構造に注目して考える

2016/12/10 00:00:01 | 素朴な疑問 | コメント:8件

寒くなって参りました。寒いとどうしても暖房器具を使いたくなりますが、

ふと思いました。暖房器具がない時代の人類はこの苦境をどう乗り切っていたのでしょうか。

もっと言えば人類は衣服や毛皮を着脱する事で環境温調節ができますが、そういった事もできない野生動物にとっては環境温は死活問題に思えます。

それでは暖房器具を使えない動物が皆絶滅していたかといえば、そういうわけではありません。無事現代まで命は紡がれてきています。

という事は暖房器具がなくとも、生命を維持する何らかの代償機構が働いていたと考えるのが妥当だと思います。

人類の生活は技術の革新によりどんどん便利になり、生活は快適になってきていると私達は思いこんでいると思いますが、

楽を覚えれば覚えるほど、そういった代償機構を用いる機会を失い、ある意味私達の身体は退化していっているのではないかとも思うのです。

そういえば肉、卵、チーズの積極的摂取を勧めるMEC食では、不足しがちなビタミンCを摂取を確保するのに葉野菜などの摂取を勧めています。

その背景には人類が進化の過程でビタミンCを合成する能力を失ったという事があるのですが、なぜその能力を失ったかという理由は実は明確にされていません。

しかし進化論の観点から人類の祖先に遡れば、約6300万年前の霊長目にはビタミンCを合成する酵素、L-グロノラクトンオキシダーゼの遺伝子活性はあったという事がわかっているそうです。

つまり人類はもともと進化の過程で起こった何かしらのきっかけが原因で結果的にビタミンCの合成能を失ったという可能性が考えられます。

そしてその何かしらのきっかけというのは、私個人の考えとしては、植物を本格的に食べるようになったことが大きいのではないかと思うのです。

これに関してははっきり言って根拠は乏しいです。しかし私がそう考える一つの根拠は「構造」です。


どういうことかと申しますと、冒頭の寒さへの適応の話とビタミンCの合成酵素の話には共通する構造があります。

寒冷環境を余儀なくされた生物はそのままだと死んでしまいますので使える遺伝子を総動員して環境に適応しようとします。

しかし「温暖」という楽な要素を与えられたら生物はその恩恵に甘んじます。その結果、環境適応のための遺伝子発現を眠らせたままにして「温暖」ありきの生活で適応しようとします。その結果、寒冷環境への適応は叶いません。

一方で生命維持に有用なビタミンCが摂取できない環境での生活を余儀なくされた生物は、これまた生命を維持するためにビタミンCがなくても命をつなぎとめられるようにするための遺伝子を総動員して環境に適応しようとします。

しかしそこに「野菜」という自分でビタミンCを合成しなくともビタミンCが入手できる楽な要素を与えられたら生物はその恩恵に甘んじます。その結果、ビタミンCを合成する酵素の遺伝子を眠らせたままにして「野菜」ありきの生活で適応しようとします。その結果、いつまでたってもビタミンCは自分で合成できるようになりません。

このように一見全く違うような話でも、共通する「構造」に注目する事で結論のわからない話の部分を推測する事ができるようになるのです。


同じ構造はこんなところにもあります。

2016年11月1日より精神安定剤デパス(一般名:エチゾラム)と睡眠障害改善剤アモバン(一般名:ゾピクロン)という二つの薬が、

他の睡眠薬と同様、一度に30日以上処方してはいけないという処方制限が設けられることになったと平成28年10月13日付官報第6877号厚生労働省告示第365号で告示されました。

デパスはベンゾジアゼピン系、アモバンは非ベンゾジアゼピン系の薬でいずれも依存性がある薬なのですが、実は日本では極めて高頻度で気軽に処方されている薬でした。

薬は通常どんなに長くても90日以上は処方してはいけないルールですので、今回の告示前はデパスもアモバンも90日以上処方する事が許されていました。

逆に今まで何で許されていたのかが不思議なくらいですが、以前からベンゾジアゼピン系の依存性の問題には注目していた私は、

これぞ減薬のチャンスとばかりにデパスやアモバンに頼り続けていた患者さんに、30日処方制限の話をしてこれを契機に薬を止めましょうと呼びかけまくりました。

ところがうまくいくのは半分くらいの印象で、デパス断薬から数日後に臨時受診され「やっぱりあの薬がないと眠れない」とか、「あの薬がないと胸がざわざわして苦しい」などと言って再処方を希望される人が続出します。

その不眠や胸部不快はいずれも依存を形成してしまったデパスやアモバンの離脱症状であり、そもそもデパス・アモバンを飲んでいなかったら発生しなかった症状であって、もうしばらく我慢すればその症状は必ず消えると説明しても、

それに対して患者さんが必ず言うのは「でもあの薬のおかげでずっと良くなっていたんです」という言葉なんです。

ここに先ほどの「構造」を当てはめれば、次のようになります。

眠れない環境を余儀なくされた患者さんはそのままだと回復機能を損ない生命を存続できなくなってしまうので、使える遺伝子を総動員して眠れるように環境に適応しようとします。

しかし「睡眠薬」という楽な要素を与えられたら生物はその恩恵に甘んじます。その結果、不眠という事態に対抗する遺伝子は眠らせたままにして「睡眠薬」ありきの生活で適応しようとします。その結果、いつまでたってもその患者さんは自然に眠れるようにはなりません。

そしてもう一つ、この「構造」に気が付けば、考えようによっては自力で環境に適応する方法が見えてくるという事です。

「睡眠薬」の例で考えれば、自然に眠れるようになるためには「睡眠薬」という楽を排除すればよいという事になります。

「寒冷適応」の例で考えれば、寒さに適応できるようになるためには「温暖」という楽を排除すればよいという事になります。

そして「ビタミンC合成」の例で考えれば、ビタミンCのない環境に適応できるようになるためには「野菜」という楽を排除すればよい、という話が導かれないでしょうか。

従来の栄養学から考えればとんでもない話に思われるでしょうけれど、エピジェネティクスの観点で考えればそう荒唐無稽な推論でもないように考えるのは私だけでしょうか。

それを実証するには、糖質制限ベースでビタミンCをあえて摂らない生活を続けて健康を維持できるという事を示す必要がありますが、

何を以て健康かという基準があいまいですし、ビタミンCが一般的に医療機関で測定できないという点からも証明は難しそうな話です。

まあこの仮説をどう思うかは読者の皆様方に委ねますが、

ともあれ、この「構造」に注目するという考え方、いろいろな所に応用が利きそうです。


たがしゅう
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コメント

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2016/12/10(土) 03:22:59 | | #
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No title

2016/12/10(土) 08:00:57 | URL | 広島人 #-
糖質制限、鉄剤、B, Cなどの併用をされている広島県廿日市市の藤川心療内科クリニックの藤川先生が記事を書かれています。
ソラナックスの離脱症状による再服用を防ぐためには、一旦、長時間型を投与して、徐々に減薬する必要があるという見解です。

11.鉄剤を飲んでいても高タンパク食ができなければ妊娠中にフェリチンは下がる
https://www.facebook.com/tokumi.fujikawa/posts/788228651293461?pnref=story

藤川 徳美 2015年5月12日

解説:
鉄タンパク不足を伴う社会不安障害(SAD)の症例
色々なことが見えてきます
1)まず、巷のクリニックの治療がひどすぎる点
短時間作用型のベンゾジアゼピンであるソラナックスを延々と処方している
薬物依存を作っているだけで全く治療になっていない
長時間作用型に変更して徐々に減量しないと永遠に離脱できなくなってしまいます
(一部抜粋です、詳細は元の記事をごらん下さい)

Re: No title

2016/12/10(土) 08:29:13 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
広島人 さん

 コメント頂き有難うございます。

> ソラナックスの離脱症状による再服用を防ぐためには、一旦、長時間型を投与して、徐々に減薬する必要があるという見解です。


 なるほど。発想としては禁煙治療としてのニコチン代替療法と同じようなものでしょうか。それはまだ試したことはないですが、長時間型はそれはそれでhangover(持ち越し効果)の危険が出てくるので慎重に行う必要がありそうですね。

 その考えを糖質中毒の人への離脱症状回避に応用すれば、α-グルコシダーゼ阻害剤の併用を一旦あいだに挟む、というのも一つの治療戦略になるかもしれませんね。保険診療の範囲では糖尿病の人以外に適応するのは難しいですが。

患者の発するコトバ

2016/12/12(月) 12:58:40 | URL | Waga #-
「構造」についてとは少し話がちがいます。

それに対して患者さんが必ず言うのは「でもあの薬のおかげでずっと良くなっていたんです」という言葉なんです。

これって、医師側の責任の結果、患者が発した「コトバ」と思われます。

私の知り合いの一人ですが、鬱病を患って20年近く心療内科に通院していました。

最初の10年は、比較的症状が軽く、一か月に一度くらいの割合で通院し、睡眠導入剤と気分を落ち着ける薬を処方され、これを飲んでいました。

通っている心療内科の先生は、現在、70歳近い方で紳士的でとても穏やかな人柄の精神科医で、この先生は頼れると思い、先生を信じて言う通りに薬を飲んでいました。

ですが、次の10年目くらいからは、薬を飲んでもあまり効果がなくなりましたが、処方通りに、レキソタン、リボトリール等の薬を飲み続けていました。

昨年から症状が進み、夜も眠れなくなり、処方される薬の量も最大限になり、また、処方される薬の種類も増えて行きました。

最近になって、精神的な症状とは別の身体の体調不良から、ある大学病院で診察を受けたところ、現在、心療内科医が処方している薬の量が尋常ではないと担当の先生から指摘を受けました。大学病院なのでいろいろな先生がおられ、その担当の先生の紹介により、薬物の専門の先生にすぐ診てもらったのです。

その結果、その知り合いは、ベンゾジアゼピン依存症であり、「悪夢を見る」、「落ち着かない」、「不眠」、「手の震え」等の症状は、ベンゾジアゼピン離脱症候群であると診断を受け、2か月程度入院することを強くすすめられたのです。

長期に渡ってベンゾジアゼピン系の薬物を飲み続けたことにより、依存し、耐性が生じ薬の量が増えても効かず、離脱症状が出るとの説明があったのでした。

その知り合いは、紳士的で穏やかな人柄の精神科医から、10年以上に渡ってベンゾジアゼピン系の薬物が処方されていました。

現在、大変苦しい思いをしながら、薬を減す治療をその大学病院で受けています。

ベンゾジアゼピン系の薬物は、欧米、特にイギリスでは処方は4週間までと国の基準で決められているそうです。イギリスのアシュトン教授が、2001年にベンゾジアゼピン薬物の問題を指摘し、インターネットにて警笛を慣らしています。

医師を信じ続け、その医師の処方通りに薬を服用し依存症になった場合、結果的に、患者にとってはその医師が合法的な薬(ヤク)の売人となってしまうのです。

これは、厚生労働省と処方した医師の無知による、まちがいない医療過誤と思います。

医師は、日々学び続け厚生労働省の基準を先回りし、薬の特性をよく理解し、依存についてもっと敏感になり注意を払い、依存性のある薬を処方するときは、患者に対しその危険性をよく説明し、事前に薬を止めるタイミングを説明し、患者が依存することのないように最大限努力すべきと思いますがいかがでしょうか。


Re: 患者の発するコトバ

2016/12/13(火) 08:55:44 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
Waga さん

 コメント頂き有難うございます。

 御意見はごもっともです。
 私達医師はそのような御意見を真摯に受け止め事態を改善するための最善の努力をすべきだと思います。

 一方で、御意見は患者の立場からのものであり、医師としての立場から冷静に眺めれば、少し医師に絶対を求め過ぎている御意見かとも思います。

> 紳士的でとても穏やかな人柄の精神科医で、この先生は頼れると思い、先生を信じて言う通りに薬を飲んでいました。
> ですが、次の10年目くらいからは、薬を飲んでもあまり効果がなくなりましたが、処方通りに、レキソタン、リボトリール等の薬を飲み続けていました。

 
 患者も非専門家だからという理由で相手を盲信してはいけないと私は考えます。
 どれだけ相手が優しそうで、信頼できそうな穏やかな雰囲気を持っていようと、相手を100%信用してしまった時点で自分の頭で考える事の完全放棄です。途中で薬が効かなかった時になぜ疑義を呈さなかったのか、そこに責任はないのか、という話になります。

 どれだけ賢そうに見えても、医師とて所詮は一人の弱い人間です。間違うこともあります。そんな弱い存在どうしだからこそ手と手を取り合い力を合わせて共通の目標に歩んでいくのがより正しい姿なのではないかと私は考えます。

構造と言うので…

2016/12/13(火) 09:43:53 | URL | Masa #-
ビタミンCを合成する能力を失った理由は、穀物をふんだんに摂取する様になり、ビタミンCと構造の似た糖質を誤認して合成を止めちゃったと言う話かな?と思いつつ読んでましたら違いました (^_−)−☆
ちょっとタイムスパン的に無理がありますね〜!

Re: 患者の発するコトバ

2016/12/13(火) 09:55:30 | URL | Waga #-
> 患者も非専門家だからという理由で相手を盲信してはいけないと私は考えます。
> どれだけ相手が優しそうで、信頼できそうな穏やかな雰囲気を持っていようと、相手を100%信用してしまった時点で自分の頭で考える事の完全放棄です。途中で薬が効かなかった時になぜ疑義を呈さなかったのか、そこに責任はないのか、という話になります。

知り合いは、3つほど別の精神科にも行きましたが、永く診てもらっている先生の方がいいでしょうと門前払いされもしました。

私は、患者の責任を問うのは、あまりに容赦がなく厳しいことと考えます。
医師の処方通りに薬を服用し患者が依存した場合、依存した後では患者自身が疑義を呈するのはかなり難しいことです。
なぜならば、患者は薬に依存していることを意識していないからです。患者は医師に依存しているとはっきりと言われない限り、自分が薬に依存している事実を認識できないのです。これが、薬物に依存している患者の特徴です。

薬に依存してしまった患者が頼るのは薬だけとなります。そして、その薬を提供してくれる人(医師)だけが頼りになるのです。
これは多くの麻薬患者、覚醒剤患者となんら変わらない構造をしています。
この点、医師は、「医師の処方による薬の依存」について、厳粛に深刻に受け止めて頂きたく思います。

Re: 構造と言うので…

2016/12/13(火) 12:38:05 | URL | たがしゅう #Kbxb6NTI
Masa さん

 コメント頂き有難うございます。
 
 私もその考えは一瞬頭によぎりましたが、それだと農耕が始まった約1万年前あたりの時期にそうした変化が起こっておいてもらわないと筋が合わないと思いました。約6300万年前に一体何があったのか、私の興味はその辺りへと向かっています。

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