです。
(この方法が心理学的に正しいかどうかは甚だ疑問ではあります)

セクシュアリティに抑圧を感じ解放されていない時期は、自分のジェンダーまでもが不確実なものになっていました。
男性に対し恋愛感情を抱くのではありますが、女性として付き合えなくなってしまうといった感じです。
『女性でありながら女性であってはいけない』のです。
スカートを穿くことでさえ身体が拒絶するようになっていました。
とても苦しかったので、自分が変わるよう試行錯誤したのですが、上手くはいかなかったです。
その期間の長かったこと!
そして最終的に考えついたのが…
こんな苦しい状態を長く続けていられるのは、この状態が好きだからなんじゃないかと。
好きなことは続く と言いますよね。
であれば、セクシュアリティやジェンダーのことを考えたり悩んだりすることを、趣味として楽しんでしまおうと割切りました。

『女性でありながら女性であってはいけない』という趣向の私を肯定してから、私の内の修飾されていない女性性を見つけることが出来ています。

余りにも単純な思考なので物足りないかもしれませんね。
質問していただき、ありがとうございます。
黒猫ババさんへ
教えて頂いてありがとうございました。

価値観が変えられないなら、無理に変えようとしないで、その方が楽、そのままの方が好きって事を受け入れる、ありのままの感情、ありのままの弱い自分、愚かな自分を受け入れて、現状を受け入れる。

確かに心理学的には分かりませんが、その方が楽になれます。

私の場合は母娘の確執です。子供って、下に弟か妹が出来ると、それまで自分一人に愛情を注いでくれた母親を、下の子に取られる事になります。自分に目を向けて欲しくてだだをこねる子はいいです。問題は母親の気を引きたくて、感情を抑えて良い子を演じる子供です。それは無意識にやります。

お話し聞けて良かったです。ありがとうございました。
Re: 黒猫ババさんへ
黒猫ババ さん、NM さん

コメント頂き有難うございます。

お二人のコメントは大変興味深いです。

黒猫ババさんの場合は、スカートをはかないという自分の中での快に従う
NMさんの娘さんの場合は、お母さんとの時間が減ったことに対してだだをこねることで生まれる快に従う

お二人ともそれぞれ御自身の快に素直に従うことで心の安寧が得られているように私には思えます。
良い意味でのわがまま、あるがままが許されることが心身の健康につながっていくのかもしれませんね。