苦い経験
2013/11/28 00:01:00 |
モイストケア |
コメント:11件
医師3年目、町の小さな病院で後期研修医として内科を中心に診療に携わっていた頃の話です。
その時私は当時の院長のご理解の下、褥創のラップ療法、湿潤療法を実践することを許されていました。
その時に出会った一人の患者さんの事が私は今でも忘れられません。
70代の男性でした。頑固な方で糖尿病を持っており長年その病院で療養されているような方でした。
ある時、内側の踵(内果)に傷を作られてそれがなかなか治らないということで湿潤療法で治療してみようということにしました。
穴あきポリエチレン袋と紙オムツを組み合わせた創部を湿潤環境に保ち、なおかつ滲出液(傷から出てくるいわゆる「ジクジクした液体」)も適度に吸収できる自作の被覆剤を患部に当て、それを毎日交換するというようなことをひたすら続けていました。
湿潤療法に切り替えたことで傷の痛みはかなり軽減しました。しかし待てど暮らせど傷がなかなか閉じてきません。
そんな状況が続いていたある日、その患者さんにこう言われました。 「先生、やっぱり専門の先生に診てもらった方がいいんじゃないか?」
この状況でそう言われると当時研修医である自分にとっては辛いものがありました。
確かに実際問題傷は治っていないわけですし、専門の先生に診てもらったらもしかしたら治るかもしれないと思う気持ちも無理はありません。
また形成外科であればVAC療法と呼ばれる高価な機器を用いた持続陰圧治療、はたまた植皮や皮弁手術といった私にはできない治療手段を持っています。
当時ラップ療法、湿潤療法覚えたての自分にとっては、このままの治療を続けていいのか自信が持てなくなり、また患者さんからのプレッシャーに負けて、近くの総合病院宛てに紹介状を作成しました。そしてその中で現在行っている治療を正確にきちんと書き記しました。
家族もなく身寄りのない方で、なおかつ傷の部位が足にあったということで歩いての移動が困難であったこともあり、異例の救急車での紹介受診という流れになり私が同乗して紹介先の総合病院へ運びました。
その病院の救急室で最初処置を受けることになり一緒に見させて頂きましたが、
ゲーベンという白いクリームがべったりと塗られる処置が行われていました。
湿潤療法の夏井睦先生のホームページを見れば詳しく書かれていますが、実はゲーベンクリームというのはただ傷を深くするだけのとんでもないクリームなんです。
何でそんなものが使われているのかというとはっきり言って昔からの慣習です。
これだけエビデンス(根拠)が叫ばれる世の中になったにも関わらず、軟膏・クリームは全般的にほとんどそういった有効性が検証されずに、いまだに前からの慣習という理由で使われ続けているものが多いです。
「BURN 熱傷の初期診療と局所療法・抗菌化学療法の指標」という本によると、
ゲーベンクリームは「熱傷による敗血症の発生率を低下させ、感染による死亡率を減少させるというエビデンスがある唯一の局所療法剤である」との記載がありますが、
そのエビデンスが何かというと、ベトナム戦争時代のものです(J Trauma 6: 407-419, 1966)(JAMA 230: 1184-1185, 1974).それ以来一切追試がなされていないという点がまず怪しいです。
またクリーム基材は界面活性剤ですので、油膜を分解し,嫌気性環境を破壊し理論的に傷を深くします。
さらに夏井睦先生は御自身でゲーベンクリームを用いた人体実験を行い、ゲーベンがいかにひどい薬剤であるかを実証なさっています。
話は戻って、そんな有害無益なゲーベンクリームが傷にたっぷりと塗られるという処置を目の当たりにして私はがっかりしてしまいましたが、それでも入院後に別の治療法へ切り替えられることに一縷の望みを託し、その病院を跡にしました。
数ヵ月後のある日、その病院の形成外科の先生から私宛に一通の手紙が届きました。
それはその患者さんが亡くなったということを知らせるものでした。
手紙の中にはあらゆる手を尽くしたが、最終的に感染を起こし残念ながら敗血症で亡くなられたという内容でした。詳しい状況はわかりませんが、手紙の内容から察するに実際の治療の悪さは推して知るべしです。
ショックでした。それと同時にある想いが私の頭の中を駆け巡りました。
「もしかしてあのまま湿潤療法を続けていたら時間はかかれど傷は治っていたのではないだろうか」
後で知ったことですが、下腿や足などは湿潤療法でも治るのに時間がかかる部位のようです。
心臓から下にあって重力によってうっ血しやすく血液循環が他の部位よりも悪いことが大きな原因になっているようです。
だからあの時傷は治っていなかったのではなく、すごくゆっくりしたスピードで治っていたかもしれなかったのです。
それに穴あきポリ袋を当ててさえいれば痛みはなかったので、仮に治っていなかったにしても、ただひたすら交換さえしていれば、その手間だけで十分に生活の質は保てていたはずです。
悔やんでも悔やみきれない症例でした。
そしてもう二度と同じ患者さんを作るまいと、私はその時心に誓いました。
たがしゅう
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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コメント
大丈夫
人の死、というか動物でも同じなのですが、別れに敏感で、ちょっと会っただけでも気に入った人とは別れる時に号泣する状態でした。
かかわって人柄を知ってしまった人が亡くなるのはきっと辛いでしょうね。
母親が病院にかかわっていましたが、私が同じように選ばなかったのは、たぶん、自分がダメになってしまうと思ったからでした。
あまりにも感情移入し過ぎ。
その都度ダメージを受けていたら、よっぽどの容量を持っていない限り、アップアップになりますよね。
過去は大事な経験として、悔やみも有りとして、でも助けられてる人もたくさんいますよ。
数で割り切れることではないと思うのですが、きっと。
私、糖質制限を始めて、WEBもいろいろまわってたがしゅうさんのブログに辿り着きました。
いろいろそれぞれで思ったりしたのですが、コメントを書いたのはたがしゅうさんだけでした。
きっと持ってます。自信を持ってください。
ありがとうございます。
Re: 大丈夫
コメントを頂いて本当に有難うございます。
私も医師になる前、恩師に同じ事を言われました。
「辛くても人の死に何度も向き合っていかなければいけない職業だとそれに耐えられる心と覚悟がお前にあるか心配だ」と。
辛かろうと、悔しかろうと、無情にも時間は流れていきます。いつまでも立ち止まってはいられません。そういう事を繰り返していく中でいつしか慣れの感覚を生じてきている自分がいます。
しかしそういう中でも心に残る出会いというものがあります。
> 過去は大事な経験として、悔やみも有りとして、でも助けられてる人もたくさんいますよ。
大変救われる言葉です。こちらこそ本当に有難うございます。
尊敬の念を捧げるに相応しい職業です
苦い経験をも乗り越えて、日々いのちと向き合っておられるのですから。
かげながら応援しています。
充実した毎日でありますように。
Re: 尊敬の念を捧げるに相応しい職業です
いつもコメント有難うございます。
> 医療関係のお仕事は、とても尊いと思います。
> 苦い経験をも乗り越えて、日々いのちと向き合っておられるのですから。
糖質制限を知り医療の歪みに気がつくことができました。
「医は仁術」という言葉に恥じない医療を、私はこれからも心がけていきたいと思います。
No title
他人に自分の仕事を引き継いでもらう時にはこれをこうするとまずいということがあり、それをまずいことをして悪化させる場合は悔しい思いをしますよね。
特にドクターは患者の命と向き合うこともあるのでなおさらですよね~
一つ一つの経験(特に苦い経験)を胸に刻んで一人でも多くの患者さんを救うのが天に召された患者さんへの供養になるのではないかと思います。
きっとその患者さんはたがしゅう先生のことを応援していると思いますよ。
Re: No title
いつもコメントを頂き有難うございます。
> 一つ一つの経験(特に苦い経験)を胸に刻んで一人でも多くの患者さんを救うのが天に召された患者さんへの供養になるのではないかと思います。
そう言って頂けて有難いです。
「無知は罪なり」を痛感させられる経験でした。
亡くなられた患者さんのためにも、二度と同じ過ちを繰り返さないようにしたいと思います。
父の思い出。長くてごめんなさい
もう20年近く前になりますが、父が71歳で、パーキンソン病で亡くなりました。
60半ば過ぎでの発病でした。
歩けなくなった父に入浴してもらうために、兄と交代で、東京から川崎市まで通いました。
薬を飲むと、手足のふるえが改善されますが、副作用で、幻覚・妄想を見るようになります。
正気ではない父がかわいそうで、薬をやめたらとも思いました。
腸閉塞を起こし、都立○○病院に入院して手術をしました。
誠実そうな医師でしたが、忙しかったのか、手術の説明の後、父に麻酔をかける前に、母や私たちと父との面会の時間をとらずに、オペになりました。
父はそのとき、痛みを訴えず(本当は痛かったのでは・・)、私たちと少しは会話が出来ていたのです。
私たちが見た父は、全身麻酔がかかり、もう眠っていたのです。
眠っている父に、「ここに居るからね」と声をかけました・・。
腸を切除しましたが、3時間くらいして縫合した腸が破け、汚物が腹腔内にあふれ、再び腸の切除を行いました。
医師の説明は、思ったより、腸が弱っていたとのことでした・・
手術のミスは、やむを得なかったかも知れません。
では、なおさらのこと、オペの前に、父と最後の会話をしたかった・・
父は、「植物状態」になりました。
都立病院でしたが、その後、父は足を暖めていた湯たんぽが原因で、低温やけど(かなりひどい・・)になりました。
5ヶ月後に転院し、さらにその半年後に、意識の戻らないまま亡くなりました。
やさしい父でした・・・
車椅子で、桜見物をしたのが、意識のあった父との最後の楽しい思い出です。
* * * * * *
私は、中学生の時にはじめて、はしかにかかりましたが、その時、病院の医師に、「この子は、はしかだと思います」と言う父の言葉を無視されました。
私が、4・5日高熱で苦しんでいると、父が、かかりつけの耳鼻科の町医者の先生を呼んでくれました。先生は私を診て、すぐ、「はしかだね」と言いました。
父の言葉を聴こうとしなかった医師と、やさしいかかりつけの先生。
私の、医師へのイメージは、このとき出来ました。
母が89歳で亡くなったときは、痛がる母に、救急車を呼びましたが(4年前、板橋区です)夕方4時頃でしたが、救急隊が到着して、受け入れ先病院を探して、なんと受け入れ先の病院が決まったのは、10数箇所目で、1時間半後でした。
病院に入ったのは、夜6時になっていました。
救急隊の方が、懸命に受け入れ先を探して電話をかけている姿を見て
「ここは東京で、近くに病院は都立や民間・大学病院など10以上あるのになぜ・・」
と思いました。
隊長さんが申し訳なさそうに、「ごめんなさいね・・」と言いました。
これが、たらい回しか・・・
そして私は、医療崩壊の状態をなんとかしなければと考えたのです・・
ホームレスの方の支援や、自殺防止のサークルの活動をしながら医療問題の勉強をはじめました。
本田 宏先生の講演会にも行きました。
https://mobile.twitter.com/honda_hiroshi
http://blog.goo.ne.jp/amphetamin/e/529364899c7c98c88259a64e5357c8cd
そして数年後、「日比谷派遣村」が起こり、私の糖尿病Hba1c 14.5が発覚しました・・・
* * * * * *
長くなりました。
たがしゅうさんは、すでにとても良い先生です。
謙虚で誠実な姿勢が、とても素敵です。
私も、あなたのような医師になれば良かった・・と、時々、本気でそう思います。
少し、涙を流しながら、本音でこの文を書いています・・
ひょうきんな私の姿は、この厳しく悲しい世の中を生きて行くための、仮の姿です。
東京は、今朝もきれいな空です・・ 少し感傷的な朝・・
2013.11.28 長谷川
Re: 父の思い出。長くてごめんなさい
御家族の件,お察し申し上げます.
また医療にまつわる想いも詳細に語って頂き誠に有難うございます.我々医療者にとっては身につまされる話です.
一つ全国でたらい回しの問題が起こっている要因の一つに「行き過ぎた専門分化」があります.
一般的には専門性が高くなることはよいことではないかと思われるかもしれませんが,肺の専門家なら肺の病気しかみない,心臓の専門家なら心臓の病気しかみないという医者が増えてきてしまった.要するに何でも診れる医師が少なくなってしまったのです.
一方私は脳神経領域を専門にする医師ですが,脳以外は何も診れないということはないようにしています.
以前勤めていた病院で救急当直をしていましたが,ある患者さんが夜間重症の呼吸不全で運ばれてきました.こういう場合の多くは肺か心臓に原因があることが多いのですが,夜中に電話で各科の医師を呼び出すのも悪いので,とりあえず私は当座の応急処置をして入院させることにしました.
翌日,この患者さんの呼吸不全の原因が肺炎にあるのか,心不全にあるのか私には判別が難しい状況であったので,肺の専門と心臓の専門のそれぞれへ紹介することにしました.
しかし肺の専門家は「これは肺炎ではない」,心臓の専門家は「これは心不全ではなく,あなたの使っている薬が悪い」などと言い,私を突き放すのです.その後この患者さんの病状は急激に悪化しましたが,それでも両者は決しておのおのの領域ではないという姿勢は崩さず,フォローすることもなく,最初に受け取った私がそのまますべての責任を背負うことになりました.
まさに「正直者が馬鹿をみる」の境地でした.
しかしあの時私が「脳の専門家だから呼吸不全はみない」などと言っていたら,この患者さんもおそらくたらい回しとなっていたのでしょう.
最終的には持てる知識を最大限に駆使して治療を続け,幸いにもこの患者さんが大事に至ることはありませんでしたが,この時私は「名ばかりの専門医」に激しい憤りを感じました.
専門医は「総合診療」の基礎があってこその「専門医」だと思っています.本当の意味での「専門医」は日本には少なすぎます.
福島県ではある優秀な救急医の先生によりたらい回しがゼロになったという偉業が成し遂げられたそうです.今の医療に足りないのは全人的に「人を診る」という視点です.
私は内科医なのに傷の治療に興味を持っているというのもそういう背景もあります.
こう言っていると私が良い医者に見えるかもしれませんが,ブログでの情報は一面的です.実際には私にも悪い面,不得意なところはたくさんあります.いろいろな人に嫌われたりもしています.
それでも自分の良いところを最大限に出して,これからも生きていきたいと思っています.
>少し、涙を流しながら、本音でこの文を書いています・・
>ひょうきんな私の姿は、この厳しく悲しい世の中を生きて行くための、仮の姿です。
心に響きます.
これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます.
ありがとうございます。
医学生を持つ母です。
患者さんに代わりまして「たがしゅう先生、ありがとうございます!」
きっとそう仰っておられると思います。
私の実母も寝たきり生活が長く、褥瘡には苦労をしました、在宅介護であったために、ゲーベンクリームや他色々な薬を訪問看護さんが探して持って来て下さいました。
穴あきゴミ袋と○ードクッキングペーパーを重ねて自作の浸出液吸収パッドを作り手当てをしました。
食品用ラップもイロウの浸出液対応にも大変便利に使うことができました。
訪看さんに「こんなに便利な物、病院では使えないの?」とたずねますと「病院は医療用品しか使えないのよ、どんなに便利でも駄目なのよ…」と言われました。
恐れながら、たがしゅう先生のご苦労が目に浮かびます。
在宅で急変しても救急車にのっても病院が決まらない「在宅で急変しても、病院が引き受けるから安心して往診の先生にみてもらってください。」と退院したはずなのに。
そんなチグハグな環境で育った息子は「在宅医療がやりたい」と医学生になりました。
現在、教授陣に「最も難しい仕事だよ、大丈夫?」と顔を見る度に言われるそうです。
人のため、自分の為、頑張って欲しいと思ってます。
たがしゅう先生の様な立派なお医者様になれますように。
たがしゅう先生、お身体ご無理の有りませんように。
長文失礼致します。
Re: ありがとうございます。
コメント頂き有難うございます。
またお優しい言葉をかけて頂き深謝申し上げます。
息子さん、糖質制限や湿潤療法を知った上で現在の医学教育を受けつつ医者を目指す事はある意味とても大変な事だと思います。常識の壁が大きく立ちはだかってくることでしょう。
しかし初心を忘れずに立派な医師になってもらいたいです。応援しています。
お忙しいところ…
愚息ですが…
泣き笑い、ドキドキハラハラ、の在宅介護、在宅医療を目の当たりにしてきた経験を心に刻んで、その経験を生かせる様な医師になって欲しいと願っております。
たがしゅう先生の仰る「難しさと大きな壁」が立ちはだかりますが、周りの皆さんと協力し合って切り開いて行ってほしいと思います。
たがしゅう先生
大変お忙しい事と思います。
くれぐれも、ご自愛下さいませ。
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