皆が注目しないものの価値

2017/11/11 00:00:01 | ふと思った事 | コメント:0件

これは斬新だと自負するような記事を書いた時には意外と拍手が少なかったり、

ちょっとした思い付きでたいして推敲もせずにさらっと書いた記事が意外と多くの拍手が得られたりと、

読者の気持ちは到底コントロールできるものではないという事を拍手数から日々感じています。

ただ拍手されること自体は有り難いですが、拍手が少ないことを私は残念がったりはしません。

大ヒット映画「君の名は。」のプロデューサー、川村元気さんがテレビでこんなことをおっしゃっていました。

「本当に価値のあることは、皆が気づいていない事の中にある」

だから皆気づいていないけれど、なんとなくおかしいと思っている「違和感」にいち早く気づくことによって、

川村元気さんは数多くのヒット作を世に繰り出すことができたというのです。 そういう意味で言えば、私のブログ記事の中での宝の原石は拍手数が少ない記事の方に存在している可能性が高いわけです。

もちろん、ただの無価値な記事でも拍手数が少なくなるので、拍手数が少ない記事=宝の原石という構図は成立しません。

しかし少なくとも拍手数が多かろうと少なかろうと、一喜一憂する必要ないという事については自信を持つことができます。

拍手数が多い場合は自分が思っていることに共感が得られたという事で素直に喜べますし、

拍手数が少ない場合は誰もまだ気づいていない価値がその文章の中に眠っている可能性を見出すことができます。

その検証を私は粛々と進めていけばよいのです。


Facebookなどをみていても「いいね!」の数を競い合うのはばかばかしい話です。

そういう様子を見ると、承認欲求が魔物のように膨らんでしまっている当事者の姿が思い浮かんでしまいます。

承認欲求は人為でもって極力最小限に抑えておく工夫が必要だと思います。そうしなければ歯止めが効かず魔物は際限なく育ちます。

承認されない世界の価値に目を向けると見えてくるものがあると思います。

言い方を変えれば、マイノリティの美学とでも申しましょうか。

いじめられている人は誰からも相手にされず心より辛い想いをしていることでしょう。

しかし裏を返せばこの苦境を乗り越えれば、誰よりも痛みや辛さを知っている誰よりも優しい人間になるポテンシャルを秘めている事にもなると思います。

そういう世間一般の常識からは見えない部分の価値に注目すればよいのです。

そうすれば世間には宝の山がゴロゴロ転がっているように見えてくるかもしれません。


たがしゅう
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