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見える部分と見えない部分とのバランス

category - 漢方のこと
2017/ 07/ 02
                 
私は漢方治療に大きな興味を持っていますが、

漢方の良さは科学的に説明できる部分とそうでない部分とがあります。

いわゆるエビデンスベースの切り口では決して説明できない部分について私はよく理解しているつもりです。

しかしこの部分をエビデンス絶対主義の人達に説明しようとするとうまく伝えられないという事を経験します。

逆に古来からの経験的理論にどっぷりはまった漢方の治療家に、科学的視点から説明を試みてもこれまたうまく伝わらないのです。

目に見える科学的な視点と目に見えない経験的な視点、このバランスが取れてこそ真の意味で漢方の理解につながると私は思っています。
            

それは漢方に限らず、すべての事象の理解において言えることかもしれません。

世の中の現象の全ては科学で解明できる、なんていう考え方は傲慢で物事の一側面しか見えていません。

かたや、スピリチュアリズムとか気功とか、目に見えないもので全てを説明しようとするのも同様に無理があります。

全ては目に見える部分と目に見えない部分とがあるのです。


断食をして難病が良くなるという出来事は実際に観察される事象ですが、

この事象、目に見える栄養素の過不足問題だけで考える発想の人には、うまく説明することはできません。

しかしオートファジーの観点を取り入れれば、この不思議な事象の理由を一部説明できるようになってきました。

少し前まではオートファジーという概念自体がなかったから理論的には全く説明できなかったはずです。即ち見えなかったものが見えるようになってきたわけです。

ということは、今まだ見えていない理論的に説明し難い事象も、あながちないがしろにはできないのではないでしょうか。

漢方はその効果のほとんどが古来からの知見に頼って説明されており、

そのメカニズムの解明に科学的なメスが十分に入っているとは言えません。

しかし漢方は確かに効きます。その事実を大事にして、まだ科学で説明できない見えない部分にも意識を向けながら、

見える科学的に理解可能な部分との両面で理解を試みることが大事だと思います。

見える部分の説明は簡潔明瞭です。糖質制限の理論的明快さはまさにこれですし、説明のしやすさという点で科学には大きなメリットがあります。

一方漢方には見えない部分がまだまだ多いです。私はその概要をなんとなくはつかんでいますが、これは他人に説明するのがなかなか困難です。

わかりにくい宗教の世界をうまく伝えられる釈徹宗先生のように、

私も漢方の真の良さを多くの人に伝えられるようにするために精進したいと思います。


たがしゅう

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