何が「自己」を「他者」だと誤認させているのか コメントの編集 名前 タイトル メールアドレス URL パスワード 非公開コメント 管理者にだけ表示を許可する 本文 タヌパパ さん [色:0000FF]> 「死ぬ事」と「ベッドに張り付けられて生きる事」の二択は究極の選択かもしれないです(私は前者しかありえません)が、それを真面目に考えることは宗教家の使命なのではと思います。[/色] おっしゃること、わかる気がします。 以前、科学と哲学と宗教の共通性について記事にしたことがあります。 私なりにまとめるならば、すべて「わからないものをわかろうとする態度」であるわけですが、 科学は「見えるもの」を扱い、宗教は「見えないもの」を扱うと。 そして哲学はその中間的な位置に立ちつつ、「わからないことを永遠に考え続ける態度」を意味するものだと。 そういう意味で、哲学者と宗教家は同じとも言えるし、違うとも言えるのだと思いますが、 私は基本的に哲学者として人生を歩んでいきたいスタンスです。そしてそのスタンスは同時に科学者でもあり、宗教家でもある態度ともリンクします。 だから「死ぬ事」と「ベッドに貼り付けられて生きる事」について考えることは、私自身の課題でもあると思っています。 2016年3月29日(火)の本ブログ記事 「私は哲学者でありたい」 https://tagashuu.jp/blog-entry-677.html もご参照下さい。 home
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