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信念の下に人は集まる
15人家族での波乱万丈の物語や、ファミコンソフトでの悪戦苦闘の容量節約技術の話などを見ていると、
むしろお金やモノが潤沢にある方が、皮肉なことに幸せから遠ざかっているように思える節があります。
別にお金持ちや才能がある人への僻みとして言っているわけではなく、本当にそう思うのです。
私は御縁あって鹿児島の小規模病院で働く機会を得ました。
正直言って大きな病院と比べれば医療機器も限られていますし、スタッフの数も決して十分ではありません。
けれど、そんな状況だからこそ、人の知恵というものを絞り出すことができるのではないかと私は考えます。
例えば、医療機器がないのであれば、今ある医療機器の中で何ができるかという事を考えます。
その結果、病院としてできることとできないことの区別が明確になります。
できないことへの労力は極力使わずに、できることに向けて最大限に努力する。それは限られた資源の有効活用へとつながります。
またできないことはできないと明確に宣言することができるようにすることも重要です。
できないことを無理にできるように仕向けることは多大な労力を要するだけでなく、大きなトラブルの元となります。
無駄なお金を使わずに、最大限のパフォーマンスを発揮するにはどうすればよいかという発想が鍛えられていくわけです。
これは潤沢にお金を使うことができるような組織の中では決して培われないノウハウになると思います。
一方で何を成すにも人の力は大変重要です。
1人よりも2人、2人よりも10人の方ができる事の幅は明らかに広がります。
そのメリット故に人は社会を形成し、集団生活を営んできた人類史での経緯があると思います。
けれども絶対的に人が足りないという状況だと、いくら工夫をしても良いパフォーマンスが発揮できないという場面もあります。
そういう場合には今ある環境の中で工夫するといっても限界があると思います。
そんな時は、「どうすれば人を集めることができるか」という風に発想を転換することです。
そこで一番重要になってくるのは「病院としての信念」だと私は考えます。
自分の病院では何が得意で、何ができなくて、どういう理念の下に運営を進めていっているのか。
それを誰にとってもわかりやすい形で明確に示すという事がまず第一歩だと思います。
そしてそれを人へ伝える努力も惜しまずに行う必要があります。
その信念に触れ、共感を覚える時に、人は興味を感じるのではないでしょうか。
だから私は、広く当院ができること、当院でのメリットを多くの人達へ伝えられる場を創出すべきだと考えています。
これは病院だけの話ではなく、個人においても通じる話です。
「個人の信念」を人はしっかりと持つべきだと私は思います。
自分は何が得意で、どういうことができなくてこんな弱さがあって、しかしこういう夢を持って人生を歩いていきたいと思っている。
その信念に触れ、共感を覚える時に、人は興味を感じるのではないでしょうか。
「人はそれぞれに天から与えられた使命がある」という言葉がありますが、
それは天=神様という何かしら別次元の存在が、「あなたはこれをしなさい」と命じてくれるような他者依存的な話ではなくて、
自分の生まれ持つ性質、生まれ育った環境、人生の中で受けてきた様々な人や物との交流の中で、
誰一人として全く同じものはないという個別性の中で、今あるものの中で何にどう取り組むかという事をそれぞれが自由に創出することができるのだということではないかと思います。
そうやって自分の中でゆっくりと時間をかけて出来上がってきた信念は、
縁のある共感人の興味を引き、縁が縁を呼び形となって人生の大きな達成感へとつながる気がしてなりません。
たがしゅう
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