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他人は自分をそんなに見ていない

category - ふと思った事
2017/ 11/ 26
                 
『他人は自分のことをそんなに一生懸命見ていない』という事を聞いたことがあります。

それは確かに逆の事を考えればわかるように、

自分自身だって他人の事をそんなには一生懸命考えていないのではないでしょうか。

勿論好きな人が出来て、寝ても覚めてもその人のことを考えるという事はあるかもしれませんが、

それにしたって自分が自分のことを考える分量に比べれば、他人が自分のことを考える分量は少ないはずです。

だからあまり他人の目を気にし過ぎない方がよいという意見は、

良きにつけ悪しきにつけ個人的にはすごく納得がいくアドバイスです。
            

人生を生きていればいろいろなことがあるから、

周りの人のすべてが自分の敵に見える時期というのは誰しも多かれ少なかれあるのではないかと思います。

そんな時にこの言葉を思い出すと、

気にしていないということは、大抵の場合は明確な悪意の眼差しを向けているわけではないということでもあると思います。

ということは、周り全員が敵と思っている状況のほとんどは自分の思い過ごしということになります。

誰か特定の人物がプライベートな時間も注ぎ込んで自分だけに悪意を向けてくるなんてことはそれはもうよほどのことです。

けれど自分がそんな風に思い込んでしまえば、周りがなんと言ってもその思考から抜け出せないということも多いと思います。

それくらい私達は主観的に世の中を見て自分の価値観で判断しているということなのではないかと思います。


アドラーは悩みの全ては人間関係から来るものだと述べましたが、

人間どうしのつながりの価値観をもう少し緩く俯瞰的に捉えることができれば、

今まで悩みに見えていたことが全然たいした悩みではなかったということに気がつくかもしれません。

何かの発表で緊張して大失敗するかもしれないという悩みは、

たとえ大失敗したとしても、しばらくすれば誰も覚えてなくなる、初めから発表なんてそんなものと思っていれば、

緊張するのもばかばかしくなってくるような気がします。

主観的に世の中を見る人間の脳のクセは、

人為的に矯正することで生きにくい世の中を生きやすくすることができる。

自分に言い聞かせるようにこの文章を書いています。


たがしゅう

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コメント

非公開コメント
        

確かです
たがしゅう先生、

本当に、そうです。

「他人はあなたのことをそんなに見てませんって!」

外来で、時々私が使うセリフです。

傷跡の治療を専門にしている私は、目の前の人の見えるところの傷跡はすぐ目につきます。
しかし、例えば、家族と一緒に歩いていて、通り過ぎてから今すれ違った人の傷跡の話をしても、家族はまず、気づいていません。
その人のことをきちんと見ていても、です。

つまり、傷跡なんて、他人からみたら、たいした重要なポイントではないのです。

それよりも、
だらしない格好だったり、
タバコ臭かった、だったり、

そういうことの方が、すれ違ったときの印象としてはインパクトがあるのかもしれません。

傷跡が気になる人は、
その傷をしたときの、その出来事が心に重くひっかかっている場合が多いように思います。

私は思い出までを治すことはできないので、

「他人は、その傷跡をほとんど、認識しませんよ、きっとね。」
と言うしかできません。
Re: 確かです
たかはし 先生

 コメント頂き有難うございます。

 アドラー心理学における「人間の悩みはすべて対人関係の悩みである」という言葉に即して考えれば、
 傷跡に悩むのは、本質的に傷跡が人に見られること、見られてどのように思われるかという事に悩むのであって、
 もしも世界に自分一人しかいないという状況を仮定した場合には、そのような悩みは消え去るのではないかと思います。

 現実には自分一人しかいない世の中などありえません。
 しかし他人は自分のことをそんなに見ていないとわかれば、意外と世界はそれに近い状況にあることに気付きます。
 このように考えて悩みをうまくマネジメントしていく事が生きていく上で大事なことであるように私は思います。