科学的姿勢は正しさではなく世界の構造を示す

2023/01/01 11:00:00 | おすすめ本 | コメント:0件

あけましておめでとうございます。令和5年(2023年)となりました。

苦難の時代が続いているように思いますが、心機一転の気持ちでここからまた歩み始めようと思います。

毎年元日のブログでは、私が大きな影響を受けたおすすめの一冊を紹介するようにしています。

今回は何を紹介しようか迷いましたが、実は昨年の当ブログでチラッと紹介したことのあるこちらの本を挙げたいと思います。



「ポリヴェーガル理論」を読む -からだ・こころ・社会- 単行本(ソフトカバー) – 2019/6/3
津田 真人 (著)


この本の凄さを表現するのは、1本のブログ記事で紹介するには余りあるかもしれない、それくらい凄さが詰まった本だと私は感じるのですが、

新年の一発目のブログ記事、あえてその魅力を凝縮して説明する試みにチャレンジしてみたいと思います。 まずこの「ポリヴェーガル理論」は何なのかと言いますと、徹底的な解剖学的解析と人類のみならず進化生物学史を紐解いていくことで、

従来の医学・生理学で把握されていた自律神経系の理解のされ方、特に交感神経系と副交感神経系の2項対立としての理解のされ方ではなく、

さらに発展して、実は自律神経系は3位1体型の重曹構造になっているということを強力な説得力を持って説明する理論のことです。

ちなみに「ヴェーガル(vagal)」とは「迷走神経」を表す言葉で、その迷走神経が多重構造になっているという所に大きなポイントがあるので、「ポリヴェーガル理論」と呼ばれているということです。

さてこの理論が示す事実の凄さもさることながら、私がこの本を読んで一番驚いたのは実はそこではありません。

まず、「ポリヴェーガル理論」の創始者はアメリカの神経生理学者、ステファン・W・ポージェス博士という方なのですが、

実は上記のおすすめ本は、そのポージェス博士の「ポリヴェーガル理論」の単なる和訳本ではありません。

「ポリヴェーガル理論」が示す自律神経の重曹構造を表しているかのように、重曹的かつ細部にわたるまで詳細な解剖生理学の知識、発生学の非常に精緻な構造や成り立ちの情報を織り交ぜながら、

最終的に単なる人体の仕組みの話にとどまらず、それがいかに社会というものとその在り方、認識のされ方と密接に関わっているかということが順に読み進めていくにつれ、あるいは好きな所から読み勧めていっても、その重曹構造への理解が深まっていくという内容になっているのです。

そしてさらに驚くことに、そんなすごい本を書いているのが津田真人先生という方で、この方は医師でも研究者でもありません。

肩書き上は精神保健福祉士、鍼灸師、あんま・マッサージ・指圧師、ゲシュタルト・セラピストなどとなっている方ですが、

医学の専門書でもこれほど細部まで記された文章を私は知りません。さらには医学の話だけではなく、心理学、哲学、人文学など他分野の学問領域の知見も織り交ぜながら、自律神経系の本質について迫る非常に複雑な文章構成となっています。

難解な文章ではあるものの、ただ細かいだけではなく、「ポリヴェーガル理論」の重曹構造をそのまま表現するかのような繊細かつ丁寧な心遣いを感じる文章で実に見事です。

従来の自律神経の常識を覆すこの説得力の大きい「ポリヴェーガル理論」ですが、実は私も専門とする脳神経内科の専門書の中ではなぜかほとんど扱われていないという実情があります。せいぜい専門誌の自律神経特集のごく一部に取り入れられる程度です。

逆に言えば、脳神経系を専門とするはずの私も、正直言ってこの本を読むまで「ポリヴェーガル理論」について知る機会がありませんでした。

一方でこの「ポリヴェーガル理論」は専門家の無関心をよそに、トラウマケアをはじめとする心理系セラピストの世界でいち早く注目され、大きな普及の広がりを見せていきました。

なぜならばこの「ポリヴェーガル理論」が、トラウマの発生を含めた従来医学では説明できない事象の原理をうまく説明し、かつ臨床的に応用範囲が広く使える理論であるということが明らかになってきたからです。


ここで、そんな「ポリヴェーガル理論」の膨大な内容についても少しだけ触れておきましょう。

一般的に生物は「闘争・逃走反応」と称される生命危機的ストレスにさらされた時に、身体を活性化する方向に傾ける交感神経系が働き、そうしたストレスから逃れてリラックスできる時に身体を鎮静化させる方向に傾ける副交感神経系が働くというのが自律神経系の一般的な理解であるわけですが、

それだと生体を危機的状況をもたらす「迷走神経反射」という失神をもたらす現象が、身体を危機的状況から守るはずの副交感神経、その主要成分である迷走神経がもたらすという事実を説明することができませんでした。これをポージェス博士は「vagal paradox(迷走神経パラドックス)」と名付けます。

この謎の解明を解き明かすためにポージェス博士はなんと人間のみならず、脊椎動物から無脊椎動物まで詳細な文献調査を行います。

その結果、迷走神経には系統発生学的に起源の異なる2つの迷走神経系があることに気づきました。1つは「背側迷走神経複合体」、もう1つは「腹側迷走神経複合体」です。

実はそれは医学の中での神経解剖学の知識として2系統あることは、すでに明らかにされていたものですが、両者の機能的・生理学的な意義は不明でした。

そんな中でポージェス博士が示したのは、動物進化の順に沿って、昆虫や甲殻類などの無脊椎動物には「背側迷走神経複合体」のみがあり、魚類(硬骨魚類)、両生類、爬虫類といった脊椎動物には「背側迷走神経複合体」「交感神経系」とがあり、

哺乳類以降の脊椎動物には「背側迷走神経複合体」「交感神経系」「腹側迷走神経複合体」の3系統があるという、進化の流れに沿って重曹構造が出来上がってきたという仮説でした。

そしてそれぞれの自律神経系は、全て生物が困難に適応するための意義があるということを述べています。

まず「背側迷走神経複合体」は生物が脅威にさらされた時に身を潜めて天敵に発見される確率を下げて、生存可能性を高めるための「不動化システム」として働いていることを数々の傍証と共に示します。

言ってみれば最も原始的な困難適応システムですが、生物多様性がそこまで大きくない無脊椎動物主流の時代においては有意義な生存維持機能として働いていた可能性があります。

先ほどの人間で失神を引き起こす迷走神経反射はこの「背側迷走神経複合体」の働きを反映した現象だと説明されています。

そして無脊椎動物の時代から魚類を経て、動物が陸上生活に移るタイミングで、それまでに比べて様々な外敵・異物と遭遇する機会が圧倒的に増える環境の中で、

異物と遭遇した際に自らの身体能力を一時的に活性化させるという「可動化システム」として「交感神経系」が備わるよう進化してきたと言います。

そして爬虫類までの個体がそれぞれ単独で行動していた生活様式から、哺乳類になるとより安全な環境を求めて集団になることで生存確率を高めるという戦略を取るようになり、

そうした進化過程の中で、集団生活によって形成される社会で「安全」の感覚が得られた際に「背側迷走神経複合体」「交感神経系」の働きが最適化するように調整する「社会的関与システム」として「腹側迷走神経複合体」が働くという意義があることを示されたのです。

そしてこの「腹側迷走神経複合体」が発動するトリガー感覚である「安全」には大きく3種類があるとも示しています。

無難安全(リスクは斥けるべきノイズ)
スリリング安全(リスクは楽しむべきスリル)
チャレンジング安全(リスクは生かすべきチャンス)


①の無難安全によって「腹側迷走神経複合体」が刺激される時は、「不動化システム」として働く「背側迷走神経複合体」が優位となって生存確率を高めようとすると言います。

また③のチャレンジング安全によって「腹側迷走神経複合体」が刺激される時は、「可動化システム」として働く「交感神経系」が優位となって生存確率を高めようとすると言うのです。

そして②のスリリング安全によって「腹側迷走神経複合体」が刺激される時は、①と③の中間的な状態になるということです。

②や③はいわゆる快適領域(コンフォートゾーン)から出るという、よくビジネス界で重宝されるスタンスに通じる状態ですが、大事なことはどれかが優れていてどれかが劣っているという話ではなく、どれも正当な適応反応が駆動されているのであって、社会をどのように認識するかによってシステムの駆動のされ方が変わってくる、その違いを表現しているのだということです。


そしてもう一つ大事な観点として、「安全」が感じられない状況になった時にどうなるかという話もあります。

人は何らかの理由で「安全」が感じられなくなった際に「腹側迷走神経複合体」による「社会的関与システム」での調整が働かなくなり、

「危険(安全ではない)」だと感じられた場合には「可動化システム」である「交感神経系」の過剰駆動状態が引き起こされ、

「生命への脅威(極めて安全ではない)」だと感じられた場合には「不動化システム」である「背側迷走神経複合体」の過剰刺激状態が引き起こされるということです。

この構造は、トラウマや引きこもりの発生原理として注目されている所でもあります。大事なことは一見すると生存不利に働くように思えるトラウマや引きこもりの反応が、生存確率をれっきとした適応反応として正当に発揮されている、ということです。


以上は「ポリヴェーガル理論」におけるほんの一部の話ではありますが、

ここまでの話でも様々なことに臨床応用できるという可能性に気付かされると思います。

例えばトラウマで悩む患者さんに対しては、まずそれがあなたの正当な反応であることを明確な根拠とともに伝えることができます。

その上であなたの中の安全の感覚が作られることよってあなたの反応はこれからいくらでも変化する可能性を持っていることも伝えられます。

さらに言えば、安全はあなた一人でも作れるし、社会と一緒になって作ることもできると。様々な選択肢の中で自分の安全をどうするか選びとっていくことができるのだと。どれ一つとして不正解はないのだと伝えることもできます。

それは支援を必要する人のみならず、支援をする側の人達にとっても心の安定をもたらす新たな視点を与えてくれるのではないかと私は思います。

そんな「ポリヴェーガル理論」に対して、とある専門家の医師はこのように評します。

「確かに臨床的に応用できる可能性のある理論であるが、あくまでも仮説であり科学的根拠や学術的検証がまだまだ乏しい」


確かにそうかもしれません。しかし上記の本を読んでもらうとわかると思いますが、詳細な解剖生理学的検討と豊富な傍証を示して理論的には極めて妥当性のある仮説です。科学的根拠が乏しいことを理由に臨床応用しない姿勢、もしくは誰かが臨床的な結果を出すのを待つような姿勢はあまり科学的な姿勢だとは思えません。

今の医学は科学的な姿勢というものを勘違いしてしまっているように思います。医学論文が発表されて効果が実証されていることを行うのが科学的姿勢なのだと。

でも医学論文の多くは特定の条件下での限定的な現象を示しただけのもので、さらには論文の情報が操作されることもあるし、意図的でないにしても先入観が事実と誤った解釈を導いてその誤解が集団を扇動してしまうことさえある危うさを秘めています。

本当に科学的な姿勢というのは、医学論文に依存せずに、それまでに蓄積された確かなこと、再現性の高い事象、別の現象との類似性や共通構造などを手がかりにして、不確かな未来に対して仮説と検証を繰り返しながら、新たな経験を積み重ねて把握できる世界を広げていくというものではないかと私は思います。

その意味で「ポリヴェーガル理論」は科学的姿勢を保とうという気持ちを支えてくれる大きな助けになるものではないかと私は思うのです。

もちろん「ポリヴェーガル理論」を絶対的に盲信するのではなく、疑いながら検証していく批判的に吟味する態度も必要だとは思います。

それでも「社会」や「安全」といううまく可視化できない領域、人によって変化を生じて然るべき領域と、確かに存在し誰にも共通構造を認める自律神経系の仕組みとのつながるきっかけを作ったという意味で「ポリヴェーガル理論」は画期的であったのではないかと私は思います。

この理論に対して脳神経を専門にする医師達が積極的に関心を持たない状況は実に皮肉な話だなと感じています。


この本を通じて、私が新年にお伝えしたかったことをまとめると次の通りです。

・科学的な正しさは決して医学(論文)の中だけにあるものではない
・むしろ医学の外の価値観に積極的に触れることが医学を考え直す大きなきっかけとなる
・さりとて医学のこれまでの知見を無視するのではなく、既存の知見と適切に結びつけていくことで医学の幅が広がる
・そうした作業を繰り返していくと、どこまでが医学でどこからが医学ではないのかという境界があいまいになっていく感覚を覚える
・「正しい」「正しくない」という価値観から離れて、世界がどういう構造になっているかに注目し、その上でどうしていくかという視点に立てば世界の見え方、自分の身に起こる変化が変わってくる


コロナ禍に入って「分断」が進んでしまったように思える世界から、

世界の構造を見つめ直し、再び望ましいと思える世界へと進んでいくきっかけを作るためにも、

「ポリヴェーガル理論」を学ぶことを私はおすすめしたいと思います。

もし今回のおすすめ本紹介が誰かの世界をよくすることの役に立てれば嬉しいです。

本年もたがしゅうブログを宜しくお願い致します。


たがしゅう
関連記事

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する