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得意分野こそ疑ってみる
正直、私は「維摩経」という名前すら聞いたことがありませんでしたが、これがまた大変興味深い内容が書かれている本のようで、番組が大変わかりやすく紹介してくれています。
解説者は宗教学者の釈徹宗(しゃく てっしゅう)先生で、以前、「歎異抄」の解説の時にも登場されていましたが、
釈先生の解説はとてもわかりやすく、仏教について不案内な私でも非常によく理解できるので、大変優れた解説力だと思います。
さて、この維摩経ですが、時は紀元前、仏教が出家者のためのものという考えが常識的であった時代、
出家をしていない者でも仏教によって救われなければおかしいという矛盾をついた在家者(=非出家者)達によって興された「大乗仏教」という一大ムーブメントの中心にいた「維摩(ゆいま)」という人物にまつわるお話です。
『維摩経』 2017年6月 (100分 de 名著) ムック – 2017/5/25
釈 徹宗 (その他)
維摩は出家をしていない身であるにも関わらず、仏教の何たるかを非常に深く理解しており、釈迦やその弟子達からも一目置かれる存在でした。
その維摩が出家者の中でも釈迦に最も近い存在として尊敬されている十人の弟子達に対し、
それぞれの得意とする分野に対して、維摩が揺さぶりをかける問いかけをして相手を論破しようとします。
その問いかけが核心を突きすぎるが余り、弟子達が答えに窮するという事を繰り返してきました。
例えば、舎利弗(しゃりほつ)という座禅による瞑想を得意とする弟子に対しては、
「もしあなたが本当にその坐禅の名人だったらば瞑想しやすい環境で瞑想しやすいポーズで瞑想するのは何かおかしくないですか?」と問いかけるのです。
瞑想を極めるというのなら、座っていようが立っていようが、何をしていようが瞑想できなければ本当の意味で達人とは言えないのではないかと維摩は揺さぶりをかけてくるのです。
その分野では天才と崇め奉られているような舎利弗に対し、あろうことか舎利弗の得意分野で勝負を挑み論破するという維摩の度胸たるや凄まじいものがありますし、
その意見がまた全く的外れというのではなく、案外図星だったりするものだからまた驚きです。
維摩という人物が既成の概念にとらわれずに、「自分の頭で考える力」を非常に強く持っていた人物だということをうかがい知ることができます。
また維摩はやみくもに権威者を攻撃しているのではなく、権威者の得意分野を深く学びその上で鋭く核心に迫る問いかけをしているのです。
基本をしっかりと理解したうえで既存の形式を崩すという相田みつを先生のスタンスに通じるものがあります。
この得意分野を揺さぶるという考え方は、糖質制限推進においても重要なことであるように思います。
糖質制限の理論がわかったからとこの基礎理論にあぐらをかいていてはいけません。常に自己批判の姿勢は持つことを忘れてはなりません。
糖質制限の理論がわかった上で、その上で糖質の意義を改めて問い直すという行為も必要なプロセスであるように私は思います。
それは、一度構築したものを一旦解体し、また再構築するという作業であり、これを繰り返すことでより完成度の高い構造へと近づけることができると考えるからです。
例えば糖質はドーパミン分泌を強制的に刺激する側面があります。ずっとそれに頼り続けるのはダメだとしても、やる気のない人が一時的にその性質を利用するというのはあってもいいアプローチであるような気がします。
そうした糖質制限実践者から見た糖質の意義について、
折をみて考え直してみようかと思っています。
たがしゅう
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2017-06-20 12:51 編集
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2017-06-20 13:12 編集