生きていて感じる理不尽さに宗教の力を
2017/06/26 00:00:01 |
ふと思った事 |
コメント:12件
糖質制限がいかに素晴らしい健康法だとしても、
それをどれだけわかりやすく、どれだけわかりやすく相手に届けようとしても、
相手に受け入れる土台がなければ決して伝わらないということを私はこれまで嫌という程経験してきました。
それには業界の壁、常識の壁、文化の壁、中毒の壁、心理の壁など様々な壁が関わっていることは折にふれ取り上げて参りました。
それらの壁のせいで、たとえ肉親であっても、愛する人であっても想いが伝えられない現実に突き当たります。
だから私は伝えられる人に一生懸命伝えるというスタンスで、
伝わらない人には無理強いせず、それならそれで漢方など別の手段で治す努力をするというスタンスで日々頑張っています。 しかしながら、あらゆる病気の根源的な部分にある糖質過剰を放置したまま病勢をコントロールするのは、少なくともまだ私の技術では不十分であることは否めません。
糖質制限を正しく伝えられずに、病気を治せないまま最期を見送ることになってしまった患者さんに対して、私は無念の想いでいっぱいです。
しかし、人はいつか必ず死ぬものです。
もし、ある病気を糖質制限で克服したとしても、
その先にいつか必ず生理機能が停止する時期は訪れます。いわゆる老衰です。
また逆にまだ若くとも病気が起こる前に不慮の出来事で突然に亡くなってしまうという場合もあるでしょう。
それらを大きな宇宙からの視点で俯瞰的に見れば、生命活動を終えるタイミングがそれぞれ違うだけで大した違いではないと私は考えます。
けれども、あまりにも若くして亡くなる事態を目の当たりにした時に、
そのような考え方は吹き飛び、どうしても「何か他にできることはなかったか」「何とかして想いを伝えることはできなかったのか」という思いに駆られてしまいます。
人によっては、逃げの一手と捉えられるかもしれませんが、
私はこのような心の乱れに対して、宗教の考え方を取り入れるべきだと考えています。
別に特定の宗派を信奉しているわけではありませんが、宗教の逆説的な物事の捉え方には一見の価値ありだと思っています。
もしも宗教が本当にくだらないもので偽善的な活動だけのものなら、支持者は少なく歴史の流れで自然淘汰されていて然るべきです。
たとえば常識的な考えでは「生きていてこそ幸せ」ですが、宗教では「死してようやく極楽浄土に逝ける」という考え方です。
若くして亡くなられた方へ感じる不憫さは、実は私達の常識から来る勝手な思い込みかもしれず、
いわゆる生の世界で縁のなかった故人は、死の世界では新たで豊かな人生を謳歌しているかもしれないのです。
そんな馬鹿なと思うでしょうか。でも死後の世界がない事は科学的には実証不可能です。科学の限界であり、あるのかないのかは誰にも断定することはできないはずです。
だったらあると考えていた方が、生の世界に生きる私達にとって、
死ぬこと以外にも生きているが故に悩み続けている私達にとっても、救いがあると私は思います。
特に亡くなられた方の御遺族にとっては、故人が向こうの世界で楽しくやっていると心底思えれば少しでも救われるのではないでしょうか。
とはいえ、愛する家族が亡くなればそれまでの生活とは多かれ少なかれ一変してしまう事もまた事実です。
しかし、ここでも宗教は「縁」という事を通じて私達に気づきを与えてくれます。
苦境に立たされても、貢献感を基本に日々を過ごしていれば、
縁はやおら形を成し、きっと助けてくれる人が現れます。
そしてそうやって苦境を乗り越えた経験がまた新しい縁を作るというサイクルが様々な場所で繰り返されているのだと思います。
もっと言えば、「輪廻転生」という概念は縁というものを亡くなった人にまで拡げて解釈を与えてくれます。
死後の世界を謳歌した後に再び生まれ変わった時に、縁があれば形を変えて再び出会う事ができるという希望をもたらします。
あえて科学的に切り込めば、人は亡くなれば土に還ります。土壌菌に分解され物質化します。
やがて最分解された人体の構成成分は自然の流れでまた新たな構造物を形成していきます。
そこに縁があれば、どんな形かはわかりませんが、また違った形で故人と再び出会うことができるという見方もできます。
さらに拡げれば自分だって原子や分子の集合体、今たまたま縁があってたまたまこの人体を構成していますが、
形あるものいつか壊れる、永遠に不変なものなどありません。私の身体もいつか分解され、また新たな構造物へと変化していきます。
みんな一緒です。遅いか早いかだけの違いです。
そんな気持ちを持てば、生の世界での心の乱れをコントロールする助けになるのではないかと思います。
そんな想いを持って、一足先に亡くなられた方の御冥福を心よりお祈り申し上げます。
たがしゅう
※2017年6月26日23時追記:
ブログ読者の方から、輪廻転生の仏教における本来の意味について御指摘がありました。
>仏教においても、伝統的に輪廻が教義の前提となっており、輪廻を苦と捉え、輪廻から
>解脱することを目的とする。仏教では輪廻において主体となるべき我、永遠不変の魂は
>想定しない(無我)。
>この点で、輪廻における主体として、永遠不滅の我(アートマン)を想定する他のインドの
>宗教と異なっている。
>https://ja.m.wikipedia.org/wiki/輪廻
輪廻思想は世界各地にありますが、
少なくとも仏教は、永遠に繰り返される輪廻転生を『苦』とみなし、
そこからの離脱=悟り・覚醒 が修行の目的、だということのようです。
本記事における「輪廻転生」は本来の意味とは異なり、
「死んでもまた別の姿として生まれ変わる」というようなあくまで私の表面的な解釈です。
読者の皆様におかれましてはこの点を御了解頂ければ幸いです。
御指摘頂き有難うございました。
たがしゅう
プロフィール
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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コメント
お医者さんと言う立場の方から、こんなにも優しい言葉を聞く事が出来たならば、心に安らかに救われる人がいるのではないでしょうか。
伝える事の難しさと、伝えきれないもどかしさを感じていましたが、たがしゅう先生の言葉に私が救われた気分です。ありがとうございます。
Re: タイトルなし
コメント頂き有難うございます。
少しでも今を生きる人達の苦悩を和らげることができればと願います。
科学も宗教も、アプローチは全く異なるものの、人とは何かをわかろうとするためのツールだということは知っておいて損はないと思います。
癒やし
私は糖質制限をはじめて役1ヶ月くらいたちますが、いろいろと葛藤もありました。先生とお話させていただいて気づいたことなど、いつも頭に思い浮かべながら日常生活をおくっています。生きていて理不尽は、当たり前です。理不尽と思う自分を許してあげてください。マイナスの感情をもつ自分も許してあげてくださいね。わたしは、毎晩、静かな音楽を流しながら瞑想することを心がけてます。先生が、おっしゃってたように、不安は心がつくる。ストレスマネジメントして、脳をだましながら、ものごとに折り合いつけながら、生きてますよ!
これからも、よろしくお願いします。
Re: 癒やし
コメント頂き有難うございます。
ストレスマネジメントの在り方は人により千差万別です。
私ができるのはあくまできっかけ作りであって、御自分が試行錯誤の結果行き着くストレスマネジメント法を習得されるのが一番よろしいかと存じます。悩む時はいつでも相談して下さい。私でよければサポートさせて頂きます。
またの機会にでも!
人類は突出した知能で賢くなりすぎた代償に、死期を時間的概念で理解できるようになった唯一の動物だと思います。
しかも動物界の天敵を全て駆逐してしまいました。
そういった意味でも死への恐怖感を和らげたい、そこに宗教が生まれたと思います。
人間はあらいぐま(特定外来生物)等を簡単に安楽死させる割りはには、こと人間に至っては難病で回復する見込みがなくても安楽死は現在の所、御法度です。
仕事柄よく両ケースを身近に接するので人一倍考えます。
タブーかと思いますが、先生の安楽死のご見解をお教え下さい。
ここでは炎上するとまずいので、また再会したときでもお教えください。
Re: またの機会にでも!
コメント及び御質問頂き有難うございます。
確かにヒトの知能によってもたらされた自然を人為で征服しようとする傲慢さが死への恐怖を招き、それを克服するために宗教が発展したという考え方は興味深いものがありますね。
> 先生の安楽死のご見解をお教え下さい。
個々の事例は考えると非常に難しいものがあるでしょうが、ここでは簡単に。私の基本は「Do No Harm(害を成さない)」です。
人の数だけ宗教があって良い
私の場合は自然崇拝の傾向が強いかもしれません。
仏教にも多くの宗派があり、神道や儒教と互いに影響し合っています。
あくまでも無宗派で無宗教の個人としてですが、人それぞれの宗教があって良いのではないかと思います。
本来の仏教はこういうものだ、という、正統派を名乗る方々の理論はあるのでしょうが、日本はごちゃ混ぜ宗教の国、そして、ごちゃ混ぜであるにもかかわらず、とても宗教的な要素が強い国であり国民であると思います。
人の数だけ宗教があって、良いと思います。
Re: 人の数だけ宗教があって良い
コメント頂き有難うございます。
> あくまでも無宗派で無宗教の個人としてですが、人それぞれの宗教があって良いのではないかと思います。
それは私も同感です。
宗教はこうでなくてはならないという考え方では、人に救いを与えるはずの宗教の本質から皮肉にも外れていってしまいます。
その意味で先日紹介した「維摩経(ゆいまぎょう)」は大変参考になりました。
宗教の構造を分解し、再構成する作業を繰り返すことで最終的に一切の区別を取り去った「空」の境地に達するという思考プロセスが物語として紹介されている宗教書です。
2017年6月20日(火)の本ブログ記事
「得意分野こそ疑ってみる」
http://tagashuu.blog.fc2.com/blog-entry-1002.html
も御参照下さい。
従って自分の考えにも宗教を取り入れつつ分解と再構成をくり返し、それぞれが自分オリジナルのものを作っていけば良いと思います。
No title
私も、夏井先生の著書をきっかけに、
江部先生を初め多くの先生方の著書を読ませて頂き、
糖質制限の良さを知りました。
糖質制限のおかげか、体調も良好です。
大切な家族、友人などに良さを知って欲しいと思い、
糖質制限についての説明レポートを自分なりに作成したりと頑張っています。
理解はしてもらえるのですが、実践となると・・・
先生の言われる壁はもちろんの事、「経済力の壁」も感じています。
とりあえず、安くお腹一杯にしたいなら糖質が勝るんです。
先生の先日のブログで、藤井四段についての考察がありました。
「腸内細菌が糖質過剰に適応しているのではないかという可能性」
腸内細菌に注目される、先生の考察に賛成です。
肉食動物の人間が、腸内細菌により糖質過剰に適応しても不思議はないです。
パンダだって、腸内細菌により食生活を変えましたし。人間だって。
パプア高地人が芋などの糖質をメインにしているにも関わらず筋肉隆々。
腸内細菌の働きだと、光岡知足先生が仮説をたてられました。
腸内細菌は、宿主の食事内容をコントロールするのでしょう。
細菌の生産物質により、感情、命までもコントロールされても不思議ないです。
糖質制限は素晴らしい食習慣です。
しかし、今の藤井四段に勧めると、アンチ糖質制限勢力を高めそうですね。
でも、いずれはケトン体メインの藤井四段が見てみたいです。
Re: No title
コメント頂き有難うございます。
> 腸内細菌は、宿主の食事内容をコントロールするのでしょう。
自分の意思で動いているつもりでも、実は何かに操られていると思う場面は確かにあるようです。怖い話です。
だからこそ時折振り返って自分を客観視し、自分の行いを見直すことが大切になってくるのではないかと思います。
藤井四段については、彼が幸せで最大パフォーマンスを発揮できるのなら今のままで十分です。
ただ、もし今後行き詰まった場合の選択肢に、糖質制限のことを知っておいてもらえればなとは思います。
パプア高地人
パプア高地人を検索したところ
パプア・ニューギニア人の筋肉美は本当か?
といった内容のブログがたまたまヒットしましたのでご紹介まで。
本当のところはどうなのでしょう…?
私にはわかりませんが。
f^_^;
http://aoamanatu.blog.fc2.com/blog-date-20150418.html
Re: パプア高地人
コメント頂き有難うございます。
イモを主食とするパプアニューギニア高地人は、筋肉美だと言われているが、実際に接すると病的肥満体型が多い、という内容のようですね。確かに掲載されていた現地人の写真をみる限りでは筋肉美であるようには見えません。炭水化物とタンパク質摂取の比率が炭水化物に偏り過ぎているのではないかと思われます。
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