「細菌感染症」的な状態と「ウイルス感染症」的な状態の違い コメントの編集 名前 タイトル メールアドレス URL パスワード 非公開コメント 管理者にだけ表示を許可する 本文 [色:0000FF]>「コロナウイルスを一生懸命避けることよりも(貴方の内にある)終炎反応システムを修復する栄養改善やストレスマネジメントの方がはるかに重要」だという説と、「悪いのは貴方でなくてバイキンなんだからお薬でバイキンをやっつければいいのです」という説を比べた場合には、何も考えることなく後者を選ぶ人が、現在は大多数かと思います。 >ではどうしたら良いのか考えても、夏井先生のHPのように、具体的な改善例を積み上げて閲覧に供するような地道な活動位しか頭に浮かびません。難しいです。[/色] コメント頂き有難うございます。 それが長年、私を悩ませ続けている課題の構造です。 「常識的な価値観が定着している状況下で、非常識な新しい価値観を普及していくにはどうすればよいか」 江部先生の糖質制限食は理論に加えてエビデンスの蓄積によって理解者を徐々に増やす戦略だと思います。 夏井先生のなつい式湿潤療法は、理論に加えて、御指摘のように、実際の治療例を蓄積・公開し、圧倒的な治療効果を証明し続けて理解者を増やす戦略だと思います。 既存の体制に対して江部先生は温和的、共感的でありながら改善を求める紳士的なアプローチで、夏井先生は論理的な誤りを指摘し相手への断罪を求めるような強めのアプローチという所にも違いがあります。 しかしながら、それらのアプローチを行って10年〜20年の時がすでに流れていますが、未だ新しい常識的価値観へ置き換わっているとは言えない状況です。それくらい常識が覆るというのは難しいことだと思います。 旧態依然たる体制の世代の方々の寿命が尽き、真の意味での世代交代が起これば常識が変わるのではないかという予想もありますが、私はその未来に対しては消極的な見解を持っています。なぜならば世代は変わっても、教育システムは確固たるものとして受け継がれていくからです。この教育システム自体が変わらない限り、糖質制限も湿潤療法も、知る人ぞ知るマイナーな治療法の位置づけはおそらく変わらないのであろうと私は考えています。 だからといって教育システム自体を変えようというのはあまりに非現実的です。少なくとも今の私にはそのための具体的な方策は全く思いつきません。それは政治システムが変えられないのと同じくらいの困難さを秘めています。 ではどうすればよいか。現時点での私の方針は大きく2つです。 ①旧態依然たる体制をなるべく攻撃しない(多様な価値観を受容する。けれど論理的な誤りに対する批判はする) ②自分の頭で考えることをできるだけ多くの人達(特にこども達)に伝えていく 世間がどうやっても変わらないのなら、個に訴えかけるしかありません。 そこも全員を変えようとするのではなく、「変えられる人だけ変えていく」という発想です。 「変える」というのも「私が相手を変える」というおこがましさを持つのではなく、「相手を取り巻く環境を変えて相手が変わるのを期待する」といった方が正確かもしれません。 これだと変えられる人も少数派で、世間が変わるにはほど遠いですが、少なくとも世間が変わる流れへ向けて一歩前進はしていますし、自分自身の生きがいは大きくなっていきます。御指摘のような地道な活動には該当してしまうとは思いますが。 そしてそんな地道な活動とともに、相手を攻撃しないことも重要です。 たとえ私の中で論理的に誤りがあると思えたとしても、相手の中で合理性があるからこそ相手はその行動を選んでいます。 その相手の行動の合理性までをも否定しないことです。よくいわれる「誰であっても人格否定はしてはならない」という行為にも通じます。 相手を100%否定するような攻撃をしたとしても、その先に融和も協調もあるはずがありません。融和を目指すのであれば、たとえどんなに理不尽な行為であったとしても、その相手の行動の深い部分までも否定しないことが大前提になるでしょう。大きな人間力が要求される行為でもあります。 相手を徹底的な論理で打ち負かすことができたとしても、その先に待っているのは壮絶な復讐劇です。戦争が繰り返される事実がそれを物語っています。極めて困難で望みの薄い行為ではありますが、まず自分が相手を攻撃しないことで、相手も自分を攻撃する必要性を感じなくなっていく構造の先にのみ、誰もが協調し合い、お互いのために生きられる世界があるように私は思います。 home
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