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なぜ現代医学は重要な事実を見過ごすのか

category - 読者の方からの御投稿
2021/ 05/ 03
                 
ブログ読者のだいきち さんから前回の記事を受けて次のようなコメントを頂きました。

コロナウィルス様構造物を新型コロナの陽性判定に誤認してしまう事実

何故最先端といわれる現代医療で、このような重大な事実が見過ごされるのでしょうか


シンプルかつ重要なご指摘だと思います。にわかには信じがたい話ですが、近年のコロナ騒動における各国の中枢機関の意思決定の在り方を見ている限りそのように考えざるを得ません。

言い換えれば、「科学を重視する専門家集団が現実に対してつじつまの合わない選択を繰り返す」という構造になってしまうのはなぜなのでしょうか。

それは「物事をみる前提が異なっているから」ではないかと私は思います。
            

たとえば、戦国時代の英雄的武将も、時代が変われば、ただの大量殺人鬼だという見方があります。

あるいは犯罪を犯した人であっても、親にとって見れば愛すべきこどもといったように、立場が変われば同じ対象に対する見方が全然違うということは世の中でいくらでもあると思います。

コロナに対する世界の認識は、その食い違いがとてつもなく巨大な集団意志の中で起こっていると私は思うのです。


前回の記事を私は「感染症学自体が事実の捉え方を誤っている」というコメントで締めくくりました。

どういうことかと言いますと、「感染症という病気は病原体の感染によって引き起こされる」という前提が間違っていたかもしれないということです。

たとえば結核菌がいて、その結核菌が誰かの場所に移動し、その人の中で増殖し、結果的にその人の肺を中心に炎症を起こし死に至らしめると、

そしてその状況に対して、結核菌をやっつける薬を飲むことによって、その人の炎症反応が収まり、再び健康的な状態に戻ると、

そのような観察事実だけを見ると、「結核菌が結核の原因である」という説には確かに矛盾はありません。

ところが同じ条件下で、結核菌が移動したにも関わらず、結核菌は増殖したりしなかったりで、その人の中でも炎症反応は起こったり起こっていなかったりという事実も観察されていたとします。

この現状を現代医学は、「宿主の免疫力によって結核の発症を抑えている」と解釈しています。これによって矛盾を解消していると思います。

ところが、今同じ状況を次のように解釈しなおすことはできないでしょうか。

「人体にとって異物(非自己)と判断される物体が入ると、それに対する異物除去反応が惹起される仕組みがあり、その反応は異物が存在する場所を中心に炎症という形で起こる。肺に到達しやすい異物は肺で炎症を起こし、消化管に到達しやすい異物は消化管で炎症を起こす」

「その異物除去反応が何らかの原因で過剰にはたらき過ぎると、異物除去の可否に関わらず人体が恒常性を保てない状態になっていく」

「人体の恒常性が保てない状況に自己増殖可能な微生物が侵入すると、その微生物はその場で排除されることなく、増殖を繰り返すことができる」

「微生物が増殖すればするほど、人体はその抗原を異物として認識しやすくなり、さらに異物除去反応が惹起され続け炎症が全身に拡大していく」

「異物除去反応を過剰に駆動し、恒常性が保たれなくなった状態のことを私たちは”病気”と呼んでいる」

この前提で結核という現象を見直してみると、「結核菌が結核の原因である」ではなく、

結核菌は異物除去反応を惹起するきっかけを与えているだけで、その後異物除去反応が過剰に駆動され続けることが病気の真の原因である」という解釈が見えてきます。

つまり結核菌は結核を起こしているわけでも何でもなく、異物除去反応が適切に働けば適切に排除されるけれども、

遷延した過剰異物状況反応の状態で身体全体のシステムがうまく機能しなくなることで、結果的に結核菌にとって増殖しやすい環境になったために増殖しているだけの状況で、

別に結核菌は病気を起こすためにそこに存在しているのではなく、ただ自然の摂理に従って増えたり減ったりしているだけだと思うのです。

でもこれを「結核菌が結核の原因である」という色眼鏡で見ているが故に、ある人に対しては「肺結核だ」とか、別の人に対して「粟粒結核だ」などとラベルを貼って理解しようとしているけれど、

本質的な病気の原因はどちらも「異物除去反応システムの過剰適応/消耗疲弊」なのであろうと私には見えるわけです。

では「結核菌をやっつければ結核が治る」という現象はどう説明するのかと言いますと、

結核菌がいなくなれば異物除去反応を認識するための異物がなくなるので、流石に異物除去反応が駆動されなくて済むというわけなので、

「結核菌が病気の原因」ではなくて、「異物除去反応の過剰駆動が病気の原因」であっても、この現象には矛盾はないわけです。

ある意味でここで示す真の結核の原因は、花粉がなくなれば症状が治まる花粉症などのアレルギー性疾患と同じ構造を持っています。

しかし以前「アレルギー」→「自己免疫疾患」→「サイトカインストーム」の順に病気が進展するという見通しを示したように、

花粉症のように花粉という異物を過剰に攻撃している分には異物除去が当座の治療になるものの、

自己免疫疾患のように攻撃対象が異物だけではなく、間違って「自己」をも含むように病気が進行してしまったら、「異物除去」が治療法として成立しなくなってしまいます。

なぜならば「自己」を除去することはすなわち、「自己」の崩壊を意味するからです。

だから現代医学では「自己免疫疾患」を『難病』と位置づけることによって矛盾を解消しようとします。

「結核菌が病気の原因である」という概念で「自己免疫疾患」を眺めている限り、頭の良い世界中の研究者がいくら研究しても自己免疫疾患は「なぜかわからないけど自己を免疫で攻撃し出してしまう謎の病気」という枠組みから逃れることができません。

だから「自己免疫疾患」の治療薬はとりあえず免疫を落とす「ステロイド」が中心になります。現代医学の視点で見ている限り、「自己免疫疾患」はいつまで経ってもその原因がわからないので、原因はともあれ過剰な免疫を抑える薬を使うより他にないのです。

サイトカインストームに関して言えば、それが非常に激烈に起こっている状況ですので、なおさら原因は見つかりません。

ウイルスとの接触をきっかけに起こったサイトカインストームの場合、「結核菌が結核の原因だ」という色眼鏡で見ていれば「ウイルス感染がサイトカインストームの原因だ」と受け止められてしまうかもしれませんが、

やはり「アレルギー性疾患」や「自己免疫疾患」と同様に「異物除去反応システムの過剰適応/消耗疲弊が真の原因だ」という視点で捉えれば、

ウイルスを体内に取り込んでウイルス由来の遺伝子を増殖させるという「自己」的な対応をしていたその「自己」的物質に対して誤って異物除去反応をただひたすらに駆動し続けてしまった身体のオーバーヒートの方に原因があるということになるので、

これもどれだけ世界中の研究者が血眼になって原因を探しても外に原因はみつかりませんし、当然ウイルスを攻撃しようとすればそのまま「自己」の崩壊を意味することになりますし、まともな治療薬は「ステロイド」くらいしかないという状況になっていると考えれば非常にしっくりきます。

おそらく今の話も「結核菌が結核の原因である」という目線で見ている人からすれば、到底理解できない話だと思います。

で、誰が「結核菌が結核の原因である」という概念に一番支配されているかと言えば、その筆頭は医者や医学研究者でしょう。

もっと言えば、この支配は「科学」という概念に強固に支えられています。

つまり「科学は過去様々な謎を明らかにして、科学が与えるメッセージには確かな信頼性がある」という動かしがたい実績が医者や医学研究者の中における「結核菌が結核の原因である」といったものの考え方を絶対的なものにします。

それはこの分野で生計を出て、この概念の下で様々な研究や思考の発展をさせている専門家であればあるほど強固な概念となります。

そして悲しいかな今の世の中はこの「科学」の信頼性に支えられて専門家の意見が過剰なまでに優遇される環境を許してしまっている状況だと思います。これを私は「科学の暴走」と呼んでいます。

そのように「科学」という過去実績のある概念に過剰なまでに下支えされて動かなくなった専門家的概念が、重要な事実を見過ごさせることにつながったのだと私には思えるわけです。


まずはウイルス感染症のみならず、細菌感染症も含めて「感染症の原因は病原体である」という概念から逃れる必要があります。

その眼鏡を外さないからこそ、世界中で一斉に検出されたPCR検査陽性者が「一気に世界中に拡がった驚異の新型ウイルスのしわざ」に見えてしまうのです。

眼鏡を外した私には「世界中にちらばっていた特定の抗原を一斉に検出しただけの状況を科学の色眼鏡によって皆が勝手に不安/恐怖を感じはじめて身体システムをオーバーヒートさせていった状況」にしか思えません。

眼鏡を外さないから「人と人との距離をこれ以上ないほど確保したのに感染が広がっているのは人々の気の緩みだ」ということにしか思えないわけでしょうけれど、

眼鏡を外した私には「もともと世界中に散らばっている特定の抗原と接触している一定の人たちが季節変動による気候変化も受けながらさらに不安/恐怖によって体調を崩しやすくなっている」ようにしか思えません。

眼鏡を外さないから「今年インフルエンザが激減したのは皆がマスクを装着したからだ」という解釈になりつつ、そのマスクを装着している状況であるにも関わらず広がっている新型コロナのPCR陽性者の増加に関しては「感染力の強い変異株が猛威をふるっている」と理解することで矛盾を解消しようとしてしまうわけですが、

眼鏡を外した私は、インフルは激減したけどコロナは激減しない矛盾を見過ごしません。これはそのまま「マスクによる感染症発症予防効果はない」ということを意味しますし、

コロナ前とコロナ後でインフルエンザに対する診療・検査体制が激変したことがデータ上のインフルエンザの激減につながったという風に考えることで矛盾を解消します。

具体的にはコロナ前ほど気軽にインフルエンザ様症状の人が病院に受診しなくなりましたし、そのような症状の人にはまず真っ先にコロナのPCR検査が実施される世の中になりましたし、

さらにはコロナ前に使っていたインフルエンザ抗原迅速検査キットは使われなくなり、新たにコロナと同時に調べる検査キットが開発されましたがこの新キットが旧キットと同様の検出感度を持っていたかどうかは情報が不透明です。

仮に新しい検査キットが旧キットと遜色のない精度を持っていたと仮定しても、これほどの診療体制の変化があった中でインフルエンザが例年通り検査されたとは到底考えにくいです。それならば今回のインフルエンザ患者の激減は見かけ上の変化と考える方が妥当です。

・・・そんな風に、色眼鏡をかけた状態で世界で起こっていることを解釈するのと眼鏡を外した状態で解釈するのとではまるで見え方が変わってくるということがわかります。

「科学」が眼鏡を外させてくれないのです。それが現代医学が重要な事実を見過ごしてしまっている最大の理由だと私は考える次第です。


たがしゅう

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コメント

非公開コメント
        

現代医学は利権により、原始医学以下にまで退化する。
Re: タイトルなし
東雲 暁人 さん

 コメント頂き有難うございます。

 原始医学は自然をありのままに観察することから発生したものでしょうから、確かに自然をありのままに見られなくなった現代医学は原始医学以下の側面が確かにあるように私も思います。
変異ウィルスに対しても誤認でしょうか?
詳細なご見解ありがとうございます。
もう一つ釈然としない現代医療界の対応があります。

ウィルスの変異は恐ろしい現象なのでしょうか?

身近な例として、インフルエンザは流行の度に型が変異しそれに対応するワクチンが提供されています。
ワクチンは任意接種で、私を含め当然未接種の人も多くいますが、それに対して国からの強制もありません。
であるのに、今回のコロナの場合の変異は、あたかも「過去に例を見ないウィルスの異常な振る舞い」のように報道され国民不安を煽るばかりで、意図的とさえ感じるのです。
インフルエンザ変異のケースと一体何が異なり、だからインフルエンザよりも注意が必要なのか?を分かりやすくかつ明確に示してくれれば、各個人が右往左往せずに責務を全う出来るはずです。
インフルエンザとコロナでは危険性違いがあるのでしょうか?
次々と変異してしまうウィルスに対しての医療界やマスコミの対応は、ただただ国民の不安を煽り続けるばかりです。
Re: 変異ウィルスに対しても誤認でしょうか?
だいきち さん

 ご質問頂き有難うございます。

> 今回のコロナの場合の変異は、あたかも「過去に例を見ないウィルスの異常な振る舞い」のように報道され国民不安を煽るばかりで、意図的とさえ感じるのです。
> インフルエンザ変異のケースと一体何が異なり、だからインフルエンザよりも注意が必要なのか?を分かりやすくかつ明確に示してくれれば、各個人が右往左往せずに責務を全う出来るはずです。
> インフルエンザとコロナでは危険性違いがあるのでしょうか?


 お気持ちは理解できます。
 ただ私は医療界やマスコミは意図的ではなく、不安を煽るつもりは一切なくて、本気で危険だと考えて警鐘を鳴らしている、というのに一票です。

 まずインフルエンザの場合はコロナのようにPCR検査ではなく抗原検査という方法がメインで検査されていますので、ウイルス変異の影響はコロナほど厳密には受けないものと思われます。つまり少々ウイルスが変異していたとしても、抗原検査で検出する抗原を産生する遺伝子のコードさえ無事ならば変異インフルエンザウイルスであっても従来検査で陽性になる、ということです。

 ところがコロナの場合はPCR検査なので、プライマーを含む40塩基ほどの検査対象の遺伝子配列が1塩基でも変異を起こせば従来検査では検出できなくなります。おそらく従来のコロナPCR検査ではウイルス変異によって陽性にならなくなってきたと、でもコロナっぽい患者はいるので、その患者の検体からコロナウイルス様の遺伝子情報を検出し、さらにその情報からPCR検査の対象となる40塩基の遺伝子配列を設定し直して、新たな変異株様検査キットとして普及して再びPCR検査陽性者が出現してきているといった状況にあるのだと思います。

 本当にコロナ抗原に反応してかぜ様の自己システムオーバーヒートを起こしているかどうかは別として、かぜ様症候群を起こす人はコロナ流行の有無に関わらず一定の確率で季節要因の影響なども受けながら発生してきてしまいます。しかしかぜ様症候群の人にコロナ検査をしてしまえば、たとえコロナ抗原に対する異物除去反応でなかったとしても、そこにコロナ抗原が付着していただけでPCR検査陽性になる、という出来事が起こってしまい、それを見て医者は間違いなくコロナだと判定してしまうという悲劇が繰り返されます。なぜならばこれがあれば絶対にコロナだという臨床症状は皆無であり、コロナの症状はすべて非特異的所見(特定の病気によってのみ引き起こされる症状ではなく、他の病気でも引き起こされる症状のこと)だからです。

 そう考えると、今までのインフルエンザという病気の概念も抜本的に見直す必要が出てきます。
 なぜならばインフルエンザの症状も非特異的所見であるからです。

 こどもにはコロナが少なく、インフルエンザはこどもの重症者がいるという違いについても誤認の可能性があります。
 コロナで重症化したこどもは欧米の川崎病様の小児発症性多系統炎症症候群(PMIS)をのぞいてあまりクローズアップされていないように思えますが、インフルエンザが激減したからといって小児の重症脳症や脳炎自体がなくなったわけではおそらくないでしょう。それがコロナやインフルエンザとしては認識されていないだけの話だと思います。

 つまり、コロナとインフルエンザの違いを議論することはあまり有意義ではなく、要は異物除去反応システムのオーバーヒート状態を私たちが何と名付けて認識しているかというだけの違いでしかないと私は考えています。
テレビの印象操作について
こんにちは。

>だいきちさま

テレビの印象操作は以下の方々が動画でまとめて下さってますよ。
国民から受信料を徴収しているにも関わらず、グラフ印象操作を行うNHKニュース9の報道は国民を欺く最低の行為ですね。

広告収入を得ている、株式会社の民法は押して知るべしだと思います。

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