ニックネームによる円滑なコミュニケーション

2017/12/27 00:00:01 | 自分のこと | コメント:2件

「たがしゅう」という名は私の本名を省略した呼び名で、

正々堂々と立場を明らかにして情報発信をしたい気持ちと、それによって迷惑をかけてしまう可能性のある周囲の方々への配慮との間のジレンマの中で、苦肉の策的に作り出した名前でした。

しかしこのままではいけないと思い鹿児島に移ったことをきっかけに、本名公開をして約3ヶ月が経過しましたが、

今までは「たがしゅう」という呼び名が単なるネット上のハンドルネーム的なニュアンスしかなかったのに対し、

次第にニックネーム、愛称的ニュアンスが強まってきた印象を感じています。

それは、小さい頃に学校でいつの間にかつけられていたあだ名を呼ばれる時の感覚に似ています。
初めて学校に行った時とか、初めてのクラスで知っている人があまりいない状況の時とかに、

一体どうやって友達を作っていったのか覚えていないけれど、いつの間にか友達どうしであだ名や愛称で呼び合う間柄になったという経験を持つ方も多いのではないでしょうか。

こうした本名とは別の呼び名で、しかも自分が愛着を感じることができるニックネームの存在はコミュニケーションにおいて重要な気がします。

実際私も本名公開の後、それでもたがしゅうと呼ばれることに実はほのかな嬉しさを感じたりしています。

ブログを始めて4年あまり、「たがしゅう」という名に付き合い続け、否が応でも愛着がわいてきたことが大きいのではないかと思っています。


少し話は飛躍しますが、医療を施すのに根本的に重要なスキルはコミュニケーション技術だと私は思っています。

診断への思考プロセスや、処方や手術などのテクニックが医師にとって重要だという側面も勿論ありますが、

どれだけ優れた思考があって、どれだけ卓越した技術を持っている医師であったとしても、コミュニケーション技術が疎かな医師はその素晴らしい医療を患者さんへ提供することができません。

そういう意味でいかに人と人とのコミュニケ―ションを円滑にできるかという点は、

自分の理想の医療を展開していこうという際にとても重要になってくるのではないかと思うのです。

だからといって患者さんにあだ名で呼んでもらう仲になろうというのは結論として早計ですが、

あだ名や愛称のある状況で執り行われる円滑なコミュニケーションの中にそのヒントがあるような気がするのは確かです。

物毎を思うように進められない時、自分の中でコミュニケーションの壁を作ってしまっていないか、

それは常に見直していく必要があると思います。

けれどコミュニケーション技術は教科書を読んで学べるような類のものではなく、

実践の中で学び鍛えられていくものだと私は思っています。

しかも自分さえ変わればコミュニケーションが円滑にいくかと言われたら必ずしもそうではありません。

やはり生きた相手のあることです。皆が皆、自分のことを好意的に見てくれているとは限りません。

愛称やニックネームで呼ばれる間柄は、いわばそのハードルをすでにクリアした状況でのコミュニケーションなので円滑に進んで当たり前、

問題は自分のことを好意的な目で見ていない、あるいは何とも思っていない相手とどうやって円滑なコミュニケーションをとっていくかです。

特に自分に対して敵対心を抱いている相手とうまくコミュニケーションをとるのは修行にも似た難しさがあると思いますが、

人類全体の幸せを念頭に活動していこうというからには避けては通れない道とも思います。

そしてコミュニケーション技術を切磋琢磨して高めていくことは、

きっと日常での診療にも役に立つはずです。

すべての人を好きになるなんていう綺麗ごとを言うつもりは毛頭ありませんが、

誤解の生まれにくい円滑なコミュニケーション技術は可能な限り追い求めていきたいです。

それを考えるのに「たがしゅう」という名がヒントを与えてくれているような気がします。


たがしゅう
関連記事

コメント

2017/12/27(水) 21:15:41 | URL | 瀬川里香 #-
たがしゅう先生こんばんは。
ニックネームで呼ばれると親近感がわくし、嬉しいですよね。
仕事で入居者さんに名前で呼ばれるとほっこりなります。
コミュニケーションの技術は経験だと感じます。
信頼関係を築くには、その人のお話を聞いて、その人が何を今感じて何を考えてるか気持ちをくみ取るように心がけてます。
お話をよく聞いてます(o^O^o)
コミュニケーションは、どのお仕事でも大事ですね。

Re: タイトルなし

2017/12/28(木) 08:19:13 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
瀬川里香 さん

 コメント頂き有難うございます。

> コミュニケーションは、どのお仕事でも大事ですね。

 そう思います。
 仕事のためというよりも広く「生きるため」に必要とも言えるかもしれません。
 これがうまくいかなければ「悩み」につながると、かのアドラー心理学でも説かれています。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する