自分を適切に認識する難しさ
2019/01/26 00:00:01 |
素朴な疑問 |
コメント:3件
先日紹介した「隣のサイコパス」という本には、コラムとして次のようなことも書かれていました。
(p52より引用)
【サイコパスの科学者が真の自己を探求する書】
サイコパスに関する多くの書物の中でも特別な一冊が、
神経科学者のジェームズ・ファロン氏による『サイコパス・インサイド―ある神経科学者の脳の謎への旅』(金剛出版)。
サイコパス・インサイド―ある神経科学者の脳の謎への旅 単行本 – 2015/1/30
ジェームス・ファロン (著), 影山任佐 (翻訳)
研究用の大量の脳スキャン画像を確認中、一見して特殊とわかる脳画像が自分のものと知る衝撃的なエピソードで幕をあける同書は、
著者が試行錯誤の末に自分が向社会性サイコパスであることを自覚するまでのノンフィクションです。
しかしそこに至る道は決して平坦なものではなく、著者は当初、反社会的ではなく犯罪歴もない、
怒りのコントロールもできる自分を、遺伝から脳にその特徴を有してはいるもののサイコパスではないと考えていました。
そして発症していない"正常"な状態という立場からサイコパスの発症条件を研究し、その成果発表も行っていたのです。
そんなときある医師からあなたは双極性障害(躁状態と鬱状態の間を行き来する精神疾患)では?という指摘を受けたことをきっかけに、
著者は"正常"と疑わなかった自己認識が実像ではなかったかもしれないということに思い至ります。
そして真の自分を知るべく、周囲の他者の目に映った自己像の調査へ。
自己認識と他者認識の差を埋めて自分は向社会性サイコパスであるという結論に至るのです。
(引用、ここまで)
サイコパスには自覚がない事が多いと言われているそうです。
だからサイコパスの人が病院に自分から受診することはまずないですし、
受診したとしても自分が病気だとは思っていないので、通院はろくに続かないのだそうです。
だからその全貌が解明しきれていない「サイコパス」ですが、
引用文の内容はそんな風に語っている私自身もサイコパスかもしれない可能性を突き付けてきます。
サイコパスも発達障害も脳の特性の個人差であって、
いずれも0か100かの世界ではなく、どの要素も人それぞれ混ざり合ってその人が構成されている側面があるように思うのです。
そして何より重要なメッセージは、「人は自分のことが最も認識しにくい」ということ。
これは肝に銘じておく必要があることだと私は思います。
私も当ブログ等で偉そうにストレスマネジメントについて語っていたり、
立場上、患者さんに助言していたりはよくするのですが、
自分のストレスがうまくマネジメントできているかと言われたら自信はありません。
あるいは例えば、自分の自分らしい特徴を簡潔に3つ挙げてみよ、と言われた場合に、
何を挙げるかで迷いますし、また挙げた項目が適確に自分を現しているかと言われたらこれまた自信なしです。
私は糖質制限に適切なストレスマネジメントを加えれば、健康長寿も夢ではないと考えていますが、
糖質制限だけならまだしも、自分のストレスマネジメントが本当に適切かと言われたら、人にはいろいろ言っておきながらどうも自信が持てないのです。
皮肉なことに他者に対して優れた治療技術を持っている人間が、自分に対してその効果が発揮できるとは限らない、ということなのではないかと思います。
「サイコパス」、そう聞くと自分とはなるべく関わり合いにならないでほしいと皆思うかもしれません。
しかしそれがもし自分自身を構成する要素の一部だとすればどうでしょうか。それと向き合わざるを得なくなり、一気に自分事へと変わります。
さすればサイコパスとどのように向き合い、どうすればうまくマネジメントをすべきなのかについて知っていて損はないはずです。
と同時に良心の欠如、共感性の欠如に基づいて、たとえ冷酷非道な行動へつながりうるのだとしても、
「サイコパス」を絶対悪として見ないことです。絶対悪というものはこの世に存在しないのですし、
それは自分の中にもある問題なのかもしれませんから。
他人の問題だと思えるようなことを、自分の中での問題だと仮定として捉えることは、
時に必要なことなのかもしれません。
そして自分が周りからみてどのように見えているのかを知ることも、
自分を知るために必要不可欠なステップであるように思います。
たがしゅう
Author:たがしゅう
本名:田頭秀悟(たがしら しゅうご)
オンライン診療医です。
漢方好きでもともとは脳神経内科が専門です。
今は何でも診る医者として活動しています。
糖質制限で10か月で30㎏の減量に成功しました。
糖質制限を通じて世界の見え方が変わりました。
今「自分で考える力」が強く求められています。
私にできることを少しずつでも進めていきたいと思います。
※当ブログ内で紹介する症例は事実を元にしたフィクションです。
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コメント
No title
今回の記事を読んで、以前にもコメントを投稿させていただいた「ゲーデルの不確定性原理」を思い出しました。
・ある閉ざされた数学体系の中で、公理系から諸定理を証明していく過程の中に、矛盾が存在するか、しないか、いずれも証明することはできない
というもので、言いかえれば
・自己自身を自ら証明することはできない
ということです。
やはり自分のことはわかっているようで、わからないことが多いのだと思います。他の人からみると、客観的になるので、少しはよくわかるのかなと思いますが、他の人といえども全く関係がないということはない、すなわち完全に客観的とは言えないので、全く間違いなくわかるということはありえないのだと思います。
とはいうものの、先生が言われるように、”自分が周りからみてどのように見えているのかを知ることも、自分を知るために必要不可欠なステップ”、このことを忘れてはいけないと思いました。
Re: No title
コメント頂き有難うございます。
自分のことを知るためには他人の評価を知ること、
あるいは「人の振り見て我が振り直せ」という言葉もあります。
そう考えると、他人のことを深く知ることは自分のことを知る旅の一部に思えますね。
No title
>他人のことを深く知ることは自分のことを知る旅の一部に思えますね。
同じようないことを哲学者 西田幾多郎氏も言っていたと思います。
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